京都ひとり散歩(その12)~蓮華王院本堂・三十三間堂 | 大根役者

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後白河上皇(1127~1192)が離宮として建てた法住寺殿の一画に建てられたのが、蓮華王院だ。

久寿2年(1155)、第77代天皇として即位した後白河天皇は、わずか3年で二条天皇に位を譲って以後、法住寺殿で、上皇として「院政」をおこなった。三十三間堂は、その御所に長寛2年(1164)造営されたが、80年後に焼失し、まもなく後嵯峨上皇によって再建された。
その後も手厚く護持され、室町期・足利第六代将軍義教により本格的な修復がおこなわれた。彼は仏門に入って、比叡山・天台座主を勤め、京洛の禅寺に修理の寄付勧進を命じて、屋根瓦の葺き替えをはじめ、中尊・千体仏など内外両面の整備をおこなった。

 

当時の交通の要所であるこの地は、秀吉の志向にかなう場所だった。後白河院や清盛の栄華をわが身にと思い立った秀吉は、その貪欲な欲望に従った。その権勢を天下に誇示するため奈良大仏以上の大きさを持つ大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営し、お堂や後白河院の御陵をも、その境内に取り込んで土塀を築いた。その遺構が南大門・太閤塀(ともに重要文化財)だ。

 

大仏は初代から4代目まで存在したが、4代目大仏が焼失したことから現存していない。

この大仏は、秀吉が自身の権勢を誇示するために造った京都のランドマークとしての要素しかなく、秀吉自身は、仏教に興味はなく、手段でしかなかった。

 

初代大仏は、文禄5年(1595)に秀吉により造られたが、その後、破却された。慶長17年(1612)2代目大仏が完成したが、寛文2年(1662)の寛文近江若狭地震によって損壊した。寛文7年(1667)に3代目大仏が再建されたが、寛政10年(1789)、に落雷によって焼失した。この三代目大仏は、日本の三大仏のひとつに数えられた。天保14年(1843)には4代目大仏が造られたが、昭和48年に失火によって焼失した。

 

南大門の左方向に見える朱の社殿が三十三間堂だ。

この通りを、まっすぐ進むと、七条通りに出会う。向かい側が京都国立博物館だ。

境内に入る。

三十三間堂について次のような伝承がある。後白河上皇は長年、頭痛に悩まされていた。熊野参詣の折にその旨を祈願すると、熊野から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあった。そこで因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮華坊という僧侶で、仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え、風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げた。上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。

「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであるという。この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された。

 

後白河上皇の父・鳥羽上皇は平清盛の父・平忠盛の寄進により、鴨東白河に聖観音を祀る得長寿院千体堂(三十三間堂、文治地震で倒壊)を造営した。2人の上皇がいずれも平氏の頭領の寄進により寺院を造営している。いかに、平氏が朝廷に取り入っていたかがわかる。

蓮華王院は、天台宗の古刹。鎌倉時代に再建された本堂は南北約120メートルの長大なお堂で国宝に指定されている。堂内の内陣にある柱間が33あることから「三十三間堂」と通称されている。

安置されている本尊千手観音坐像はじめ千体千手観音立像など諸仏すべてが国宝に指定されている。
千手観音立像は、平成30年にそのすべてが国宝指定されたことを記念して、国立博物館に寄託されていた像が本堂に還座し、1,001体が勢ぞろいしている。。
同年に二十八部衆像と風神・雷神像の配置が、鎌倉時代の版画やこれまでの学術研究に基づき、本来の状態に復元された。

境内を歩く。

「夜泣泉」は、三十三間堂創建の翌年(永万元年(1165)6月7日、堂僧が夢のお告げにより発見したという泉。
『古今著聞集』には、「いつも冷たくて美味しく、お腹を痛めることのない極楽井で、汲んでも尽きず、汲まないときも余ることのない不思議な泉」と記されている。
夜の静かなときに、その湧き出す音が「すすり泣き」のように聞こえたことから「夜泣き」の泉と呼ばれるようになったという。
いつの頃からか、地蔵尊が置かれ、その前掛けを持ち帰って子供の枕に敷けば夜泣きが治ると伝えられてきた。
 

仕方ないのだろうが、外国人観光客が多い。彼らには、文化・歴史を崇敬する日本人の心を学んで帰ってほしい。【HIS】旅行プログラム

 

 

 

 

 

 

 

 

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