秋田に東北にもっとNLP(心理学)を!!

 

心理カウンセラー、マッキーこと

 

鈴木 マキコです。

 

 

 

昨夜は突然アメブロ使えなくなり

 

びつくりいたしました・・・汗

 

 

 

『にょービックリマーク私もいよいよ削除されたか・・・』

 

と思ってしまいましたよ・・・・ガーン

 

 

 

人って物事をマイナスにとらえがち。

 

すぐに『やっぱり私もか・・・』って

 

マイナスなことはすぐに自分にも

 

該当させてしまうんですよね?

 

事実をみるんじゃなくて。

 

 

 

人間のさがか?って

 

思えるくらいです。

 

(防衛反応でもあると思います)

 

 

 

 

 

さて

 

続きです。

 

前回までのお話はこちら

↓ ↓ ↓

嫁・姑(小姑含む)問題①


 

嫁・姑(小姑含む)問題②


 

嫁・姑(小姑含む)問題③

 

 

義母の状態がおかしいと気が付いたのは

 

義母のこんな行動からでした。

 

 

 

今までは

 

私たち夫婦の部屋がある

 

2階の部屋に上がってくるとは

 

本人の足の具合の悪いこともあり

 

まれなことでしたが

 

昼、夜問わず

 

自分の聞きたいことや

 

不安なことがあると

 


何時だろうが上がって来るように

 

なったのでした。

 

 

 

最初は

 

階下から

 

息子の名前を呼んで(主人の)

 

呼び寄せていましたが

 

そのうち

 

私たちが寝ていようがなんだろうが

 

平気で部屋に入ってくるように

 

なりました。

 

 

 

それでも

 

『しょうがないな~。』と

 

思うくらいでしたが

 

そのうち再び

(再びといっても当時の私には初めてのことでした)

 

夜の家の中の徘徊が

 

始まりました。

 

 

 

それも

 

症状が進む前は

 

夜中に何度か起きだして

 

階下から

 

息子を呼ぶ、でしたが

 

そのうち

 

寝ないで

 

ずっと家中を

 

歩きまわるように

 

なってきました。

 

 

 

 

あまりにも

 

呼び出される回数が増えたので

 

私と主人は

 

義母が見つけやすい

 

居間に布団を敷いて

 

そこに寝るようにし

 

母を見守るようにしました。

 

 

 

徘徊と書くと

 

なんだかすごい大変なことに

 

思えるかもしれませんが

 

一番キツかったのは

 

義母本人だったに

 

違いありません。

 

 

なぜかというと

 

眠れるように処方されている

 

睡眠薬すら効かず

(正確に言うと、効かなかったのではなく、朦朧としていても、それを押すくらい不安が強くなっていった)

 

ずっと不安が続いている状態・・・

 

 

 

 

だんだん幻覚が見えるように

 

なってきたのか

 

夜中に

 

隣の家が火事だから

 

早く行かないと!

 

というまでになってきて

 

しまいました。

 

 

 

 

私は初めて遭遇する

 

そんな体験に

 

本当に驚き

 

そして

 

自分も

 

見重な身で

 

夜中に何度も起こされるという生活に

 

本当に心身とも

 

くたびれ果ててしまいました。

 

 

 

でもそんなことなど

 

全く関係なく

 

義母の様子は

 

ますます大変さを増していきました。

 

 

 

何度か通院させるも

 

強くなるのは

 

お薬だけで

 

義母の症状は

 

全く良くなっていきませんでした。

 

 

 

ここまで書いてて

 

プライバシーもへったくれも

 

ないかもしれませんが

 

その後もいろいろあった

 

出来ごとは

 

ここに書くことは控えます。

 

本来の道筋とも

 

少し離れるので。

 

 

 

結局義母は

 

再入院することとなりました。

 

 

そこでの出来事も

 

しつこいですが見重の私にとっては

 

相当ショッキングな

 

出来ごとでした。

 

 

 

精神科の病院に入ることすら

 

初めての体験でしたが

 

そこで見聞きしたことは

 

私にとって

 

忘れられないほどの

 

経験となりました。

 

 

でもそんな中でも

 

私がゆいいつ感じれたのは

 

主人が一番

 

辛いし

 

ショックだろう・・・っていうこと・・・。

 

 

 

なんといっても彼にとっては

 

自分の大切な母親・・・。

 

どんどん進む症状にも

 

相当な精神的ショックを

 

味わっていたに違いないし

 

 

まして

 

また精神科の病院に

 

入院せざるをえなくなるという事実は

 

彼にとっては

 

とても辛いことだったに

 

違いありません。

 

 

 

私はむしろ

 

そんな彼のそばにいて

 

彼の気を紛らわすことが出来る

 

勇気づけるとが出来ることに

 

誇りすら

 

持っていたのです。

 

 

 

 

 

 

ここで終わりたいところですが

 

シリーズ長くなりそうなので

 

終わらせずさらに続けます。

 

 

 

義母が入院し

 

静かな生活がやってきました。

 

私は心底ほっとし

 

やっと自分自身を取り戻せたと

 

感じながら生活することが出来ました。

 

 

 

冷たいヤツと思うかもしれませんが

 

あえて正直に書きます。

 

 

 

当時私は

 

生命保険の営業の仕事をしていました。

 

あちこち回っていましたが

 

保険の営業をされたことの

 

ある方ならおわかりかと思いますが

 

日中いったん外まわりにでると

 

夕方まで

 

事務所に帰るということはありません。

 

 

 

その日私は

 

自宅に戻って昼食をとっていました。

 

 

 

義母は入院し

 

夫は仕事。

 

子供たちは学校に行き

 

誰もいない静かな家の中で

 

自分の時間を過ごせることは

 

私の今までの生活を見た時に

(18歳で上京し、29歳で結婚するまで、ずっと一人暮らしだった)

 

ごく当たり前のことで

 

とても寛げる時間でした。

 

 

 

がしかし、

 

そんな静寂を破って

 

家の中に入って来た人が・・・

 

 

 

それは、

 

いつもやってくる

 

2番目の姉でした。

 

 

 

そうか。

 

彼女は合いカギを持っていた。

(それも今考えるとおかしな話ですが)

 

 

 

でも、誰も家にいないことを知ってて

 

しかも

 

外には私の車が

 

しっかり停められているではないか!!

 

 

 

誰も訪ねてこないはずの家に

 

『ガチャガチャ』と

 

カギの開く音がしたことは

 

私にとっては

 

ものすごい恐ろしいことでした。

 

 

 

『なんだ、いたの?』

(居るわーーー!外に車停めてただろーーー!)

 

 

 

今となっては

 

彼女が何をしに来たのかは

 

覚えていません。

 

 

でも、

 

そのことが(合いカギを持っていて日中平気で家に入れること)

 

私にはものすごいショックで

 

当時は

 

耐えられない事実でした。

 

 

 

 

ある日は

 

仕事を終えて帰ってみると

 

誰もいないはずの家に

 

こうこうと電気が付いて

 

誰かがいる!!

 

 

 

それは

 

『帰って着た時に寒いと嫌だろうから』

 

という義姉の

 

思いやり(本当かぁ~?)

 

 

 

でも

 

灯油代もばかにならない時に

 

ストーブ全開、

 

こたつにどっぷりつかって

 

テレビを見てる姿を見た時は

 

言い知れぬ怒りに

 

襲われました。

 

 

 

長くなるので

 

割愛しますが

 

結果私がどうしたか・・・・

 

 

 

誰にも言わず

 

玄関のカギを

 

変えてしまったのです。

 

 

 

もうこの後

 

何が起こっていくのかは

 

カンのいい読者さまなら

 

おわかりになりますよね?

 

 

 

続く・・・・

 


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