映画『アステロイド・シティ』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『アステロイド・シティ』

『アステロイド・シティ』

(上映中~:J-MAXシアターとやま)

公式サイト:https://asteroidcity-movie.com/

 

本作で一番大事なのは、ウェス・アンダーソン監督作品であること。

ダージリン急行』、『ムーンライズ・キングダム』、

グランド・ブダペスト・ホテル』、『犬ヶ島

全ての作品を観たわけではありませんが、今や私の中では、

何人かいる「名前だけで無条件に観に行きたい」監督の一人です。と、

フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

の感想でも書きましたが、まぁそういう思いです。

 

1955年、アメリカ南西部の砂漠の街アステロイド・シティ。

隕石が落下して出来た巨大なクレーターが観光名所となっているこの街に、

科学賞を受賞した5人の少年少女とその家族が招待されました。

子どもたちに母親が亡くなったことを言い出せない父親、

映画スターのシングルマザーなど、参加者たちがそれぞれの思いを抱える中、

授賞式が始まると、突如として宇宙人が現れて・・・という設定と展開が。

あいかわらず、濃い~俳優陣が集まった豪華キャストで描かれています。

 

(以下、“適度”にネタバレしています。ご了承ください)

宇宙人が出てきた時点で現実も写実もないもんですが、

非現実を演劇でモノクロで、現実をカラーの映像でと、

差をつけて描いているのは以前の作品でも使っていた手法です。

演劇の中で謳われる「目覚めたければ眠れ」は名言でした。

あ~最初の車の故障は宇宙人登場ののフラグだったのかぁ・・・。

など、途中で気付かされては、ウェス・アンダーソン監督の才能に、

最初から勝負になってませんが、なぜだか無駄に嫉妬してしまいます。

 

1955年というのがまた微妙に上手い時代背景です。

当時の大統領や軍はまずは隠蔽を考え(まぁ今だってそうするでしょうが・・・)、

超秀才(天才じゃなくて秀才なところもミソ)の子供達5人集は、

宇宙人との交信や事実を世界に情報発信しようと頭を回転させ、

やはり、政治や体制とは距離を置く科学者は子供たちの後ろ盾になります。

 

カメラマンの男と女優のやりとりも会話にテーマ性を感じます。

でも、よく分からなくても平気です。なんだかおかしくて楽しめますから。

子供たちが母を埋葬する中で、少年は「神を信じるのはやめた」と言い、

祖父の「それも良い」という会話は何気に深いはずですが、

それをさらっと描いてしまうところに、いわゆる「ニクさ」を感じます。

 

宇宙人騒動で町は一時期だけ賑やかかになりますが、

その騒動が終わると、元の静な町に戻りました。

ナンセンスな設定をリアルに活かした展開の妙、

オープニングの農作物と核ミサイルを同じ貨物列車で運ぶシュールさ。

本当はただただ楽しんで鑑賞すれば良いだけなのかもしれませんが、

ちょっとノートでも取りながら、

ワンシーン、一つ一つの台詞を考察しながら鑑賞したくなります。

で、その勉強はどこで活かすのよ!?ってことになるのですが・・・(^_^;)