SBI金融経済研究所の所報の政井貴子理事長の巻頭言が印象深かったので紹介します。タイトルは「我々日本人は、金融リテラシーが高くないリスク回避的な国民性か?筆者は『そんなことはない』と感じている。」というもの。「日本は昔から・・・」「日本人というものは・・・」と決めつけしまう傾向は金融分野に限らず存在しています。
アンケートによると、暗号資産に対する投資経験率は9.3%で、調査を行った6カ国の中で日本が一番低く(他国は2−3割)、暗号資産の認知度が他国に比べて高くない、詳しく知っている人でも投資経験の比率が低い(6割程度)ことが分かりました。また、詳しく知っている人でも「損失が生じることへの不安がある」との意見が示されていました。ここまで見ると、やはりアンケート調査でもリスク回避的な国民性が示されたのではないか、金融リテラシーが低いと結論づけられそうな気がします。
しかし、日本人は、古来より決して数字に弱いわけではなかった、と政井理事長は指摘しています。確かに、算数や数学は世界トップレベルを維持してきましたし、その背景には読み書き算盤の長い歴史があるのだろうと私も推察します。「江戸時代には、寺小屋が金融リテラシーの向上の一助になっていたと考えられる。こうした金融リテラシーが江戸時代の人々に備わっていたからこそ、両替商の商いも高度化していくことができたのではないだろうか。銀行という制度や金融技術は、明治時代に入って、西洋から輸入しただけと思いがちだが、幕末の両替商では、既にバランスシートを使った信用創造が行われていた。明治時代初期、英国の金融業務を学ぼうと日本語への翻訳を試みた際、およそ対応する訳語が見つからなくて困るということはなかったそうだ。鎖国という状況にあっても日本国内で金融技術は発達していた。『リスク回避的傾向が強いのは日本人のDNAなのだ』とまで悲観する必要はないのではないか」(中略、抜粋)と考察しています。
たしかに、二宮金次郎翁(1787-1856)は世界で初めて信用組合が作られたと言われる時期より早く、農民への小口融資や、金融を通じた自立を促していました。
よって、やはり思い込みに容易に陥ることなく、歴史やデータからも学びつつ前向きな提案をしなければいけない、と改めて感じています。