ここまでに至った病のはなし③ | みやみの『住めばmiyako』

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いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪


なんだかんだ地味なダメージをくらっていたこの八ヶ月。それでも「希望」があったことで日々支えられていたのかもしれません。


涼しくなったら

年が明けたら

別大が終わったら←


そう思うことでその日までやり過ごし、そしてその最後たる「手術をしたら」をもって全ての希望がなくなります。


手術より実はそれが何より怖い。

もしものことを考えるともうこの耳が治る希望がない。


「手術をしたら治る」という希望をずーっと抱えて生きていく方が幸せなのかも、なんてね。





◆◆



みっつめのクリニックは某駅から徒歩十数分。いつぞやこの近くのサウナに走って来たなと、わたしの行動範囲と記憶はそれに尽きる人生です。(しってた)

 

街中にあるごく普通の耳鼻科と同じ、こざっぱりとした外観と、スリッパに履き替えるというレトロな待合室。

 

ここには事前に問診票をメールで送っていたのですが、これがまた恐ろしく質問事項が多くその回答も五段階から選ぶというものでしてね。

 

そして、その半分くらいまでは今回の病についての設問や既往症、生活習慣など予想されたもので、しかしその後半はメンタルに関わるものがほとんどで、

 

例えば「自分なんかいなくなっても誰も困らないとおもう」

①いつも感じている ②ときどき感じる ③感じるときもある ④少し感じる ⑤まったく感じない

 

とか、「明日なんかこなくてもいいと思うことがある」

(以下同文)

 

など、「えーーー、そんなん考えたことないよー」という、まあわたし自身はなんのこっちゃの質問なのですが、この病にはそういうメンタル的なものも多く起因していると言われており、ここのクリニックはむしろそのへんのケアに重点をおいているようで、

 

まずは一通りの検査(聴力検査など)を終え、「耳管開放症」であることが確定した後、問診という流れでドクターと対面、そのとき開口一番にこう言われました。

 

「あなたの名前はどなたがつけたの?」

 

ん?なまえ?

 

あー、これは父です、ええ、由来は単に三番目に生まれたからで、あとは父の名前の一文字をもらっただけで深い意味は…

 

「そう、愛されて育てられたんですね」

 

(え?どこが)

 

そのままカウンセリングが始まり、大地のエネルギーやそれが体に及ぼす影響、そしてわたしがクレイジーに走っているということにつき、


「もうそんなことはしなくていいです」

「ゆっくりカラダの声を聴くのです」

「そう、瞑想、呼吸、ヨガがいい」

 

ヨ、ヨガ??

 

そして、


「専門的にカウンセリングを受けるか(保険適用外)、二週に一度わたしとこうしてカウンセリングをするか、どうしますか?」

 

え・その二択?

それで治る?

 

おそらくここのクリニックは、この病の根本的治療を目指し、一時的な点鼻薬やルゴールの注入、ピン手術ではなく、そうなった(と思われる)精神的な部分を正していかないと完治には至らない、また発症を繰り返す、と、そういうアプローチなのだとおもいます。

 

確かにそれは長い目で見れば正しくもっともだ!と思うのですが、結局その日はそれでおしまい。耳の中は軽く見ただけ、鼻はちらっと広げられただけ。薬の処方もなければ処置もなく、なにひとつ楽になることなく。

 

えーーー、そこで次のカウンセリングの予約入れたところで、その二週間つらすぎるんですけどーーー。

 

そして、やっぱり気になったのは、走ることはやめときなさい、と暗に言われたという点。(その時間部屋でゆっくりヨガをやるほうがよいと)

 

ロンモチ治したくないわけじゃない。

けど、ここまできても走りながら治したい。

 

そしてできれば目に見えて即効性のある治療がいいなとおもうわけで、カウンセリングという雲をつかむようなものと長期間かかるという治療法は向いてないと感じため、残念ながらここも一度でおしまい。(完全個人的な感想でここのクリニックを否定するものではありません)

 

そうしていよいよ手術も念頭に入れ、執刀できるドクターを検索。最後の砦となる今回お世話になる耳鼻科に予約を入れたのでした。





 

(つづく)