ここまで至った病の話④ | みやみの『住めばmiyako』

みやみの『住めばmiyako』

いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪


そんな最後の砦となった耳鼻科は都会のド真ん中。初診の予約日時に合わせ、珍しく都内にいく仕事のアポを無理くり取り付けたのはナイショです(手ぶらでは帰らない)

 

一回目の診察の様子はすでに書いているとおり。

 

三度目となる聴力検査やら鼻になんかをつっこみながら喉をごくりとさせる検査(なにそれ)、そしてここで初めてとなる座ったままできる頭部CT検査。これにより、もう手の施しようがないほど、広くそして長く開いている耳管を目で確認することができました

 

その開きっぷりに画像を見ながらドクターも「あらららら、こんなとこまで開いちゃってるよ」とあっけらかんと申すものですから、わたしもつられて「あららららら」と。

 

ただこの時点では、手術一択と言われながらも決心がつかず、ルゴール注入いう悪あがきをし、15分でその希望も潰えたことはすでに既述のとおりですw

 

その初診から数週間後。

 

折しも神田飲み会が開催されるという絶好の機会に恵まれて、二回目の受診を予約。こんなこともなければまだぐずぐずしていた確信もあり神田会には地味に感謝です。(かっきぃさんいつもありがとう)

 

これな




その二回目の診察時、椅子に座るなり「手術します」と開口一番。横に置いてある金属製のおっそろしい器具たちが目に入る前に、それだけきっぱりと告げたわたし。

 

「あ、そう。じゃあそうしましょう」とドクターもあまりにあっさりとそれを受け入れるものですから、「だってもうそれしか方法がないのですよね?」と決めたくせにしつこく念押しすると、


「まあ、劇的に太ったりすればべつですけどね」←

 

ここでいいう劇的=数十㎏というレベル

あたしが頑張って夏から3㎏太ったところで、そんなんはありんこの鼻くそ程度。

数十㎏なんざ増やしたらわたしがもう一人生まれるわ!

 

ここで手術を観念しました。

 

とりあえず今は、相変わらずちーとも軽減はされず、ただここでの初診で教えていただいた「点鼻治療」というもので、いちんちのうち(トータル)数十分程度、耳がクリアになる時間を手に入れました。

 

これは、生理食塩水を塞がっている耳の方側の鼻の穴に数滴たらし、のどまでそれが落ちる前に首を傾け、生理食塩水を耳管に流し込むというもの。

 

これを



 

こんなぐあいな



 

ただ、未だにタイミングがよくつかめず、するっと耳管に入り込むのは5回に一度。(この病の患者間ではストライクと呼ばれるらしい)。そしてわたしの場合は難治すぎており、うまく入っても持って10分程度。それでもそのいちんちの数十分を支えに、いのちからがら生きてます(おおげさ)

 

とまあ、いろいろなことがありまして

いろいろ考えるところはありますが。

 

明日予定どおり手術です。


所要時間は15分程度と言われており、局部麻酔をして鼓膜を(少し)きって耳のサイズに合うピン刺しておしまい。そう聞くと歯医者の延長のような気もします(ぜんぜん違うけど)

 

術後は二週間、一か月後に診察があり、経過によっては別の不具合が出ていたり、ピンのサイズを変えたりと再手術となることもあるそうです。

 

昨日もぶつくさ申し上げましたが、これが最後の「希望」です。

 

病院からいただいた手術の説明書にも「改善がみられるのは10人中8人ほど、つまりは手術を受けても二割の人には効果なし」とはっきり書かれており、その二割に該当したらとおもうと、ぞっとして夜も眠れません(寝てるけど)

 

ただもう手術をしなければ、10割治ることはないのであれば(数十㎏太れば別)、この希望にかけるしかないんだよなあと、観念している所存です。

 

だいじょうぶ。だいじょうぶ。

 

あたしゃろくすっぽ東京マラソンなんざ当選したこともねーし、

どちかというとその他大勢で生きてきた人生。

いまさらそんな少数派になるわきゃねー。

 

つい先日、7割は出航するという軍艦島クルーズ船が欠航したという事実は闇に葬り←ようよう明日乗り込みます。

 

 

また元気になって走るのだ。