ここまでに至った病のはなし② | みやみの『住めばmiyako』

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いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

 

そんでもまあまあ走っています。

みやすのんき(敬称略)メニューもこなしています。

 

本日は、ジョグ+1キロTTメニューの日。

ひっさしぶりに部活に参加し

ソロ練でエイヤと猛だっしゅ

 

あるってるみたいですがあるいてません←

あさこスポーツ


 

耳がアレでも目が赤くても肩が回らんほどに重くても走れていれば大丈夫(たぶん)。

 

今日もありがとうございました!



 

 

◆◆

 

 

たしか、前回この病のことをつらつらと綴ったのは昨年末。まだ発症から四ヶ月であり、希望を持っていたころのことです。

 

「いつの間にやら治っていた」という、一番多く耳にしていたその完治までの道のりに、自分もその大多数に含まれるものと、楽観的におもっていました。

 

それは根拠なく、「涼しくなったら」「サウナをやめたら」「年が明けたら」につづき、一番期待していたのは、「別大が終わったら」←

 

おそらく、この収容車との鬼ごっことなるストレスが最大の原因なのではと信じており、

 

別大が終わったら

別大さえ終わったら

別大なんざが終わりさえすれば

 

と、まいんち呪文のように唱えつづけ、そうして迎えたそのレースは、ただ鬼に捕まるという汚点のみ残し、耳にはなんの成果も得られませんでした(しってたw)

 

まあ、すべては想像と希望の域で、問題を先送りしているだけだったのでしょう。じっさい、別大完走を主軸に過ごしていると、どーしてもそれは後回しになり、

 

やれ鍼治療だ超音波だ、ポイント練だ美容院だ←と日々駆け回っていると、結局「走れてるからいいや」と、真剣にそれと向き合う時間を作ることなく、病んでいるのかそうでないのか、ランナーあるあるの期間でした。

 

そうして、よーやく別大が終わり、それでもまっったく症状はかわらず。いよいよ「〇〇したら」という根拠ないながらも持っていた希望をすべて出し尽くし、いよいよ現実的な根拠あるステップへ。(おそいよ)

 

三つ目となるそのクリニックを選んだのは、「耳管開放症」で検索すると、かなり専門であるらしいことがHPに記載されていたから。そして、多摩川は超えるものの、そう遠くはない場所にあったため、思いきって予約、訪ねてみました。

 

三つ目、となるその前に、そこまでかかった経緯は下記のとおり(ダレトク)

 

最初は発症から2か月後。

徒歩圏内にある一般的な耳鼻科で検査。

「耳管開放症」なる病名を授かり、ここでは第一段階となる漢方治療のみ。この病に効くとされる一般的な漢方「加味帰脾湯」を処方され数か月飲むも効き目なし。

おそらくここではこれ以上の処置はしてもらえないと感じて一回でおしまい。

 

二つ目は漢方薬局での問診

その後「耳管開放症」でググると、「加味帰脾湯」以外の漢方も効くという情報があったため、ここも予約して訪問。結果、「加味帰脾湯」は、虚弱体質の方向けということで、「まいんち20キロも走ってるクレイジーなあんたにはコレ」と、別の漢方を処方されるもそれも効果なし。

 

そのときの漢方

左は抱き合わせて買わされた若返りの薬ですw(カエルの卵?)

 

image

 

 

 

そんでもって三つ目は、その界隈では有名らしい、また口コミも大変よいクリニック。ドクターもこの病にかかったことがあるらしく、この不快感やうっとうしさ、不便さ不愉快さを理解してもらえるという一点だけでも、ありがたいという気持ちでした。(とにかく伝えようのない症状なのが一番ツライのだ)

 

それが三月上旬のこと。

ここへ来れば何かが拓けるかもと、大いなる希望をもって戸を叩きました。

 

 

(つづく)