INLAND EMPIRE
よく
「これは右脳で見る映画だ」
なんていうレビューがありますが、基本的に、そう簡単に言い切ってしまうのはどうかと思います。
そんな私が今までで一番右脳で見た映画です。
『インランド・エンパイア』
デヴィッド・リンチ監督
すごい!
右脳的と言うと、
よく理解できない…
カット割りや音響効果が特殊…
異様な世界観…
などありますが、
この作品もそれらを全て含んでいます。
何がすごいのかと言うと、
その見せ方の妙は当然の事ながら、
話が、結果、道理にかなっているところです。
言葉にして隅から謎解く事はできません。
しかし、受け取っていく感覚の中に違和感がないのです。
そして、ストーリーの説明描写などなしのこの映画のクライマックスに、
私は感動していました。
また、3時間作品にもかかわらず、一切疲れを感じませんでした。
あれほど引き込まれた事があったでしょうか。
全く想像もしようがない世界観を実体化した作品に出会いました。
デヴィッド・リンチ。
桁外れの人物かもしれない。
「これは右脳で見る映画だ」
なんていうレビューがありますが、基本的に、そう簡単に言い切ってしまうのはどうかと思います。
そんな私が今までで一番右脳で見た映画です。
『インランド・エンパイア』
デヴィッド・リンチ監督
すごい!
右脳的と言うと、
よく理解できない…
カット割りや音響効果が特殊…
異様な世界観…
などありますが、
この作品もそれらを全て含んでいます。
何がすごいのかと言うと、
その見せ方の妙は当然の事ながら、
話が、結果、道理にかなっているところです。
言葉にして隅から謎解く事はできません。
しかし、受け取っていく感覚の中に違和感がないのです。
そして、ストーリーの説明描写などなしのこの映画のクライマックスに、
私は感動していました。
また、3時間作品にもかかわらず、一切疲れを感じませんでした。
あれほど引き込まれた事があったでしょうか。
全く想像もしようがない世界観を実体化した作品に出会いました。
デヴィッド・リンチ。
桁外れの人物かもしれない。
feel!
『JOY DIVISION』
イチバンだと思います。
30年経っても未来的で特異なサウンド。
ダンサブルで高揚感を与えながら、同時に絶望的で破壊的叫びを感じさせる…
そう、イアン・カーティス。
私はニューオーダー派ではないのです。
先日『コントロール』を鑑賞して、本日上記のドキュメンタリーを鑑賞しました。
前者は、彼と妻と愛人にフィーチャーしていて、主演のサム・ライリーとサマンサ・モートンの好演が光る、スタイリッシュなドラマという感じで、
後者を観てやっと、JOY DIVISIONというバンドと、イアンが自ら命を絶つに至った心情に、ほんの少し触れられた気がします。
イアン・カーティスをしても例には漏れず。
改めたイアンの人物像です。
作品を観る前の、音だけによるイメージでは、
彼の苦しみは、常人では思いもよらない異質なものなのか…
そんな、未知の世界を見ているからこその、特殊なサウンドなのか…
そんな風に考えていました。
しかし、どうやら彼も人間であったようです。
スターとしての自分の一人歩き、
フロントマンであるが故の苦悩。
そして、女性。
まるで社会の縮図かのようにベタな悩みを、彼は持っていたようです。
ただ、その深さが尋常でなかった事は容易に想像できます。
これでまた一人、宇宙人と思われる人物が消えました。
超人、偉人は、ある種突然変異のように生まれる…
何となくそんな風に思っていました。
生まれつきとは言わないが、少なくともアプローチは人と違うのではないか…
どうやらその問にNOと言い切る頃なのかもしれません。
シアトルの超人、鈴木さんも
2000本安打について、
「すごい事を達成するには、一本ずつ積み重ねるしかないですからね」
って言ってましたし。
はい、拡大解釈し過ぎました…
道は真っ直ぐ突き進むべきか。
という話です。
イアンは時代を正面から捉え、想いを爆発させていた。バンドメンバーとの化学変化により、超新星のサウンドを生み出した。
あの目を疑う踊りは、陶酔によるもの。
それだけの事なのです。
小手先で伝説は生まれない。
イチバンだと思います。
30年経っても未来的で特異なサウンド。
ダンサブルで高揚感を与えながら、同時に絶望的で破壊的叫びを感じさせる…
そう、イアン・カーティス。
私はニューオーダー派ではないのです。
先日『コントロール』を鑑賞して、本日上記のドキュメンタリーを鑑賞しました。
前者は、彼と妻と愛人にフィーチャーしていて、主演のサム・ライリーとサマンサ・モートンの好演が光る、スタイリッシュなドラマという感じで、
後者を観てやっと、JOY DIVISIONというバンドと、イアンが自ら命を絶つに至った心情に、ほんの少し触れられた気がします。
イアン・カーティスをしても例には漏れず。
改めたイアンの人物像です。
作品を観る前の、音だけによるイメージでは、
彼の苦しみは、常人では思いもよらない異質なものなのか…
そんな、未知の世界を見ているからこその、特殊なサウンドなのか…
そんな風に考えていました。
しかし、どうやら彼も人間であったようです。
スターとしての自分の一人歩き、
フロントマンであるが故の苦悩。
そして、女性。
まるで社会の縮図かのようにベタな悩みを、彼は持っていたようです。
ただ、その深さが尋常でなかった事は容易に想像できます。
これでまた一人、宇宙人と思われる人物が消えました。
超人、偉人は、ある種突然変異のように生まれる…
何となくそんな風に思っていました。
生まれつきとは言わないが、少なくともアプローチは人と違うのではないか…
どうやらその問にNOと言い切る頃なのかもしれません。
シアトルの超人、鈴木さんも
2000本安打について、
「すごい事を達成するには、一本ずつ積み重ねるしかないですからね」
って言ってましたし。
はい、拡大解釈し過ぎました…
道は真っ直ぐ突き進むべきか。
という話です。
イアンは時代を正面から捉え、想いを爆発させていた。バンドメンバーとの化学変化により、超新星のサウンドを生み出した。
あの目を疑う踊りは、陶酔によるもの。
それだけの事なのです。
小手先で伝説は生まれない。
終わることで始まるもの
やっぱりDVD鑑賞は深夜に限ります。
街は眠っているので、集中して映画の世界だけに入り込めますから。
さて
昨夜は『2001年宇宙の旅』で有名なスタンリー・キューブリックのブラック・コメディ、
『博士の異常な愛情』
を見ました。
タイトル通りの異常な愛情から、人間の果てのない堕落をコミカルに描いていて、
画面に映らない人たちの存在を想像すればする程、風刺的で滑稽でした。
「風刺的」という感想を抱いたのは、ラストの強烈な映像が大きく作用したと思います。
鑑賞後、当初ラストは、大統領含め高官たちのパイ投げ合戦でオチ。。
というつもりであったという情報を目にしました。
そうであった場合、風刺というよりは、
「嘲笑的」といったような、 一歩引いた挑発的な作品という印象を受けたと思います。
製作された時代も時代だけに…
それだけ物語のラストはその作品の意志を表すはず…
なのに最近のハリウッド映画にはエンディングが数パターンもあるものを目にします。
国に合わせたバージョンで公開するとはどういう事だろうか!
いくらジャンルがホラーだろうと、何らかの主張はあるだろう!
いい加減、視聴者に合わせた作品づくりはやめて!
文化をつくるのはあなたたちなのだから!
…と吐き捨てたくはなりますが、
こんな若輩者には考えつかぬ葛藤や、志を貫くための苦難、そして方法があるのだという事は想像できます。
しかし、
それはそれとして…
時に、若さのパワーとは、強大なものへの無碍な反抗、という事もあるのではないでしょうか…
と、自らを擁護しつつ、
映画の感想を中心に、日々綴ってゆきたいと思いま☆
ちなみに今作のキューブリックは、風刺的にするためのエンディング変更であり、
変更が、逆に意志を守る事だったのです。
街は眠っているので、集中して映画の世界だけに入り込めますから。
さて
昨夜は『2001年宇宙の旅』で有名なスタンリー・キューブリックのブラック・コメディ、
『博士の異常な愛情』
を見ました。
タイトル通りの異常な愛情から、人間の果てのない堕落をコミカルに描いていて、
画面に映らない人たちの存在を想像すればする程、風刺的で滑稽でした。
「風刺的」という感想を抱いたのは、ラストの強烈な映像が大きく作用したと思います。
鑑賞後、当初ラストは、大統領含め高官たちのパイ投げ合戦でオチ。。
というつもりであったという情報を目にしました。
そうであった場合、風刺というよりは、
「嘲笑的」といったような、 一歩引いた挑発的な作品という印象を受けたと思います。
製作された時代も時代だけに…
それだけ物語のラストはその作品の意志を表すはず…
なのに最近のハリウッド映画にはエンディングが数パターンもあるものを目にします。
国に合わせたバージョンで公開するとはどういう事だろうか!
いくらジャンルがホラーだろうと、何らかの主張はあるだろう!
いい加減、視聴者に合わせた作品づくりはやめて!
文化をつくるのはあなたたちなのだから!
…と吐き捨てたくはなりますが、
こんな若輩者には考えつかぬ葛藤や、志を貫くための苦難、そして方法があるのだという事は想像できます。
しかし、
それはそれとして…
時に、若さのパワーとは、強大なものへの無碍な反抗、という事もあるのではないでしょうか…
と、自らを擁護しつつ、
映画の感想を中心に、日々綴ってゆきたいと思いま☆
ちなみに今作のキューブリックは、風刺的にするためのエンディング変更であり、
変更が、逆に意志を守る事だったのです。