天童一中1年女子生徒は何故命の終わりを決断したのか -11ページ目

天童一中1年女子生徒は何故命の終わりを決断したのか

心の中は 自分にも 誰にも見えない

気が付いたら 心も 身体にも 冷たい風が吹いている

あなたの心に 何かが起きていたのですね

笑顔にかくされた学校での悲しい出来事が

少女のすべてを奪ったのかもしれない

天童市立第一中学校 中学1年女子生徒の自死について約1年間費やし報告書がまとまる時期に来た。

この事件について第三者調査委員会が立ち上がった頃から報道も少なくなった。

個人的見解ですが
第三者委員会が立ち上がると動向優先で静観している事が殆どです。それがいい事なのかどうかそれも疑問です。被害者側にとって法で守られている加害者を調査するのは阻む状況もあるものですが、調査する権利はある。第三者委員会の聴き取りに協力するのであれば被害者にも協力するのが当然だとも思う。そうでなければ本物の真相究明などあるものか?設置要項に被害者の意向が組み込まれても報告書自体に解釈のグレーさはよくある話。第三者委員会の調査は長くかかるもの。その間、人々の日々から事件当初の衝撃さも薄れ冷静に考えた言葉ばかりが出てくるでしょう。しかし被害者と家族はどうなのでしょう。衝撃が薄れるどころか人間不信と嫌悪感と疑心暗鬼と自責の念は募り失った我が子への悲しい想いも現実も決して癒されない。
天童一中の在校生保護者達はどう考えているのでしょう。本当にこのまま第三者調査委員会の流れで解決だと思っているのでしょうか?在校生保護者としてするべき事はないのでしょうか?加害者と共存し加害者家族と何も変わらぬ交流を続け被害者を置き去りにしてしまっていいのでしょうか? 守られるべき子供の命だった被害者に差し伸べる言葉は、本当の意味での地域ありきの再発防止ではないのか?
聴き取り対象者外だから我関せずであっていいのか問いかけたいです。

それとも事なかれ主義が大人らしいと勘違いしているのか?ならばそれは違う。子供から見ても外から見てもまるでカッコ悪い大人です。


天童市立第一中学校 中学1年女子生徒の自死について約1年間費やし報告書がまとまる時期に来た。

この事件について第三者調査委員会が立ち上がった頃から報道もめっきり少なくなり委員会会合後の記者会見しか公表されていない。

私は、この事件の報告書がどのようなものか非常に興味がある。立ち上がる前のとある会合で、人選についての流れを聞いている段階で既に違和感と期待感が複雑になったからです。ある意味賭けを感じる自分も存在していたからでしょう。

私にとって、推薦する人選のあり方に疑問を投げかけた一幕であり第三者委員会のメンバーになることで肩書きの一つになることの違和感と、人間観より学術的材料を疑ってしまった。根っこの先は同じような思いから子どもの人権や権利を守るためであっても枝葉はそれぞれ違う方向性に向かっているものです。納得いかない枝葉は挿木して新たな木を再生するしかない。

この天童一中においては初期段階の隠蔽を強く検証する必要もありますが、家族の同意と納得のいかない状態と委員会設置前に加害者特定と口頭注意が行われてしまっている。特定された加害者達は事の重大さも認識せぬまま口頭注意によって収束したかのように地区大会等の公式大会や学校生活を満喫している中での第三者調査委員会設置と調査を受けている。設置段階から既に、天童一中と加害者達(保護者含め)と少女の御家族の意識にズレが生じていると考えている私だから、それを踏まえての報告書がどうあるのか興味深いものです。



確かに私の娘は生きている。
確かに私は裁判まで行き着いていない。
経験しないと遺族の気持ちは理解出来ないと投げかけられれば返す言葉に詰まってしまう。しかし、全くいじめの経験が無くても有識者と学識者に対してはこの言葉は投げかけない。
縁あって参加した会で代表のご遺族が遠巻きに牽制してきた言葉は切なく感じた。
会合の後に何人かの参加者が当然その話題を切り出してきた。
なんだか場違い的な扱いでしたね。


学校生活の中で起きた隠蔽や対応についてどうであったか、どう苦しんできたのか、二度と同じ思いをしないで欲しいと願っている。これがスローガンであるならば、再発防止と真相究明の時に一番共有しなければならないのは経験していない保護者や大人達である。
何故なら、いざ事が起きた場合の真相究明を阻む材料として経験のない保護者が巻き込まれぬように傍観者として徹する事も大きな要因と考えているからです。
自分の子供が当事者でない時から活動していた私達は、時にモンペアだの御節介と言われ学校側には被害者寄りのカウンセラーと呼ばれながらも続けてきているのは保護者にも勇気を持って欲しいからです。目の前の保護者に勇気があれば生徒も変わると信じているからです。ご遺族の発信する会合がもっと共有しやすいものになって欲しいと願うばかりです。

これは、あくまでもオープン会費制参加者を募った会合での場合です。