発信イコール受容も | 天童一中1年女子生徒は何故命の終わりを決断したのか

天童一中1年女子生徒は何故命の終わりを決断したのか

心の中は 自分にも 誰にも見えない

気が付いたら 心も 身体にも 冷たい風が吹いている

あなたの心に 何かが起きていたのですね

笑顔にかくされた学校での悲しい出来事が

少女のすべてを奪ったのかもしれない

確かに私の娘は生きている。
確かに私は裁判まで行き着いていない。
経験しないと遺族の気持ちは理解出来ないと投げかけられれば返す言葉に詰まってしまう。しかし、全くいじめの経験が無くても有識者と学識者に対してはこの言葉は投げかけない。
縁あって参加した会で代表のご遺族が遠巻きに牽制してきた言葉は切なく感じた。
会合の後に何人かの参加者が当然その話題を切り出してきた。
なんだか場違い的な扱いでしたね。


学校生活の中で起きた隠蔽や対応についてどうであったか、どう苦しんできたのか、二度と同じ思いをしないで欲しいと願っている。これがスローガンであるならば、再発防止と真相究明の時に一番共有しなければならないのは経験していない保護者や大人達である。
何故なら、いざ事が起きた場合の真相究明を阻む材料として経験のない保護者が巻き込まれぬように傍観者として徹する事も大きな要因と考えているからです。
自分の子供が当事者でない時から活動していた私達は、時にモンペアだの御節介と言われ学校側には被害者寄りのカウンセラーと呼ばれながらも続けてきているのは保護者にも勇気を持って欲しいからです。目の前の保護者に勇気があれば生徒も変わると信じているからです。ご遺族の発信する会合がもっと共有しやすいものになって欲しいと願うばかりです。

これは、あくまでもオープン会費制参加者を募った会合での場合です。