第一 設問1
1 処分とは、公権力の主体たる国または地方公共団体の行う行為のうち、直接国民の権利義務を変動することが法律上認められているものをいう。C県知事の行為はC県に帰属するため、本件認可は地方公共団体たるC県の行う行為といえる。したがって、本件認可が法律上、直接国民の権利義務を変動するものであれば、本件認可は処分にあたることになる。
2 C組合の行政主体性について
C組合には、組合員に対する賦課金の賦課徴収権限や(40条1)これを怠った場合の過怠金の賦課権限(40条4)が与えられいる。また、組合員がこれらの納付を怠った場合、市町村に対しその徴収を申請したり(41条1)、場合によっては自ら滞納処分をする権限(40条4)が与えられている。これらの権限は、一方的に国民に対して義務を課すものであり、行政主体にのみ認められうるものである。このような行政主体特有の権限が本件組合に与えられているということは、本件組合は行政主体としての法的性質を与えられていると考えるべきである。
3 C県側の「下級行政機関である本件組合に対する本件認可は、処分には該当しない」との考え方について
(1) 都道府県知事は組合に対して必要な限度において報告若しくは資料の提出を求め、又は必要な勧告、助言若しくは援助をすることができるとされている(123条1項)。また、都道府県知事は、監督上必要がある場合においては、組合の事業又は会計の状況を検査することが出来るとされている。このように、都道府県知事の組合に対する様々な監督権限が付与されていることに照らせば、都道府県知事と本件組合は上級行政庁と下級行政庁という関係にあると考えるべきである。
(2) 上級行政庁による下級行政庁に対する認可等の行為は、行政の内部的行為であり、原則として処分性を有しないと考えられている。C県側としては、本件認可も上級行政庁たるC県知事による、下級行政庁たる本件組合に対する行為なのであるから、処分性が否定されると考えているものと思われる。
(3) しかし、行政の内部的行為が原則として処分性を否定されるのは、それが通常外部的効果、すなわち国民に対する直接的な権利変動を伴わないからである。そうであれば、たとえ行政庁の内部的行為であっても、それが国民の権利義務を直接変動させるものである場合には、処分性が認められると考える。
(4) これを本問についてみるに、本件組合は強制加入団体であるという法的性質を有しているのであり(25条)、組合員に脱退の自由はない。そして、法は組合に対して、賦課金につき強制徴収を行う権限を与えているところ(41条1項、4項)、補助金の増額や事業資金の借入れ等様々な対応を行ってもなお事業費不足が生じているという状況に照らせば、組合にとって組合員からの賦課金の徴収は是非とも必要であるのだから、組合は強制徴収権限を確実に行使すると考えられる。
そうであれば、本件認可は、脱退の自由の無い組合員を、確実に賦課金を徴収される地位に立たせるものであり、このような意味において本件認可は直接国民の権利義務を変動させるものといえる。
したがって、本件認可には処分性が認められる。
4 「条例の制定行為に処分性が認められないのと同様に、本件認可は処分に該当するものではありません」との主張について
(1) この主張は、市町村が土地区画整理事業を行う場合に制定される条例と、組合がこれを行う場合になされる本件認可は対応関係にあるところ、条例に処分性が否定される以上、同様に本件認可の性分性も否定されるはずだという考え方に依拠するものであると考えられる。すなわち、この考え方は、ある行為の処分性は、これと対応関係にある行為の処分性の有無を基準に決すべきであるとの考え方である。
市長村営土地区画整理事業計画決定の処分性が問題になった判例も、国営又は都道府県営の土地改良事業における「事業決定」には処分性が認められるところ、市町村営土地改良事業における「土地改良事業計画決定」はこれに対応するものであるため、処分性が認められると判断している。
(2) しかし、対応関係にある行為の処分性の有無は、法の仕組みを探る上で一つの参考にはなるであろうが、絶対的な基準にはなりえない。上述の通り、本件認可は組合員の権利義務を直接変動させるものである以上は、やはり処分性が認められると考えるべきである。
5 以上より、本件認可には処分性が認められる。
第二 設問2について
1 適法とする法律論
(1) 賦課金の徴収も法律上認められた権限なのであるから(40条1)、賦課金の徴収によって事業の遂行が可能であるならば「経済的基礎」(39条2項、21条1項4号)とはいえない。
(2) 賦課金の額が「公平」(39条2項、21条1項2号、40条2)か否かは宅地の地積等を考慮して実質的に決せられるべきであるところ、政策的見地から小規模宅地所有者につき賦課金を免除することもなお実質的平等の範囲内であり「公平」といえる。
(3) 白紙のままの書面議決権書500通は、理事Dへの白紙委任がなされたものであるから、Dが後でこれらに賛成の記載をしていたことは何ら問題とならない。
(4) 賦課金の算定方法の違法性が本件認可の違法性をもたらすわけではないから、結局本件認可は適法である。
2 違法とする法律論
(1) 賦課金の徴収に事業費のほとんどを依存するような状況下では「経済的基礎」を欠くといわざるをえない。
(2) あまりに特定少数の者に多くの負担を課す場合には、「公平」を欠くと言わざるを得ない。
(3) 白紙委任と解する明確な根拠は無い。
(4) 賦課金の算定方法と本件認可には密接な関係性があるから、前者の違法は後者の違法をもたらす。
3 私の考え
(1) 「経済的基礎」を欠くかどうか
ア たしかに、適法論がいうように、「経済的基礎」を欠くか否かを法律上認められた権限である賦課金の賦課徴収権限を一切無視することは、方の仕組みを無視するものであり適切でない。しかし、本件組合は強制加入団体であり、組合員には脱退の自由が無いため組合員の経済的負担はなるべく小さくすべきであるし、賦課金への過度の異存は事業の不合理性を推認させる。
そこで、事業の遂行が賦課金に過度に依存している場合には、「経済的基礎」を欠くものであると考える。
イ 本問では、事業計画が7度も繰り返されており、補助金の増額や事業資金の借入れによっても事業費不足が生じていることから、組合独自の財源は枯渇し、もはや賦課金に過度に依存せざるを得ない状況にあったといえる。
ウ よって「経済的基礎」を欠く。
(2) 「公平」かどうか
ア たしかに、適法論がいうように、「公平」とは実質的平等を意味すると考えられるが、実質的平等実現のための形式的不平等にも限度がある。
イ 本件のように、全体のわずか20パーセントにしかみたない少数の組合員に、15億円全額を負担させるという重大な不平等が生じており、不平等採取り扱いが限度を超えている。
ウ したがって、「公平」とはいえない。
(3) 白紙委任か
組合員は、書面または代理人を持って議決権を行使出来るとされており(38条3項)、白紙のままの議決権行使書面の提出は書面による議決権行使としてなされたものであった可能性がある(白紙である以上書面による議決権行使としては無効となる)。にもかかわらず、勝手に理事Dを代理人とする白紙委任と解することは、組合員の意思を不当に歪曲しかねず妥当でない。このため、違法論がいうように白紙委任と解する根拠は無く、Dの行為は違法である。
(4)賦課金の算定方法の違法性が本件認可にひきつがれるか
本件認可は、賦課金の算定方法を前提に認可の要件を充足するか否かを判断するのだから、違法論がいうように両者の間には密接な関係性がある。このため、ひきつがれると考える。
分析
出題趣旨の公表前なので、設問2について自由な分析をしてみます。
設問2では、ひとことでいうと、従来の履行補助者論の再検討がテーマだったのではないかと考えています。
履行補助者とは、従来、債務者が「自分の債務の一部」を履行させるため、「自己の手足として」利用する者であったと思います。
本問では、Hの行う内装工事は賃借人の債務ではないので、HはFの「債務の一部」を履行するものではありません。また、なにより大きいのは、Hは請負人であって独立性を有するから、Fの「手足」となる者ではありません。しかも、BはHに内装工事をさせることを承諾しているという事情もあります。
このように、従来の通説を当てはめると、Hは余裕で履行補助者にはあたらない事案だと思われます。
では、だからといって履行補助者論を容易に否定して良いのでしょうか。従来の通説にしたがって履行補助者論をさくっとあきらめることは、いわゆる予備校の弊害と言われる事態だと思われます。
「予備校の本でそう書いてあった」という理由で、簡単に履行補助者性を否定してしまうのは、思考停止に陥っているに等しく、まさに試験委員の思うつぼだと思われます。論パをひたすら覚えまくってる受験生のことをきっと試験員はキモくてたまらないと思っており、そいつらをいかにして落としてやろうかを考えて問題を作っているでしょう(もちろん過言ですが)。
そもそも、なぜ主張反論型になっているのか。それは、従来の通説を批判的に検討しろというメッセージなのではないかと考えます。主張反論型で書くためには、異なる立場を想定することが不可欠ですので、たとえ通説が確立している論点でもそれを異なる立場から批判的に検討せざるを得ないからです。
つまり、①履行補助者の従属性、②債務者と履行補助者の債務の共通性を要求している従来の履行補助者論を本当に維持すべきなのかどうかという点、また、③債権者の承諾を得ている点をどう考えるのかを自分なりにその場で考えることができるか、という点を試験委員は聞いていたのではないかと思われます。
なお、僕は不法行為については検討しなかったのですが、それはなぜかというと、請負人を「使用者」とするのはさすがに難しいだろうと思ったからです(無理かどうかは分かりません)。
ですが、今思うと、不法行為責任を否定したうえで、なぜ債務不履行と不法行為で結論が変わるのかについて捕捉できれば良かったのではないかと思います。
再現答案
第一 設問1
1まず、AがCに対し、保証債務の履行を請求するためには、どのような主張をする必要があるか。
(1) 保証債務の履行を請求するためには、保証契約の締結とそれが書面によりなされたことを主張する必要がある(446条1項)。また、保証債務の附従性(448条参照)から、保証契約の締結を主張するにあたっては主債務の発生原因事実を主張しなければならない。
そして、本件では、保証契約の締結は、代理形式でなされている。代理の要件事実は顕名、法律行為、これに先立つ代理権の授与であるが、無権代理人に対し本人が事後的に追認した本件事案においては、代理権の授与に代えて本人の追認を主張すべきである。以上より、Aが本件で主張すべき事実は、①主債務の発生原因事実、②顕名、③法律行為、④本人の追認、⑤保証契約が書面でなされたことに該当する具体的な事実である。
(2) したがって、Aは、①平成22年6月11日、AがBに対して甲土地を代金6000万円で売ったこと、②保証契約書にBがCの代理人である旨を示して署名をすることで顕名を行ったこと、③①の売買契約に基づきBが負う代金債務についてCが連帯して保証する旨を示す保証契約書をBがAとともに作成することで、BがAとの間で保証契約を締結したこと、④Cが、Aに電話で連帯保証人になることに異存はないと告げることで追認を行ったこと、⑤AとBが③の保証契約を書面の作成を通じて行ったこと、という事実を主張する必要がある。
2 そうだとしても、本件保証契約書は、契約締結当時無権代理人であったBにより作成されたものであるから、「書面」(446条2項)にあたらないのではないかという問題点により、上記主張の正当性に疑問が生じる。
(1) そもそも、446条2項が書面の作成を要求した趣旨は、保証人が重い責任を負いうることから、書面の作成を通じて保証意思を明確にする点にある。そうであれば、書面作成当時無権代理人であった者が作成した書面であっても、書面を確認したうえで追認を行うことを通じて本人の保証意思が明確になっているといえるのであれば「書面」に該当すると考える。
(2) 本件では、BはCに対し、契約内容が記載された契約書を示したうえで、締結した契約の内容とその経緯を説明しているから、Cはもし自分が負うことになる債務の内容を正確に理解したといえる。このため、Cは軽はずみな気持ちでは追認をすることはできなくなっていた。また、本人に直接口頭で追認の意思表示をすれば、相手に契約の有効性に関する期待を持たせることになる以上、もはや後戻りはできないことは、Cも十分理解していたはずである。にもかかわらず、Cは、あえて契約の相手方であるAに対して電話をして追認をしていることから、Cの保証意思は明確になっていたといえる。
(3) よって、本件書面も「書面」に該当する。以上より、Aの主張は正当である。
第二 設問2
1 Bは、Eに支払った報酬に相当する金銭の支払をFに求めるために、以下のようにFの債務不履行責任を主張することが考えられる。
(1) まず、Fは善管注意義務(400条、616条、597条1項)の内容として、賃貸目的物を破損を生じさせない義務を負う。にもかかわらず、丙建物の一部に亀裂が生じており、かかる義務に対する違反が認められるから、債務の不履行が認められる。
(2) また、たしかにかかる亀裂を生じさせたのはHであるから、Fには過失が無く、Fに帰責事由が認められないとも思える。しかし、契約関係に入った当事者は信義則(1条2項)の支配する緊密な関係に立つことから、履行補助者の過失は信義則上債務者の過失と同視され、債務者の帰責事由に含まれると考える。Hは履行補助者にあたるところ、亀裂はHが誤って生じさせたものである以上、Hに過失が認められ、これがFの過失と同視される。したがって、Fには帰責事由が認められる。
(3) そして、BにはEに支払った報酬に相当する金銭額につき「損害」が生じており、これと上記債務不履行の間には因果関係がある。
(4) よって、Fは債務不履行責任を負う。
2 Fは、以下のように主張することが考えられる。
(1) まず、H建物に生じた亀裂の修繕費用は、「必要費」(608条1項)として賃貸人の負担すべきものであるから、これを支出したことはBの「損害」にあたらない。
(2) また、以下のような理由から、HはFの履行補助者にあたらず、帰責事由が認められない。
履行補助者とは、債務者が自分の債務の一部をかわりに履行させるため、自己の手足として利用するものをいう。Hは請負人であることから、独立性があり、Fが「自己の手足として」利用できるものではない。また、賃貸目的物の内装工事は賃借人が賃貸人に対して負う債務ではないから、HはFの「債務の一部」をかわりに履行しているわけではない。したがって、HはFの履行補助者にあたらない。
Hの独立性に照らすと、Hはいわゆる履行代行者に近い立場にあり、Bの承諾がある本件事案においてはFにHに対する選任監督上過失が無い限りはFの帰責事由は認められない。Hは飲食店の内装工事を専門とする業者であるから、FがHを選任したことに過失は無い。また、FはHと共に内装の仕様及び施行方法を検討しており、不適切な工事を防止するための努力をしているから、Fに監督上の過失もなかった。
したがって、Fに帰責事由は認められない。
3 では、いずれの主張が認められるか。
(1) 「必要費」(608条1項)とは、目的物を使用収益可能な状態に維持するために必要な費用のうち、賃借人の帰責事由によらずに生じたものである。このため、本件修繕費用の「必要費」該当性は、結局Fの帰責事由の有無に依存する。
(2) では、Fに帰責事由が認められるか。
ア Fの主張は、①Hの独立性と②HとFの債務の非同質性からHの履行補助者性を否定し、③Bの承諾を根拠にFの帰責事由を限定するものである。しかし、そもそも、履行補助者の過失を債務者の過失と同視し、債務者の帰責事由に含まれるとする根拠は、信義則にあった。信義則は、民法の究極のり理念である公平を実現するための原則である。そうであれば、他人の過失が債務者の帰責事由に含まれるか否かについては、①他人の独立性、②債務の同質性、③承諾の有無等に拘泥することなく、当該他人の過失を債権者と債務者のいずれに負担に帰することが公平かによって決すべきであると考える。
イ 賃貸人は、目的物を通常の使用収益に適した状態にして賃借人に引き渡せば足りるのであって、コーヒーショップとしての利用という具体的な使用収益を可能にするために内装工事を行うことまでは賃貸人の役目ではない。このため、かかる内装工事での出来事は賃借人の支配領域内にあるといえるから、内装工事の過程で生じた他人の過失については、①その他人の独立性の有無や②債務の同質性いかんにかかわらず、賃借人の負担に帰することが公平であるといえる。また、③Bの承諾については、工事を行うことを認めるという趣旨のものにすぎず、工事の過程で生じた他人の過失について自分の負担に帰することを認める趣旨まで含むものではないと考えられるから、上記結論を左右しない。
ウ よって、Hの過失はFの帰責事由に含まれるといえるため、Bの主張が正当である。なお、このように考えても、FはHに対して請負人の担保責任(634条)を追求できるから、Fに酷ではない。
第三 設問3
1 Gが報酬相当額の支払いをBに対し請求する権利を有するのは、外気が吹き込む状態で建物を利用することはできず、これを修繕するための費用は「必要費」(608条1項)にあたるためである。これによって、GのBに対する必要費償還請求権が発生する。
2 次に、Gは以下のようにして、判例の射程は本件事案に及ばないと主張すべきである。
(1) 判例は、「相殺することに対する賃借人の期待を物上代位の行使により賃料債権に及んでいる抵当権の効力に優先させる理由はない」ことを理由とするものである。そうであれば、相殺への期待を優先すべき特段の事情がある場合には、判例の射程は及ばず、賃借人は抵当権者による差押後も抵当権登記後に発生した債権を自働債権として賃料債権との相殺を行うことができると考える。
(2) 判例の事案で主張された自働債権は、現在継続中の賃貸借契約ではなく、すでに終了した賃貸借契約との関係で発生した保証金返還請求権である。これに対し、本件事案における自働債権は、現在継続中の賃貸借契約から生じた必要費償還請求権である。
賃貸借契約が継続的契約であり、出来る限り金銭を実際に手渡す労力を省略したいと考えるのが通常であることに照らせば、現在継続中の賃貸借契約から生じた債権については、賃料と適時相殺されたものと期待することが通常である。
そうであれば、現在継続中の賃貸借契約から生じた債権を自働債権とする賃料債権との相殺への期待は、そうでない債権を自働債権とするものより強いといえる。
したがって、本件事案においては、判例の事案よりも相殺に対する期待が強く、相殺への期待を優先すべき特段の事情があるといえる。
(3) よって、判例の射程は本件には及ばず、相殺できる。
出題趣旨の公表前なので、設問2について自由な分析をしてみます。
設問2では、ひとことでいうと、従来の履行補助者論の再検討がテーマだったのではないかと考えています。
履行補助者とは、従来、債務者が「自分の債務の一部」を履行させるため、「自己の手足として」利用する者であったと思います。
本問では、Hの行う内装工事は賃借人の債務ではないので、HはFの「債務の一部」を履行するものではありません。また、なにより大きいのは、Hは請負人であって独立性を有するから、Fの「手足」となる者ではありません。しかも、BはHに内装工事をさせることを承諾しているという事情もあります。
このように、従来の通説を当てはめると、Hは余裕で履行補助者にはあたらない事案だと思われます。
では、だからといって履行補助者論を容易に否定して良いのでしょうか。従来の通説にしたがって履行補助者論をさくっとあきらめることは、いわゆる予備校の弊害と言われる事態だと思われます。
「予備校の本でそう書いてあった」という理由で、簡単に履行補助者性を否定してしまうのは、思考停止に陥っているに等しく、まさに試験委員の思うつぼだと思われます。論パをひたすら覚えまくってる受験生のことをきっと試験員はキモくてたまらないと思っており、そいつらをいかにして落としてやろうかを考えて問題を作っているでしょう(もちろん過言ですが)。
そもそも、なぜ主張反論型になっているのか。それは、従来の通説を批判的に検討しろというメッセージなのではないかと考えます。主張反論型で書くためには、異なる立場を想定することが不可欠ですので、たとえ通説が確立している論点でもそれを異なる立場から批判的に検討せざるを得ないからです。
つまり、①履行補助者の従属性、②債務者と履行補助者の債務の共通性を要求している従来の履行補助者論を本当に維持すべきなのかどうかという点、また、③債権者の承諾を得ている点をどう考えるのかを自分なりにその場で考えることができるか、という点を試験委員は聞いていたのではないかと思われます。
なお、僕は不法行為については検討しなかったのですが、それはなぜかというと、請負人を「使用者」とするのはさすがに難しいだろうと思ったからです(無理かどうかは分かりません)。
ですが、今思うと、不法行為責任を否定したうえで、なぜ債務不履行と不法行為で結論が変わるのかについて捕捉できれば良かったのではないかと思います。
再現答案
第一 設問1
1まず、AがCに対し、保証債務の履行を請求するためには、どのような主張をする必要があるか。
(1) 保証債務の履行を請求するためには、保証契約の締結とそれが書面によりなされたことを主張する必要がある(446条1項)。また、保証債務の附従性(448条参照)から、保証契約の締結を主張するにあたっては主債務の発生原因事実を主張しなければならない。
そして、本件では、保証契約の締結は、代理形式でなされている。代理の要件事実は顕名、法律行為、これに先立つ代理権の授与であるが、無権代理人に対し本人が事後的に追認した本件事案においては、代理権の授与に代えて本人の追認を主張すべきである。以上より、Aが本件で主張すべき事実は、①主債務の発生原因事実、②顕名、③法律行為、④本人の追認、⑤保証契約が書面でなされたことに該当する具体的な事実である。
(2) したがって、Aは、①平成22年6月11日、AがBに対して甲土地を代金6000万円で売ったこと、②保証契約書にBがCの代理人である旨を示して署名をすることで顕名を行ったこと、③①の売買契約に基づきBが負う代金債務についてCが連帯して保証する旨を示す保証契約書をBがAとともに作成することで、BがAとの間で保証契約を締結したこと、④Cが、Aに電話で連帯保証人になることに異存はないと告げることで追認を行ったこと、⑤AとBが③の保証契約を書面の作成を通じて行ったこと、という事実を主張する必要がある。
2 そうだとしても、本件保証契約書は、契約締結当時無権代理人であったBにより作成されたものであるから、「書面」(446条2項)にあたらないのではないかという問題点により、上記主張の正当性に疑問が生じる。
(1) そもそも、446条2項が書面の作成を要求した趣旨は、保証人が重い責任を負いうることから、書面の作成を通じて保証意思を明確にする点にある。そうであれば、書面作成当時無権代理人であった者が作成した書面であっても、書面を確認したうえで追認を行うことを通じて本人の保証意思が明確になっているといえるのであれば「書面」に該当すると考える。
(2) 本件では、BはCに対し、契約内容が記載された契約書を示したうえで、締結した契約の内容とその経緯を説明しているから、Cはもし自分が負うことになる債務の内容を正確に理解したといえる。このため、Cは軽はずみな気持ちでは追認をすることはできなくなっていた。また、本人に直接口頭で追認の意思表示をすれば、相手に契約の有効性に関する期待を持たせることになる以上、もはや後戻りはできないことは、Cも十分理解していたはずである。にもかかわらず、Cは、あえて契約の相手方であるAに対して電話をして追認をしていることから、Cの保証意思は明確になっていたといえる。
(3) よって、本件書面も「書面」に該当する。以上より、Aの主張は正当である。
第二 設問2
1 Bは、Eに支払った報酬に相当する金銭の支払をFに求めるために、以下のようにFの債務不履行責任を主張することが考えられる。
(1) まず、Fは善管注意義務(400条、616条、597条1項)の内容として、賃貸目的物を破損を生じさせない義務を負う。にもかかわらず、丙建物の一部に亀裂が生じており、かかる義務に対する違反が認められるから、債務の不履行が認められる。
(2) また、たしかにかかる亀裂を生じさせたのはHであるから、Fには過失が無く、Fに帰責事由が認められないとも思える。しかし、契約関係に入った当事者は信義則(1条2項)の支配する緊密な関係に立つことから、履行補助者の過失は信義則上債務者の過失と同視され、債務者の帰責事由に含まれると考える。Hは履行補助者にあたるところ、亀裂はHが誤って生じさせたものである以上、Hに過失が認められ、これがFの過失と同視される。したがって、Fには帰責事由が認められる。
(3) そして、BにはEに支払った報酬に相当する金銭額につき「損害」が生じており、これと上記債務不履行の間には因果関係がある。
(4) よって、Fは債務不履行責任を負う。
2 Fは、以下のように主張することが考えられる。
(1) まず、H建物に生じた亀裂の修繕費用は、「必要費」(608条1項)として賃貸人の負担すべきものであるから、これを支出したことはBの「損害」にあたらない。
(2) また、以下のような理由から、HはFの履行補助者にあたらず、帰責事由が認められない。
履行補助者とは、債務者が自分の債務の一部をかわりに履行させるため、自己の手足として利用するものをいう。Hは請負人であることから、独立性があり、Fが「自己の手足として」利用できるものではない。また、賃貸目的物の内装工事は賃借人が賃貸人に対して負う債務ではないから、HはFの「債務の一部」をかわりに履行しているわけではない。したがって、HはFの履行補助者にあたらない。
Hの独立性に照らすと、Hはいわゆる履行代行者に近い立場にあり、Bの承諾がある本件事案においてはFにHに対する選任監督上過失が無い限りはFの帰責事由は認められない。Hは飲食店の内装工事を専門とする業者であるから、FがHを選任したことに過失は無い。また、FはHと共に内装の仕様及び施行方法を検討しており、不適切な工事を防止するための努力をしているから、Fに監督上の過失もなかった。
したがって、Fに帰責事由は認められない。
3 では、いずれの主張が認められるか。
(1) 「必要費」(608条1項)とは、目的物を使用収益可能な状態に維持するために必要な費用のうち、賃借人の帰責事由によらずに生じたものである。このため、本件修繕費用の「必要費」該当性は、結局Fの帰責事由の有無に依存する。
(2) では、Fに帰責事由が認められるか。
ア Fの主張は、①Hの独立性と②HとFの債務の非同質性からHの履行補助者性を否定し、③Bの承諾を根拠にFの帰責事由を限定するものである。しかし、そもそも、履行補助者の過失を債務者の過失と同視し、債務者の帰責事由に含まれるとする根拠は、信義則にあった。信義則は、民法の究極のり理念である公平を実現するための原則である。そうであれば、他人の過失が債務者の帰責事由に含まれるか否かについては、①他人の独立性、②債務の同質性、③承諾の有無等に拘泥することなく、当該他人の過失を債権者と債務者のいずれに負担に帰することが公平かによって決すべきであると考える。
イ 賃貸人は、目的物を通常の使用収益に適した状態にして賃借人に引き渡せば足りるのであって、コーヒーショップとしての利用という具体的な使用収益を可能にするために内装工事を行うことまでは賃貸人の役目ではない。このため、かかる内装工事での出来事は賃借人の支配領域内にあるといえるから、内装工事の過程で生じた他人の過失については、①その他人の独立性の有無や②債務の同質性いかんにかかわらず、賃借人の負担に帰することが公平であるといえる。また、③Bの承諾については、工事を行うことを認めるという趣旨のものにすぎず、工事の過程で生じた他人の過失について自分の負担に帰することを認める趣旨まで含むものではないと考えられるから、上記結論を左右しない。
ウ よって、Hの過失はFの帰責事由に含まれるといえるため、Bの主張が正当である。なお、このように考えても、FはHに対して請負人の担保責任(634条)を追求できるから、Fに酷ではない。
第三 設問3
1 Gが報酬相当額の支払いをBに対し請求する権利を有するのは、外気が吹き込む状態で建物を利用することはできず、これを修繕するための費用は「必要費」(608条1項)にあたるためである。これによって、GのBに対する必要費償還請求権が発生する。
2 次に、Gは以下のようにして、判例の射程は本件事案に及ばないと主張すべきである。
(1) 判例は、「相殺することに対する賃借人の期待を物上代位の行使により賃料債権に及んでいる抵当権の効力に優先させる理由はない」ことを理由とするものである。そうであれば、相殺への期待を優先すべき特段の事情がある場合には、判例の射程は及ばず、賃借人は抵当権者による差押後も抵当権登記後に発生した債権を自働債権として賃料債権との相殺を行うことができると考える。
(2) 判例の事案で主張された自働債権は、現在継続中の賃貸借契約ではなく、すでに終了した賃貸借契約との関係で発生した保証金返還請求権である。これに対し、本件事案における自働債権は、現在継続中の賃貸借契約から生じた必要費償還請求権である。
賃貸借契約が継続的契約であり、出来る限り金銭を実際に手渡す労力を省略したいと考えるのが通常であることに照らせば、現在継続中の賃貸借契約から生じた債権については、賃料と適時相殺されたものと期待することが通常である。
そうであれば、現在継続中の賃貸借契約から生じた債権を自働債権とする賃料債権との相殺への期待は、そうでない債権を自働債権とするものより強いといえる。
したがって、本件事案においては、判例の事案よりも相殺に対する期待が強く、相殺への期待を優先すべき特段の事情があるといえる。
(3) よって、判例の射程は本件には及ばず、相殺できる。
分析
出題趣旨が出る前ですが(だからこそ)、自分なりに自分の答案と評価を分析してみます。匿名ブログなので好き勝手言います。平成25年憲法の全体的でより深い解説を読みたい方は、僕の師匠のブログ「憲法の流儀」をご覧下さい。
全体的に雑であまり出来たとは思わなかったのですが、2つめの処分のところで「大学の教室をゼミ活動目的で使用する自由」が憲法上保障されるかを不十分ながら自分なりに論じたところが高く評価されたのではないかと思っています。
「大学の教室をゼミ活動目的で使用する自由」は、「市民会館を集会利用目的で使用する自由」と似ていると思いました。そこで、泉佐野市民会館事件において、集会利用の自由が憲法上保障されるか否かにつきどのように判示されたかを思い出してみました。
憲法上の権利の作法新版22ページ以下に書いてあるように、泉佐野での問題意識は、
「防御権としての表現の自由・集会の自由は、公権力によって妨げられないということの保障であり、本来は<国や自治体が所有する物品・施設等を利用させろ>という請求権を含むものではない。したがって、市民会館で集会を行うのは、権利ではなく反射的利益の問題であり、自治体が利用を拒否した結果、集会が開催できなくなったとしても、自治体は場所を提供するという積極的な措置を行わなかっただけであり、集会を妨げたことにはならないと解する余地がある。そうなると、市民会館の使用不許可は、集会の自由に対する制限ではないため、憲法上の正当化は要求されないことになる」
という点にありました。このことは、大学の教室を使用する自由にもそっくりそのままあてはまることだと思います。つまり、大学側は、Aらの学問活動を妨げたのではなく、学問活動のために教室を貸してあげるという積極的な措置を行わなかっただけであるから、防御権たる学問の自由はなんら制約されていないのではないか、という問題意識が聞かれているのではないかということです。
では、泉佐野事件では、どのような判示がなされたのでしょうか。
「本件会館は、地方自治法244条にいう公の施設にあたるから、市側は正当な理由がない限り住民がこれを利用することを拒んではならず・・・住民はその施設の設置目的に反しない限りその利用を原則的に認められ」るから、「管理者が正当な理由なくその利用を拒否するときは、憲法の保障する集会の自由の不当な制約につながるおそれが生じる」
と判示しています。つまり、たしかに、市民会館利用の自由は請求権にもみえるけれども、地自法244条が「住民なら原則的に市民会館を使って良い」旨定めていることから、原則市民会館の利用は自由だ、すなわち市民会館利用の自由は自由権に近接するのだという趣旨だと考えられます。
本問題では、「教育・研究目的での使用」であれば教室使用を認める旨定める大学規則が、泉佐野事件における地自方244条に相当するといえそうです。だから、泉佐野の事案を応用して、「大学教室使用の自由は請求権にもみえるけど、大学規則によって原則自由に使用できるとされているんだから、自由権として構成できる」という趣旨の立論が可能だと思われます。
これに加えて、学説上、請求権を自由権と構成する理由として「国家が給付を通じて選別を行い、給付を通じた自由の操作を行う可能性がある」(作法201ページ)ことが指摘されています。これを、学問の自由の保障根拠とからめて、「大学が自分の気に入らない学問活動を、教室使用の有無を通じて弾圧するおそれがあり、批判的性格故に弾圧を受けやすいことから特別な保障を与えるという学問の自由の保障根拠を没却する」などと指摘すると、より説得的になると思われます。
以上のように、請求権にもみえる教室使用の自由を、①大学規則により教室使用が原則自由であること、②給付を通じた恣意的規制のおそれという点から、自由権として構成するということが、二つ目の不許可処分を考える上でのポイントだのではないかと考えられます。つまり、「自由権と請求権」が大きなテーマだったのではないかということです。
ただし、パブリックフォーラムの利用が自由権として構成できるのは、あくまで「施設の設置目的に反しない限り」です。大学の教室は学問的活動を行う目的で設置されているのであり、政治的活動をおこなうためではありません。このため、本問でも、Aらの教室利用が本当に政治的目的ではなく学問的目的であったのかを認定する必要があると思われます。問題文に、「大学側は・・・Cゼミ主催の講演会は政治的色彩が強いと判断した」と書いてあるのも、このことを示唆するものと考えられます。
さて、出題趣旨が出て、全然違ってたら悲しいですね! 疑問点等あれば、コメントして下さればもれなくお答えいたします! 次は民法(213.52点)をアップ予定です!
再現
第一 設問1
1 ひとつめの不許可処分について
(1) まず、B県集団運動に関する条例(以下「条例」という)3条第1項第4号は、「平穏な生活環境を害する行為」又は「商業活動に支障を来す行為」該当性をデモ行進の不許可事由としている点で、デモ行進の自由を侵害して違憲であると主張する。
ア デモ行進は歩く集会といえるから、デモ行進の自由は集会の自由(21条1項)の一環として保障される。条例3条第1項4号はデモ行進の不許可自由を定めることで上記自由を制約している。
イ たしかに、上記規定はデモの内容に直接着目したものではない。しかし、デモ行進の自由は、資力の乏しい一般市民でも自分の意見を表明するために容易に参加しうるものである。このため、これを規制することはメディアへのアクセス権限を持たない一般市民から表現の機会自体を奪うことになりかねない。これでは、あらゆる意見を闘わせて真理に到達するという思想の自由市場が歪められ、健全な民主政を維持できない。そこで、本件制約の合憲性は厳格審査基準により判断すべきと考える。
ウ 目的は、平穏な生活環境及び円滑な商業活動を確保する点にあると解される。しかし、平穏なデモ行進により生じる生活環境や商業活動への影響は社会的な受忍限度にあると考えられ、上記の重要性を有するデモ行進の自由に対抗しうる反対利益にはなり得ない。したがって、目的が必要不可欠とはいえない。
エ よって、本件制約は違憲である。
(2) 次に、仮に条例が合憲であったとしても、これを本件デモ申請に適用することは違憲であると主張する。
ア Aが申請した本件デモは、「格差の是正」を訴えるものであるところ、これと密接な関係のある「社会福祉関係費の削減の是非」が住民投票にかけられている。このことから、本件デモは、住民の生活にかかわる重要な政治的決定のための判断資料を与えるきわめて重要なものであることがわかる。したがって、Aに本件条例を適用するにあたっては、「生活環境」への害悪や「商業活動」への支障は、単にその存在が認めらるだけでなく、それが重大なものでなければならないと考える。
イ Aのデモは、第一回と第二回ともに、拡声器を使用せず、ビラも配らずに行われたのであるから、これにより「生活環境」や「商業活動」になんらかの害悪や支障が生じたとしてもそれが重大なものであったとは到底考えられない。
ウ よって、本件適用は違憲である。
2 二つ目の不許可処分について
ゼミ活動目的で大学の教室を使用する自由は、ゼミ活動が学問的活動の一環であることから、学問の自由として23条により保障される。本件不許可処分はかかる自由を侵害して違憲である。
第二 設問2
1 ひとつめの不許可処分について
(1) 条例3条1項4号の違憲性
ア B県側は、いわゆる集団暴徒化論に依拠してより緩やかな違憲審査基準を用いるべきと反論することが考えられる。
集団暴徒化論とは、多数人の存在という物理的な力や勢いをもとに意見を強力に主張するというデモ行進の性質上、デモ行進参加者が勢いあまって暴徒と化すおそれがあり、ひとたび暴徒と化せば警察やデモの指揮者でさえこれを鎮圧することができなくなるというものである。しかし、本当にそうか。
たしかに、学生運動が盛んなころはこのようなことが言えたかもしれないが、現在もそうだと言い切る事はできない。原発デモが平和的に行われていることをみても、集団暴徒化論は今では抽象的な不安感に基づくものと言わざるをえない。
したがって、被告の反論は妥当でなく、やはり厳格審査基準を用いるべきである。
イ よって、本件制約は違憲である。
(1) 条例の適用の違憲性
ア B県側としては、Aのデモにより交通渋滞が生じて住宅街の道路が迂回路として使われていたことから、次回のデモを認めたのでは住宅街で交通事故や著しい騒音被害という「生活環境」への重大な悪影響が生じるおそれがあるし、飲食店の売り上げの減少は「商業活動」への重大な支障にあたると反論することが考えられる。
イ しかし、迂回してきた車が交通規制を遵守するかぎり、交通量が増えたからといってかならずしも交通事故が生じるとは限らず、これが生じるおそれは観念的な想定にすぎない。また、シュプレヒコールに伴う騒音は、学校の部活動からもれてくるかけ声等、一般に受忍されている騒音と何らことなるところはなく、これを「生活環境」への重大な支障ということはできない。さらに、デモ行進が継続して何日も行われるわけではなく、売り上げ減少はデモ当日に限られるし、このような売り上げ減少は開業リスクに含まれているのだから、これを「商業活動」への重大な支障ということもできない。
ウ よって、本件適用は違憲である。
2 二つ目の不許可処分について
(1) B県側は、ゼミ活動目的で大学の教室を使用する自由は、請求権であり、23条の保障の範囲外であると反論することが考えられる。
たしかに、学問の自由は、国家に対し自分の学問的活動に不当に介入しないでくれという不作為を要求する自由権である。本件自由は、不作為ではなく、教室の供用という作為を要求するものである点で、請求権的側面を持つことは否めない。
しかし、B県立大学教室使用規制では「教育・研究目的での使用」であれば教室使用を認める旨定められている。また、実際に教授の承認を得たゼミ活動目的であれば教室使用を許可する運用がなされている。このため、大学の学生であれば、教室をゼミ活動目的で使用することが原則として自由であった。そうであれば、大学の教室は学問活動のためのいわばパブリックフォーラムとしての側面を有しているといえる。にもかかわらず、教室使用の自由が23条の保障範囲に含まれないとするならば、大学が気に入らない学問活動につき教室使用不許可を通じて弾圧することが可能となり、「批判的性質ゆえに弾圧を受けやすいことから学問の自由を特に保障する」という学問の自由の保障根拠が没却される。
そこで、学問的使用の限度で、上記自由は23条により保障されると考える。
(2) そうだとしても、B県側は、Aらのデモ行進が県条例に違反すること、ニュースのAの発言が県政批判にあたること、講演者が政治家であることから、本件講演会は政治的なものであり、学問的なものではないから、上記自由は23条の保護範囲外だと反論することが考えられる。
しかし、条例違反の点は司法的に確定されたわけではないから、いえない。また、本件講演は当初から計画されていたものであり、ニュース発言とは直接関係ない。しかも、本件講演会には知事の方針につき賛成派と反対派の両方をまねくことが予定されていた。このことから、本件講演は、特定の意見を主張するという政治的なものでなく、異なる立場をぶつけて真理への到達を目指す学問的なものだったといえる。
よって、被告は全て失当。
(3) 違憲。
出題趣旨が出る前ですが(だからこそ)、自分なりに自分の答案と評価を分析してみます。匿名ブログなので好き勝手言います。平成25年憲法の全体的でより深い解説を読みたい方は、僕の師匠のブログ「憲法の流儀」をご覧下さい。
全体的に雑であまり出来たとは思わなかったのですが、2つめの処分のところで「大学の教室をゼミ活動目的で使用する自由」が憲法上保障されるかを不十分ながら自分なりに論じたところが高く評価されたのではないかと思っています。
「大学の教室をゼミ活動目的で使用する自由」は、「市民会館を集会利用目的で使用する自由」と似ていると思いました。そこで、泉佐野市民会館事件において、集会利用の自由が憲法上保障されるか否かにつきどのように判示されたかを思い出してみました。
憲法上の権利の作法新版22ページ以下に書いてあるように、泉佐野での問題意識は、
「防御権としての表現の自由・集会の自由は、公権力によって妨げられないということの保障であり、本来は<国や自治体が所有する物品・施設等を利用させろ>という請求権を含むものではない。したがって、市民会館で集会を行うのは、権利ではなく反射的利益の問題であり、自治体が利用を拒否した結果、集会が開催できなくなったとしても、自治体は場所を提供するという積極的な措置を行わなかっただけであり、集会を妨げたことにはならないと解する余地がある。そうなると、市民会館の使用不許可は、集会の自由に対する制限ではないため、憲法上の正当化は要求されないことになる」
という点にありました。このことは、大学の教室を使用する自由にもそっくりそのままあてはまることだと思います。つまり、大学側は、Aらの学問活動を妨げたのではなく、学問活動のために教室を貸してあげるという積極的な措置を行わなかっただけであるから、防御権たる学問の自由はなんら制約されていないのではないか、という問題意識が聞かれているのではないかということです。
では、泉佐野事件では、どのような判示がなされたのでしょうか。
「本件会館は、地方自治法244条にいう公の施設にあたるから、市側は正当な理由がない限り住民がこれを利用することを拒んではならず・・・住民はその施設の設置目的に反しない限りその利用を原則的に認められ」るから、「管理者が正当な理由なくその利用を拒否するときは、憲法の保障する集会の自由の不当な制約につながるおそれが生じる」
と判示しています。つまり、たしかに、市民会館利用の自由は請求権にもみえるけれども、地自法244条が「住民なら原則的に市民会館を使って良い」旨定めていることから、原則市民会館の利用は自由だ、すなわち市民会館利用の自由は自由権に近接するのだという趣旨だと考えられます。
本問題では、「教育・研究目的での使用」であれば教室使用を認める旨定める大学規則が、泉佐野事件における地自方244条に相当するといえそうです。だから、泉佐野の事案を応用して、「大学教室使用の自由は請求権にもみえるけど、大学規則によって原則自由に使用できるとされているんだから、自由権として構成できる」という趣旨の立論が可能だと思われます。
これに加えて、学説上、請求権を自由権と構成する理由として「国家が給付を通じて選別を行い、給付を通じた自由の操作を行う可能性がある」(作法201ページ)ことが指摘されています。これを、学問の自由の保障根拠とからめて、「大学が自分の気に入らない学問活動を、教室使用の有無を通じて弾圧するおそれがあり、批判的性格故に弾圧を受けやすいことから特別な保障を与えるという学問の自由の保障根拠を没却する」などと指摘すると、より説得的になると思われます。
以上のように、請求権にもみえる教室使用の自由を、①大学規則により教室使用が原則自由であること、②給付を通じた恣意的規制のおそれという点から、自由権として構成するということが、二つ目の不許可処分を考える上でのポイントだのではないかと考えられます。つまり、「自由権と請求権」が大きなテーマだったのではないかということです。
ただし、パブリックフォーラムの利用が自由権として構成できるのは、あくまで「施設の設置目的に反しない限り」です。大学の教室は学問的活動を行う目的で設置されているのであり、政治的活動をおこなうためではありません。このため、本問でも、Aらの教室利用が本当に政治的目的ではなく学問的目的であったのかを認定する必要があると思われます。問題文に、「大学側は・・・Cゼミ主催の講演会は政治的色彩が強いと判断した」と書いてあるのも、このことを示唆するものと考えられます。
さて、出題趣旨が出て、全然違ってたら悲しいですね! 疑問点等あれば、コメントして下さればもれなくお答えいたします! 次は民法(213.52点)をアップ予定です!
再現
第一 設問1
1 ひとつめの不許可処分について
(1) まず、B県集団運動に関する条例(以下「条例」という)3条第1項第4号は、「平穏な生活環境を害する行為」又は「商業活動に支障を来す行為」該当性をデモ行進の不許可事由としている点で、デモ行進の自由を侵害して違憲であると主張する。
ア デモ行進は歩く集会といえるから、デモ行進の自由は集会の自由(21条1項)の一環として保障される。条例3条第1項4号はデモ行進の不許可自由を定めることで上記自由を制約している。
イ たしかに、上記規定はデモの内容に直接着目したものではない。しかし、デモ行進の自由は、資力の乏しい一般市民でも自分の意見を表明するために容易に参加しうるものである。このため、これを規制することはメディアへのアクセス権限を持たない一般市民から表現の機会自体を奪うことになりかねない。これでは、あらゆる意見を闘わせて真理に到達するという思想の自由市場が歪められ、健全な民主政を維持できない。そこで、本件制約の合憲性は厳格審査基準により判断すべきと考える。
ウ 目的は、平穏な生活環境及び円滑な商業活動を確保する点にあると解される。しかし、平穏なデモ行進により生じる生活環境や商業活動への影響は社会的な受忍限度にあると考えられ、上記の重要性を有するデモ行進の自由に対抗しうる反対利益にはなり得ない。したがって、目的が必要不可欠とはいえない。
エ よって、本件制約は違憲である。
(2) 次に、仮に条例が合憲であったとしても、これを本件デモ申請に適用することは違憲であると主張する。
ア Aが申請した本件デモは、「格差の是正」を訴えるものであるところ、これと密接な関係のある「社会福祉関係費の削減の是非」が住民投票にかけられている。このことから、本件デモは、住民の生活にかかわる重要な政治的決定のための判断資料を与えるきわめて重要なものであることがわかる。したがって、Aに本件条例を適用するにあたっては、「生活環境」への害悪や「商業活動」への支障は、単にその存在が認めらるだけでなく、それが重大なものでなければならないと考える。
イ Aのデモは、第一回と第二回ともに、拡声器を使用せず、ビラも配らずに行われたのであるから、これにより「生活環境」や「商業活動」になんらかの害悪や支障が生じたとしてもそれが重大なものであったとは到底考えられない。
ウ よって、本件適用は違憲である。
2 二つ目の不許可処分について
ゼミ活動目的で大学の教室を使用する自由は、ゼミ活動が学問的活動の一環であることから、学問の自由として23条により保障される。本件不許可処分はかかる自由を侵害して違憲である。
第二 設問2
1 ひとつめの不許可処分について
(1) 条例3条1項4号の違憲性
ア B県側は、いわゆる集団暴徒化論に依拠してより緩やかな違憲審査基準を用いるべきと反論することが考えられる。
集団暴徒化論とは、多数人の存在という物理的な力や勢いをもとに意見を強力に主張するというデモ行進の性質上、デモ行進参加者が勢いあまって暴徒と化すおそれがあり、ひとたび暴徒と化せば警察やデモの指揮者でさえこれを鎮圧することができなくなるというものである。しかし、本当にそうか。
たしかに、学生運動が盛んなころはこのようなことが言えたかもしれないが、現在もそうだと言い切る事はできない。原発デモが平和的に行われていることをみても、集団暴徒化論は今では抽象的な不安感に基づくものと言わざるをえない。
したがって、被告の反論は妥当でなく、やはり厳格審査基準を用いるべきである。
イ よって、本件制約は違憲である。
(1) 条例の適用の違憲性
ア B県側としては、Aのデモにより交通渋滞が生じて住宅街の道路が迂回路として使われていたことから、次回のデモを認めたのでは住宅街で交通事故や著しい騒音被害という「生活環境」への重大な悪影響が生じるおそれがあるし、飲食店の売り上げの減少は「商業活動」への重大な支障にあたると反論することが考えられる。
イ しかし、迂回してきた車が交通規制を遵守するかぎり、交通量が増えたからといってかならずしも交通事故が生じるとは限らず、これが生じるおそれは観念的な想定にすぎない。また、シュプレヒコールに伴う騒音は、学校の部活動からもれてくるかけ声等、一般に受忍されている騒音と何らことなるところはなく、これを「生活環境」への重大な支障ということはできない。さらに、デモ行進が継続して何日も行われるわけではなく、売り上げ減少はデモ当日に限られるし、このような売り上げ減少は開業リスクに含まれているのだから、これを「商業活動」への重大な支障ということもできない。
ウ よって、本件適用は違憲である。
2 二つ目の不許可処分について
(1) B県側は、ゼミ活動目的で大学の教室を使用する自由は、請求権であり、23条の保障の範囲外であると反論することが考えられる。
たしかに、学問の自由は、国家に対し自分の学問的活動に不当に介入しないでくれという不作為を要求する自由権である。本件自由は、不作為ではなく、教室の供用という作為を要求するものである点で、請求権的側面を持つことは否めない。
しかし、B県立大学教室使用規制では「教育・研究目的での使用」であれば教室使用を認める旨定められている。また、実際に教授の承認を得たゼミ活動目的であれば教室使用を許可する運用がなされている。このため、大学の学生であれば、教室をゼミ活動目的で使用することが原則として自由であった。そうであれば、大学の教室は学問活動のためのいわばパブリックフォーラムとしての側面を有しているといえる。にもかかわらず、教室使用の自由が23条の保障範囲に含まれないとするならば、大学が気に入らない学問活動につき教室使用不許可を通じて弾圧することが可能となり、「批判的性質ゆえに弾圧を受けやすいことから学問の自由を特に保障する」という学問の自由の保障根拠が没却される。
そこで、学問的使用の限度で、上記自由は23条により保障されると考える。
(2) そうだとしても、B県側は、Aらのデモ行進が県条例に違反すること、ニュースのAの発言が県政批判にあたること、講演者が政治家であることから、本件講演会は政治的なものであり、学問的なものではないから、上記自由は23条の保護範囲外だと反論することが考えられる。
しかし、条例違反の点は司法的に確定されたわけではないから、いえない。また、本件講演は当初から計画されていたものであり、ニュース発言とは直接関係ない。しかも、本件講演会には知事の方針につき賛成派と反対派の両方をまねくことが予定されていた。このことから、本件講演は、特定の意見を主張するという政治的なものでなく、異なる立場をぶつけて真理への到達を目指す学問的なものだったといえる。
よって、被告は全て失当。
(3) 違憲。
