分析
出題趣旨が出る前ですが(だからこそ)、自分なりに自分の答案と評価を分析してみます。匿名ブログなので好き勝手言います。平成25年憲法の全体的でより深い解説を読みたい方は、僕の師匠のブログ「憲法の流儀」をご覧下さい。
全体的に雑であまり出来たとは思わなかったのですが、2つめの処分のところで「大学の教室をゼミ活動目的で使用する自由」が憲法上保障されるかを不十分ながら自分なりに論じたところが高く評価されたのではないかと思っています。
「大学の教室をゼミ活動目的で使用する自由」は、「市民会館を集会利用目的で使用する自由」と似ていると思いました。そこで、泉佐野市民会館事件において、集会利用の自由が憲法上保障されるか否かにつきどのように判示されたかを思い出してみました。
憲法上の権利の作法新版22ページ以下に書いてあるように、泉佐野での問題意識は、
「防御権としての表現の自由・集会の自由は、公権力によって妨げられないということの保障であり、本来は<国や自治体が所有する物品・施設等を利用させろ>という請求権を含むものではない。したがって、市民会館で集会を行うのは、権利ではなく反射的利益の問題であり、自治体が利用を拒否した結果、集会が開催できなくなったとしても、自治体は場所を提供するという積極的な措置を行わなかっただけであり、集会を妨げたことにはならないと解する余地がある。そうなると、市民会館の使用不許可は、集会の自由に対する制限ではないため、憲法上の正当化は要求されないことになる」
という点にありました。このことは、大学の教室を使用する自由にもそっくりそのままあてはまることだと思います。つまり、大学側は、Aらの学問活動を妨げたのではなく、学問活動のために教室を貸してあげるという積極的な措置を行わなかっただけであるから、防御権たる学問の自由はなんら制約されていないのではないか、という問題意識が聞かれているのではないかということです。
では、泉佐野事件では、どのような判示がなされたのでしょうか。
「本件会館は、地方自治法244条にいう公の施設にあたるから、市側は正当な理由がない限り住民がこれを利用することを拒んではならず・・・住民はその施設の設置目的に反しない限りその利用を原則的に認められ」るから、「管理者が正当な理由なくその利用を拒否するときは、憲法の保障する集会の自由の不当な制約につながるおそれが生じる」
と判示しています。つまり、たしかに、市民会館利用の自由は請求権にもみえるけれども、地自法244条が「住民なら原則的に市民会館を使って良い」旨定めていることから、原則市民会館の利用は自由だ、すなわち市民会館利用の自由は自由権に近接するのだという趣旨だと考えられます。
本問題では、「教育・研究目的での使用」であれば教室使用を認める旨定める大学規則が、泉佐野事件における地自方244条に相当するといえそうです。だから、泉佐野の事案を応用して、「大学教室使用の自由は請求権にもみえるけど、大学規則によって原則自由に使用できるとされているんだから、自由権として構成できる」という趣旨の立論が可能だと思われます。
これに加えて、学説上、請求権を自由権と構成する理由として「国家が給付を通じて選別を行い、給付を通じた自由の操作を行う可能性がある」(作法201ページ)ことが指摘されています。これを、学問の自由の保障根拠とからめて、「大学が自分の気に入らない学問活動を、教室使用の有無を通じて弾圧するおそれがあり、批判的性格故に弾圧を受けやすいことから特別な保障を与えるという学問の自由の保障根拠を没却する」などと指摘すると、より説得的になると思われます。
以上のように、請求権にもみえる教室使用の自由を、①大学規則により教室使用が原則自由であること、②給付を通じた恣意的規制のおそれという点から、自由権として構成するということが、二つ目の不許可処分を考える上でのポイントだのではないかと考えられます。つまり、「自由権と請求権」が大きなテーマだったのではないかということです。
ただし、パブリックフォーラムの利用が自由権として構成できるのは、あくまで「施設の設置目的に反しない限り」です。大学の教室は学問的活動を行う目的で設置されているのであり、政治的活動をおこなうためではありません。このため、本問でも、Aらの教室利用が本当に政治的目的ではなく学問的目的であったのかを認定する必要があると思われます。問題文に、「大学側は・・・Cゼミ主催の講演会は政治的色彩が強いと判断した」と書いてあるのも、このことを示唆するものと考えられます。
さて、出題趣旨が出て、全然違ってたら悲しいですね! 疑問点等あれば、コメントして下さればもれなくお答えいたします! 次は民法(213.52点)をアップ予定です!
再現
第一 設問1
1 ひとつめの不許可処分について
(1) まず、B県集団運動に関する条例(以下「条例」という)3条第1項第4号は、「平穏な生活環境を害する行為」又は「商業活動に支障を来す行為」該当性をデモ行進の不許可事由としている点で、デモ行進の自由を侵害して違憲であると主張する。
ア デモ行進は歩く集会といえるから、デモ行進の自由は集会の自由(21条1項)の一環として保障される。条例3条第1項4号はデモ行進の不許可自由を定めることで上記自由を制約している。
イ たしかに、上記規定はデモの内容に直接着目したものではない。しかし、デモ行進の自由は、資力の乏しい一般市民でも自分の意見を表明するために容易に参加しうるものである。このため、これを規制することはメディアへのアクセス権限を持たない一般市民から表現の機会自体を奪うことになりかねない。これでは、あらゆる意見を闘わせて真理に到達するという思想の自由市場が歪められ、健全な民主政を維持できない。そこで、本件制約の合憲性は厳格審査基準により判断すべきと考える。
ウ 目的は、平穏な生活環境及び円滑な商業活動を確保する点にあると解される。しかし、平穏なデモ行進により生じる生活環境や商業活動への影響は社会的な受忍限度にあると考えられ、上記の重要性を有するデモ行進の自由に対抗しうる反対利益にはなり得ない。したがって、目的が必要不可欠とはいえない。
エ よって、本件制約は違憲である。
(2) 次に、仮に条例が合憲であったとしても、これを本件デモ申請に適用することは違憲であると主張する。
ア Aが申請した本件デモは、「格差の是正」を訴えるものであるところ、これと密接な関係のある「社会福祉関係費の削減の是非」が住民投票にかけられている。このことから、本件デモは、住民の生活にかかわる重要な政治的決定のための判断資料を与えるきわめて重要なものであることがわかる。したがって、Aに本件条例を適用するにあたっては、「生活環境」への害悪や「商業活動」への支障は、単にその存在が認めらるだけでなく、それが重大なものでなければならないと考える。
イ Aのデモは、第一回と第二回ともに、拡声器を使用せず、ビラも配らずに行われたのであるから、これにより「生活環境」や「商業活動」になんらかの害悪や支障が生じたとしてもそれが重大なものであったとは到底考えられない。
ウ よって、本件適用は違憲である。
2 二つ目の不許可処分について
ゼミ活動目的で大学の教室を使用する自由は、ゼミ活動が学問的活動の一環であることから、学問の自由として23条により保障される。本件不許可処分はかかる自由を侵害して違憲である。
第二 設問2
1 ひとつめの不許可処分について
(1) 条例3条1項4号の違憲性
ア B県側は、いわゆる集団暴徒化論に依拠してより緩やかな違憲審査基準を用いるべきと反論することが考えられる。
集団暴徒化論とは、多数人の存在という物理的な力や勢いをもとに意見を強力に主張するというデモ行進の性質上、デモ行進参加者が勢いあまって暴徒と化すおそれがあり、ひとたび暴徒と化せば警察やデモの指揮者でさえこれを鎮圧することができなくなるというものである。しかし、本当にそうか。
たしかに、学生運動が盛んなころはこのようなことが言えたかもしれないが、現在もそうだと言い切る事はできない。原発デモが平和的に行われていることをみても、集団暴徒化論は今では抽象的な不安感に基づくものと言わざるをえない。
したがって、被告の反論は妥当でなく、やはり厳格審査基準を用いるべきである。
イ よって、本件制約は違憲である。
(1) 条例の適用の違憲性
ア B県側としては、Aのデモにより交通渋滞が生じて住宅街の道路が迂回路として使われていたことから、次回のデモを認めたのでは住宅街で交通事故や著しい騒音被害という「生活環境」への重大な悪影響が生じるおそれがあるし、飲食店の売り上げの減少は「商業活動」への重大な支障にあたると反論することが考えられる。
イ しかし、迂回してきた車が交通規制を遵守するかぎり、交通量が増えたからといってかならずしも交通事故が生じるとは限らず、これが生じるおそれは観念的な想定にすぎない。また、シュプレヒコールに伴う騒音は、学校の部活動からもれてくるかけ声等、一般に受忍されている騒音と何らことなるところはなく、これを「生活環境」への重大な支障ということはできない。さらに、デモ行進が継続して何日も行われるわけではなく、売り上げ減少はデモ当日に限られるし、このような売り上げ減少は開業リスクに含まれているのだから、これを「商業活動」への重大な支障ということもできない。
ウ よって、本件適用は違憲である。
2 二つ目の不許可処分について
(1) B県側は、ゼミ活動目的で大学の教室を使用する自由は、請求権であり、23条の保障の範囲外であると反論することが考えられる。
たしかに、学問の自由は、国家に対し自分の学問的活動に不当に介入しないでくれという不作為を要求する自由権である。本件自由は、不作為ではなく、教室の供用という作為を要求するものである点で、請求権的側面を持つことは否めない。
しかし、B県立大学教室使用規制では「教育・研究目的での使用」であれば教室使用を認める旨定められている。また、実際に教授の承認を得たゼミ活動目的であれば教室使用を許可する運用がなされている。このため、大学の学生であれば、教室をゼミ活動目的で使用することが原則として自由であった。そうであれば、大学の教室は学問活動のためのいわばパブリックフォーラムとしての側面を有しているといえる。にもかかわらず、教室使用の自由が23条の保障範囲に含まれないとするならば、大学が気に入らない学問活動につき教室使用不許可を通じて弾圧することが可能となり、「批判的性質ゆえに弾圧を受けやすいことから学問の自由を特に保障する」という学問の自由の保障根拠が没却される。
そこで、学問的使用の限度で、上記自由は23条により保障されると考える。
(2) そうだとしても、B県側は、Aらのデモ行進が県条例に違反すること、ニュースのAの発言が県政批判にあたること、講演者が政治家であることから、本件講演会は政治的なものであり、学問的なものではないから、上記自由は23条の保護範囲外だと反論することが考えられる。
しかし、条例違反の点は司法的に確定されたわけではないから、いえない。また、本件講演は当初から計画されていたものであり、ニュース発言とは直接関係ない。しかも、本件講演会には知事の方針につき賛成派と反対派の両方をまねくことが予定されていた。このことから、本件講演は、特定の意見を主張するという政治的なものでなく、異なる立場をぶつけて真理への到達を目指す学問的なものだったといえる。
よって、被告は全て失当。
(3) 違憲。