障害のある人には親切にしなければいけない、と思っていたのですが、そうではないのかもしれません。
16歳のときに事故で両足を失い、現在モデル・SNSのインフルエンサーをしている葦原海さんの『私はないものを数えない。』を読んでそう思いました。
車椅子ユーザーの自分が「してほしいこと」を言うのも大事だけれど、言われた人にも、その人の予定があるよね。
普通なら「いいよ、運んであげる!」と言ってくれる人だって、「絶対に遅刻できない大事な会議にギリギリだ」というときには無理だと思う。
元気そうに見えて、実はどこか怪我しているかもしれないし。
手伝ってもらえないことは、全然、普通にあるはず。
『私はないものを数えない。』 葦原海
葦原さんが同行者と一緒にイタリアに行ったときのこと。
地下鉄を利用するためにホームに降りていこうとしました。
ところが、その駅はエレベーターはなく、エスカレーターは下りのみ。
階段を降りなければならないので手伝いが必要です。
ちょうど地元イタリア人男性がやってきたので、手伝いをお願いします。
ところが、その人は仕事に行くところで時間がないからと、手伝いを断ります。
これを読んで、私は手伝いを断ったことに驚きました。
困っている人がいれば助けなければならない、と思っていたからです。
自分が困っている立場だったら助けて欲しいです。
助けを求めたのに断るなんて、なんて冷たい人だと私だったら思ってしまいます。
でも、この男性のように、急いでいてできないこともあるはずです。
この男性は手伝いは断りましたが、他の人に声をかけてみると言ってくれました。
自分ができなければ、他にできそうな人に声をかければいい。
私が車椅子を運ぶようにお願いされても(見た目で力がないのがわかるのでお願いされないでしょうが)、力を貸すことはできません。
体を使った力を貸すことはできなくても、できそうな人を探すことはできます。
困っている人がいれば、やっぱり手助けをした方がよいと思います。
でも、できないときもあるので、いつもいつも助けなければ、ということでないのかもしれません。
自分に今できることをやればいいんです。
