日本のつめ込み式・暗記型の教育は、あまり意味がないと思います。

 

足し算、引き算、読み、書きくらいはできた方がよいでしょう。

 

掛け算を暗記することも必要かもしれません。

 

でも、鎌倉幕府がいつ開かれたとか、古典の活用形がどうとか、覚えている必要があるでしょうか。

 

ふだん生活をしていて、そういった知識を使うことはほぼありません。

 

 

教科書にのっているようなことは、グーグルに聞けばわかります。

 

鎌倉幕府が開かれたのは何年?と尋ねれば、答えてくれます。

 

わざわざ覚えておく必要はないのです。

 

 

 

 

それよりも、もっと大切なことがあるのではないでしょうか。

 

ある本の中で村上春樹さんが、学校の勉強は熱心にしなかったといったあと、こんなことを語っています。

 

僕としては、勉強を怠けて遊びほうけているという意識はとくにありませんでした。本をたくさん読んだり、音楽を熱心に聴いたりすることは―あるいは女の子とつきあうことだって含めていいかもしれませんが―僕にとっては大事な意味を持つ個人的な勉強なんだと、心の底でわかっていたからだと思います。

 

『職業としての小説家』 村上春樹

 

村上春樹さんは高校時代の半ばから、英語の小説を原文で読むようになったそうです。

 

どうしても言語で読んでみたかった。

 

まだ翻訳されていない小説を読んでみたかったそうです。

 

 

では、英語で小説を読んだことで、学校の英語の成績がよくなったのでしょうか。

 

本を一冊、最初から最後まで英語で読めるようにはなりました。

 

それでも、英語の成績はぱっとしなかったそうです。

 

 

日本の学校の英語教育は、受験に合格することを主な目的にしています。

 

そのため、英語の成績がよくても、英語で書かれた本を一冊読み通せない人は少なくありません。

 

学校の英語のテストが求めていることと、生活の中で使う英語が必要とするものが違うからです。

 

私が高校生のころの英語のテストは、単語を書いたり、長文の空欄をうめたりする問題が出題されました。

 

こういったことは日常で行わないでしょう。

 

つまり、試験でいい点をとるための勉強で、日常役に立つことを目的とはしていないのです。

 

 

試験でいい点をとる=実用的なこと、ではありません。

 

日常生活ではほとんど役に立たない勉強をして、何になるのでしょうか。

 

 

受験に合格をして、いい学校に入って、一流企業に就職すれば、幸せな人生を手に入れられると、考える人もいると思います。

 

でも、本当にそうですか。

 

一流企業に入れば、いい給料をもらえるでしょう。

 

お金があれば、ほしいものを買えるし、好きなことができます。

 

けれども、ものを追い求めても本当の幸せは手に入りません。

 

ものは満たされない心のすき間を埋めてくれるでしょうが、それは一時的です。

 

何かを手に入れれば、また別のものがほしくなります。

 

やりたいことをやりいたいときにできる人が、心から満たされている人です。

 

それには、お金のある、なしは関係ありません。

 

 

学校の教育を否定しているわけではありませんが、学校の勉強よりも大切なことがあるはずです。

 

たとえば、思いやりの心をもてる人になるとか、読みたい読んを読むとか。

 

そういった活動にエネルギーをそそいだ方が、人生は楽しくなります。

 

やりたくもない勉強を一生懸命にやって、そうしてがんばって入った会社でもやりたくないことを一生懸命にやる。

 

9時から17時まで仕事をやるとすると、1日8時間もやりたくないことに費やしていることになります。

 

1日の3分の1の時間を嫌なものごとに割くことになるのです。

 

 

ワクワクすることを行動にうつしてみかせんか。

 

人生には限りがあるし、あっという間にすぎてしまいます。

 

学校の勉強をしなくていい、といいたいのではありません。

 

ただ、学校の勉強よりも大切なことがありますよ、といいたいのです。