神社でお願い事をする人は多いと思います。
「受験に合格しますように」
「結婚できますように」
など、人それぞれ神様に叶えてもらいたいことがあるのではないでしょうか。
神社は罪穢れを祓う場所でもあります。
罪穢れというと、悪いもの、汚いものと思うかもしれませんが、そうではありません。
春日大社の宮司をされていた葉室頼昭さんによると、
罪とは「神様がお生みになられた素晴らしい人間本来の姿を包み隠してしまうようなもの」のことで、
穢れとは「日々我々を生かしてくださる神様の尊い気を枯らしてしまうようなもの」のことだそうです(『御力』 葉室頼昭 より引用)。
犯罪のような悪いことをしたとか、汚いという意味ではないのです。
キリスト教では、人間は生まれながらにして罪を背負っていると考えているようですが、
そういった意味の罪でもありません。
日々生活をしていると、垢や汗などで汚れますが、そういった意味の穢れでもありません。
出雲大社東京分祠のホームページには、
「穢(けがれ)とは、「け」が枯れている状態のことを指します。「け」とは“気”のことであり、〝気が枯れる〟ことが穢れなのです。」(izumotaisya-tokyobunshi.com)と書かれています。
瞬間湯沸かし器な人がいました。
この人の知り合いに神社によく行く人がいて、一緒に神社を訪れるようになりました。
すると、いつの間にか、すぐに怒ることがなくなったのです。
神社の高波動に触れることでその人の波動が変化をしたり、
本来の神聖さを隠してしまうようなものが取り除かれたりしたことで、
すぐに怒るというその人の性質が変わっていったのではないかと思います。
神社を訪れた後は、気持ちがすっきりしませんか。
気が枯れていた状態から回復したから、すっきりとするのではないでしょうか。
神社はお願いをするだけでなく、罪穢れを祓う場所でもあるのです。