おせち料理のそれぞれの食べものには意味があります。

 

黒豆は、まめまめしく働くように。

 

昆布巻は、よろこぶと語呂合わせ。

 

伊達巻は、知識が豊富になるように。

 

このような願いが込められているのですが、それを食べたからといって、

 

まめまめしく働けるようになったり、知識が豊富になったりはしません。

 

では、それを食べる意味がないのかというと、そうではありません。

 

 

おせち料理

 

 

そういった縁起物の食べ物に、財宝を呼び込んだり幸福を招いたりする呪力が実際に宿っているわけではない。縁起物には、そういうイメージを喚起しやすくする力があるということなのだ。良いイメージを強めるための一種の「呪術的材料」なのである。

 

『しきたりに込められた日本人の呪力』 秋山眞人

 

 

大切なのは思いです。

 

「昆布巻を食べたから、よろこぶようなことがやってくるのだ」

 

そんなふうに思いをもつことに意味があります。

 

 

思いが現実をつくっています。

 

今目の前にある世界は、あなたの思いによってつくられています。

 

望んでいないことが現実として起こっているとしても、それはあなたが引き寄せたものです。

 

自分では気がついていないかもしれませんが、

 

潜在意識ではあることを思っていて、その思いが現実としてあらわれています。

 

つまり、よいイメージを持って食べれば、よいイメージが定着しやすくなり、

 

その思いによって望むような現実が作られていくといことです。

 

 

受験シーズンになると、コアラのマーチやカールなど、受験応援のパッケージのものが発売されますよね。

 

試験の前にとんかつを食べてゲン担ぎをすることもあります。

 

こういったものも、その食べもの自体に力があるのではなく、どういった思いで食べるかが重要です。

 

「カールを食べたからといって、ウカール(うかる、合格)なんてことはないよね」

 

そういった気持ちで食べていては、よいイメージは定着しません。

 

カールを食べるときは、「ウカールのだ!」そのような思いが合格へと導いてくれます。

 

 

どのような思いをもとうと、食べるという行為自体に変わりはありません。

 

どうせ食べるなら、よい思いを持って食べた方が得です。

 

どのような思いを持って食べるかで、それを口にする人への影響は違ってきます。