家族や友人が大変な思いをしていると、心配になると思います。

 

子どもが引きこもりで、これからどうなのか心配

 

友だちが大きな病気をしていて心配

 

そんなふうに、相手のことが気がかりになるのではないでしょうか。

 

 

心配をするのは、あなたにやさしさがあるからです。

 

他人のことはどうでもいいと思っていたら、心配はしません。

 

でも、相手のことを思うなら、心配の目でみるのではなく、その人がよくなったところをイメージしてみてあげてください。

 

心配だ、心配だと、心配の目でみていると、それが厚い雲のように相手をおおってしまいます。

 

空を雲がおおっていると、太陽の光はさしませんよね。

 

太陽の光がとどかないと植物は成長できません。

 

それと同じで、心配の目でみて光がとどかなくなってしまうと、その人の成長のさまたげになってしまいます。

 

 

 

 

「こうなったらいいな」「こうなってほしいな」という明るい目でみると、その人が望ましい方向に進む手助けになります。

 

望ましい方向というのは、形のことではありません。

 

事故にあって歩けなくなってしまった人のことで説明をします。

 

その人にとって望ましいことは、事故にあう前の歩ける状態です。

 

でも、どんなことをしても、もう歩くことはできません。

 

そういった状態だと、かわいそう、心配だと思うのではないでしょうか。

 

 

ここで心配ではなく、望む現実、明るい目でみてあげます。

 

このとき、どうなりたいのか、何を求め得ているのか、本質に目を向けます。

 

 

歩けるようになりたいのは、なぜでしょうか。

 

歩くことができれば、自由に好きなところへ行けます。

 

自分の足で歩ければ、だれかに手伝ってもらわなくても階段の上り下りができるし、山登りもできます。

 

好きなように、思うようにできて、自由を感じられます。

 

つまり、求めていることは、歩けるようになるということではなくて、自由なのです。

 

自分の足で歩くという形を求めているのではなくて、求めていることの本質は自由です。

 

もう自分の足で歩けなくても、自由を手に入れる方法は、歩く以外にもあります。

 

自分の足で歩かなくても、自由を手に入れることはできるのです。

 

 

これは例で、求めているものが自由以外のこともあります。

 

歩けるようになりたいとか、お金を手に入れたいとか、

 

そういった表面的な形ではなくて、

 

ではそれを達成して何を手に入れたいのか、どうなりたいのか、

 

その本質に目を向けることが大切です。

 

 

心配の目でみるのではなく、求めているものの本質、

 

さっきの例でいうと自由であるところをイメージして、その人をみてあげてください。

 

心配の目を向けなくなれば、おおっていた厚い雲はとりのぞかれます。

 

光は成長の手助けをします。

 

どんな状態になりたいのか、明るい目でみることは、その人が前に進む手助けとなるのです。