つらいことがあると、「なんでこんな目に」「なんで自分ばっかり」と考えてしまいがちです。

 

でも、そのつらい経験は無駄にはなりません

 

 

『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』という本があります。

 

主人公の児嶋アリサはつらい経験をしますが、そのつらいことがあったからこそ、変わっていきます。

 

では、どのように変わっていったのでしょうか。

 

 

仲良くくしていた人が、自分以外の異性と親しくしている場面を、アリサは目撃してしまいます。

そのことがあってから気分が沈みがち。

 

気分を高める言葉を探していて、「祝福できないなら、呪うことを学べ」というニーチェの言葉に出会います。

 

その後、縁切り神社に行ってお願い事をします。

 

そのときにしたお願い事は、「どうか気持ちが吹っ切れて、新しい良縁に結ばれますように!そして、心機一転、新しい自分になれますように!」です。

 

そして、アルバイト先に向かいます。

 

アルバイト先の近くには、哲学の道があります。

 

そこでニーチェと出会い、哲学のことを学んでいきます。

 

アリサが出会ったのはニーチェだけではありません。

 

キルケゴール、ショーペンハウアー、ハイデガー、サルトル、ヤスパーなどの哲学者にも出会っていきます。

 

そして、その人たちから人生について学んでいくのです。

 

それによって、失恋によって落ち込んでいた気持ちはなくなり、アリサが抱えていたもやもやとしたものが解消していきます。

 

 

失恋をしたという出来事だけを見ると、嫌な出来事ととらえてしまいます。

 

でも、その出来事があったからこそアリサはニーチェたちと出会い、気持ちが変わっていきます。

 

つらい出来事がなかったら、縁切り神社には行かなかったでしょう。

 

縁切り神社に行かなかったら、ニーチェたちとは出会わなかったでしょう。

 

ニーチェたちと出会わなかったら、アリサのつらい気持ちは変わらなかったはずです。

 

 

もしも失恋をしていなかったら、哲学のことなんて知ろうとしなかったはずです。

 

失恋をしたからこそ、「祝福できないなら、呪うことを学べ」というニーチェの言葉が心に響きました。

 

幸せいっぱいの状態だったら、ニーチェと出会ったときに「なんだ、この変なやつ」と思って、その後ニーチェたちとのかかわりはなかったはずです。

 

そして、アリサの成長はありませんでした。

 

失恋をした、ニーチェたちに会った、哲学を学んだ。

 

だからこそ、アリサは成長をして、今までよりももっとよい自分に変わっています。

 

 

今のその状態があるからこそ、見えるものがあります

 

つらいと思うような出来事の中でしか見えないものもあるのです。

 

その経験は無駄にはなりません。

 

 

今はつらくても、後で振り返ると「これがあったかこそ今がある」と思えるときがやってきます

 

でも、つらいときはそう考えるのが難しいですよね。

 

この先もずっとつらいことが続くのではないか、と考えてしまいます。

 

それでも、今自分ができることをやってみったり、今の状態から学べるものを探してみると、だんだんと変わってきます。

 

その状態でしか持てない視点があり、その状態でしか見えないものがあるのです。