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文化系寄り道倶楽部

アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

偶然というのは、ほとんどの場合、偶然じゃなく、起こるべくして起きたりするものだ

奇跡の大逆転勝ちなんていうのも、勝ちたいと思う気持ちが萎えたときにはおきやしない

奇跡の大逆転負けもしかり、勝ちきっていないときに「勝った」と勝負をしていることを忘れたときに食らったりする

でも、人生それほど劇的な毎日を送れるはずもなく、そんな日常にも謎の出来事、偶然という言葉で片付けるのは簡単だけど、そこになにかしらの意味を感じずにはいられない出来事が起きる事がある



それは震災の日 3月11日、ふだん事務所の中で仕事をしている自分が、いろんな状況の中で、めずらしく外出、それもおよそ生まれて初めて行く 世田谷の豪徳寺駅周辺だったこと その日経験したことは、なんとも不思議だった

その不思議な体験を物語として書き始めたのだが、原発のいろいろとか、そういうもろもろがあって、しばらう放置していた

が、資料を整理する中で、その書きかけの小説を発見し、まるで自分が書いた作品じゃないような違和感を覚えながらも、どの続きを書き始めた・・・が、書けない

うーん

と思っていたのだが、あることに気付く

その作品は電車の中だと・・・つまり移動中の車中だとガンガンかける

家でPCの前に座って書こうとするとパタッと手が止まってしまう

そんなわけで、外出先でこの作品を書くようになったのだが・・・


『静かなる老人』というタイトルのそれは、震災の日にボクが経験した内容に妄想をくわえたもので、半分は・・・か3分の2は実体験で、あとの3分の1が妄想です

その作品を電車の中で書いているとき、ふと隣に座っていた 若い、坊主頭の男がボクに話しかけてきた

「失礼ですけど、出版社の方ですか?」
「いえ、そういう者ではないんですが・・・」
「すいません、ちょっと目に入ったもので、これは震災のときの?」
「そうです。えーと、あの時経験したことを書きとめておこうと思いまして」
「そうなんですか」

その男は、ともても美しく――それは大自然のなかにせせらぐ小川とか、そよ風とか、そういう美しさ、清らかさ―― 一瞬ボクは、この世の人ではないのではと思ってしまった。とても若い・・・若い頃の仏陀とはこういう人だったのか

彼は言う
「ボクはお寺の人間で、石巻が実家なんです。寺はほら、こんな状態で」
彼は携帯電話を取り出し、ボクに写真を見せてくれた。
「このまえ、帰ったんですけど本当にすごい状況で・・・」
彼は自分が撮影した破壊された町の画像を次々と見せてくれた

「いま、こっちに住んでいるんですけど、親のいるところは避難地域で、これから家に帰って、親のところに行こうとしているところなんです。もう、心配で」

ご両親を他の場所に避難させようと考えているようだ。そして、彼が今住んでいるところ、それはボクと同じ街だった。

「偶然ですね」

そのときはその言葉しか思いつかなかった。

たいした会話をする間もなく、乗り換えの駅についてしまう

「じゃ、また」
かるく会釈をしたボクに、彼はとても丁寧に挨拶をしてくれた

ボクがいま書いている震災の日を題材にした小説

その中に登場する「静かなる老人」は、ボクの妄想の存在だ

だけど、彼は多分実在する青年で、もし、彼とあの日、出会っていたなら、もしかしたらボクは彼を題材にした作品を書いていたかもしれない

いや、もしかしたら

あれは

「静かなる老人」だったのかもしれない


なんだかとても不思議な体験をした


でも、携帯で見せられた画像

ゴールデンウイークに撮影された破壊された町の風景

ボクの何かを強烈に刺激した


世の中に、偶然で片付けていい出来事などそれほどないのかもしれない

意外に思うだろうか?

でも、ダメなんですよ

夜は

夜に思うこと、感じること、夜の深い深い時間に、とっても気分がハイになって、それでなにかやりたくなって、いろいろ書くこともあるけれど、そういうものって、どこか収拾がつかない

夜はきっと作業をする時間じゃなく、妄想をする時間で、その妄想を昼間の時間に具体化させる

その作業は、明るい日の出ている時間じゃないと、考えがまとまらない

整理がつかない

夜に頭の中をあれこれてとちらかして、その後、その断片をひとつひとつ拾い集めて、つなぎ合わせる

そんな作業が、僕にとっての物語を書く作業なのかもしれない

6時くらいまでが勝負

長くても7時くらいまで


それは、実は自分でも意外に思っている

ボクのやる気スイッチは、ずっと以前から省エネモードだったのかもしれない
5月22日、下北沢のチベットチベットにて、山作戦の無料ランチライブ ぼくなますて(ACT3)がありました。

当初は自分だけ参加する予定だったのですが、妻が急に外出(妻曰く前から言っていたw)するということで、子供たちを連れて、『ぼくなますて』に参加することに


子供たちとアーチストのライブに行くのはこれが娘とは3回目、息子とは2回目

メージャーアーチスト 乙三.の海老名ビナウォーク、亀戸サンストリートでの無料ライブは一応ステージ上でアーチストが演奏するものだけど、演奏後はサイン会ではきさくに話をしてくれる素敵なお兄さんたちだった。

今回はインディーズアーチストのライブですが、演奏後にアーチストとファンが一緒に交流する

つまり、感じることと触れ合うことができる経験


自分にとっては、アーチストとは雲の上の存在で、たとえば日本のサッカーがワールドカップは雲の上の存在だったのと同じ感覚で、来日する外国のスーパーグループ、親衛隊に守られるアイドルたちは、間違いなく雲の上の存在だった

たしかに、そういう中に飛び込んで、感じること、触れ合うこともできるのかもしれないけど、ボク自身はそういうことにはことごとく消極的であり、あまりそばに近づいて、見たくないものを見せられるのが嫌だった



さて、時代は変わった


インターネット、ソーシャルネットワークを活用することで、ファンとアーチストの関係は大きく変わってきている気がする。アーチストは原版権という縛りから、より自由にファンと触れ合う方法を模索し始め、世の中の仕組みが変わろうとしている中で、ボクは子供たちに、こういう経験をさせることで、何かを感じ、そして実際に触れ合うことで確かめて欲しいと思う

もしかしたら余計な事かもしれないけど、でも、きっとそれは何年か、或いはもっと大きな単位で先のことになるかもしれないけど、何かを選択するときに羅針盤になると思っている

キミが好きだといってくれた曲は、ボクもすきな曲で、そして、それを作っているのはこういう人で、キミと同じようにこの曲を好きだと思っている人たちは、こんな素敵な笑顔でキミに微笑みかけ、頭を撫でてくれる人たちなんだよ

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キミがリクエストした曲「はじめにうたありき」はパパも大好きだよ

先日、眠れない夜を過ごし――息子が喘息の発作を起し、夜中に目がさえてしまった――そんななかであるUSTの番組をボーっと見ていた、聴いていたのだが、そのうちそこで語られる話の内容にすっかり、あてられてしまった。

その方、広島でUST配信をされている僕よりも一回りくらい年齢が上の方なのだが…

まず、おしゃれ


画面の構成、部屋のライティング、家具、選曲されるBGM、そしてなによりもその方の「佇(たたず)まい」がおしゃれ

いつも配信される時間が遅めの時間なので、毎週見るわけには行かないのだけれど、その夜は、いつになくいろんなお話をされていました

ボクはtwitterやUSTを通じて、いろんな方と知り合うことができました

そして、それはネット、ソーシャルネットワークといったいまどきの言葉であるにもかかわらず、ボクの行く先々には、人生の先輩方が数多くいらっしゃいます

それをすごく、不思議に思っていたのですが、話を聴くと、自分なんかよりも圧倒的にPC暦が長い方がいたり、或いは、そういうことを始めたのが最近始めたばかりというかたがいたり、でも、共通しているのは、USTで配信をやってらっしゃるかたは「何か」を持っているってこと


その「何か」は何だろう?


USTを通じて遠く広島の地から彼が語りかけます

「会いに行こうよ。この世の中には、かならずあなたに『会いたい』と思っている人がいるんだから、あとはあなたが、そういう人たちに『会いにいけばいい』。ネットを通じて、自分を出せば、きっとあなたに会いたいという人が現れるよ」


文章にしてしまうと、どこか青臭くてチープかも知れないけど、「何か」を持っている人が、そうPCの画面からボクに語りかけるとき、心の芯のあたりで、何かが『ゴーーーーン』って響くんだよね


それを『共鳴』と、ボクは思う


出会いは時に偶然で、タイミングがわるいとそれっきりだたり、あるいは悪い印象しか残らなかったり、残さなかったりすることもあるんだけど、「会いに行く」もっと言えば『出会おうとする』って、能動的になることで、そういうことって、がらっと変わるんじゃないかな と気付いた


ひとつは『何かを持っている人』の言葉じゃないと、心に響きにくいって事
そして、『出会おう』とすることで、「素敵な出会いために準備をする」前向きな気持ちになれる事

うん

やっぱり言葉にすると、どこか青臭くてチープだな

それがそうじゃなく、誰かの心に響きようになる為には、ボクがやっぱり「何かを持つ人」にならなきゃいけないんだろうな

で、それはきっと、ボクが気が付いていないだけど、ボクの中にすでにあるのだろうな
そういう意識が夢になって現れる



昨日見た夢

学校の校舎、3階か4階の教室から校庭を見ると、そこは海みたいになっていて、たくさんの魚影が見える。ボクはその魚を一生懸命釣ろうとするんだけど、なかなか自分の納得のいく魚が釣れない

きた!

と大きなあたり

なんとか、糸を切らさずに吊り上げるも、その魚は作り物で、何かの宣伝文句が書いてある

よく読むとこの魚を釣った人に高額な商品をプレゼント!

おー!やったー と思うんだけど、よーく読んでみると、有効期限が書いてあって…あ、もう終わってるや



って、そんな夢を見るのかなw

ボクはそう

自分の意識の中に釣り糸をたらす釣り人なのかもしれない

いつか大きな魚を釣って、ほら!これ!見て見て!って、いいたがりな釣り人w
小説を書き始めた頃は、まあこのアメブロだったり、横書で表示されるわけで、当たり前にエディタと呼ばれる文書作成ツールも縦書きに対応しているものもありますが、一般的には横書を縦に変換して表示するわけで、書いているときは、縦書きをあまり意識してきませんでした


最近は投稿サイトでも縦書きを対応しているところがでてきていて、で、ちょっと本格的に縦書きに挑戦してみています。

案外いいですね

自分は、正直かくのは好きなんですが読むのは苦手というw

でも、縦書きは確かに読みやすいですね

と、いうわけで、こちらのサイトで縦書きでわたしの作品を読めるようになりました

書き手としては、用意されてツールに対する不満はたくさんありますが、とりあえず、見栄えはそこそこいい感じになるので、よろしければ、『傘がない』など、読んでみてください

これからの季節、このお話のようなシチュエーションが増えてきますからねw



めけめけ研究所第2研究室
http://meque02.sees.clip-studio.com/site/