「侍タイムスリッパー」

夏ごろ公開されたと思うが、よく行くシネコンでずっとロングランしていて何とか年内に観ることができた。
これはもう、今年最後に鑑賞するのにふさわしい映画だった。
老若男女だれでも楽しめる内容だし、何より映画愛に満ちているのがいい。
監督が私財を投げ打ち、低予算で制作されたインディーズ映画だが、思わず応援したくなってしまう。たった1館の上映から、口コミで広がりたちまち拡大していったというのも納得。
幕末の京都で、剣豪としてならす会津藩の武士である新左衛門。雷に打たれて失神した後、目を覚ますと現代にタイムスリップ。そこは時代劇の撮影所だった。
混乱しながら行く先々で騒動を起こす新左衛門。一度は死を覚悟するがこの時代で生きていくことを決意し、撮影所で斬られ役として身をたてていこうとする。
とまあ、そんな話なのだが、基本はコメディなのでとても見やすい。廃れつつある時代劇と、滅んでいった侍を重ね合わせてなかなか感動的だ。
華々しく散るばかりが侍じゃない、と新左衛門自身も学んだわけだが、ストーリーの捻りも効いていた。
131分とこの種の映画としてはやや長めだが、少しも退屈しない。
世間的にはあまり有名ではないが、ベテランの俳優が起用されているので安心して見ていられるし。特に新左衛門を演じた山口馬木也が素晴らしい。
同じインディーズ映画で、公開からヒットの過程が似ていることから「カメラを止めるな」と比較されているようだが、個人的な好みで言えば「カメ止め」より「侍タイ」を圧倒的に支持したい。



 

「クラブ・ゼロ」

名門高校に栄養学の教師として赴任してきたノヴァク。「意識的な食事」と称する少食を実践することによって、社会の束縛から自己を解放できると提唱する。
その危険な教えに生徒たちはたちまちのめりこんでいき、「食べないこと」に多幸感や高揚感を抱くようになる。親が異変に気づいた時には、もう取り返しのつかない状況に陥っていた。
ノヴァクは怪しげな集団「クラブ・ゼロ」に、生徒たちを勧誘することが目的でやって来たのだった…
影響を受けやすい若者は、親の知らないところでいかに簡単に危険な思想に染まってしまうか、ということを考えさせられた。
クラブ・ゼロの健康法は「食べないこと」。では彼らは一体どうやって食べずに生きていけるのか。それをまったく疑問に感じないのだから、「洗脳」は怖い。
これは一種の寓話であり、ブラック・ユーモアかもしれない。ノヴァクはハメルンの笛吹きのように生徒たちを自在に操っていき、カルト集団に誘いこむ。
親も校長も、もっと早く生徒たちに真剣に向き合っていれば、こんな悲劇にはならなかったかもしれないのに。
とにかくノヴァクを演じるミア・ワシコウスカの怪演が目を引く。彼女の持つ無色透明さが、逆に引き込まれやすい雰囲気を作っている。
生徒役の子たちの演技も自然でいいし、ビートのタイミングがずれているような打楽器の音楽も、緊張感を醸し出していてよかった。
今も世の中には様々なダイエット法があり、常に話題を提供している。しかし同時に拒食や過食も深刻な問題だ。
親の手前、仕方なく「食べてしまった」子がトイレで吐いている姿が痛々しかった。彼らには、美味しそうな肉料理もグロテスクな塊にしか見えないのだろう。

 

 

「人体の構造について」

フランスのドキュメンタリー映画。医療もののドラマが好きな私としては、なかなか衝撃的な内容だった。
手術シーンがボカシや色替えなしで、そのまんま流しているのが珍しいからではない、人の生死を左右する外科手術も、医師から見れば日常の一コマなんだなぁ、と当たり前のことに気づかされた。
そして人体も所詮はモノなのだ、と再認識させられた。よく人の身体を宇宙に喩えたり、哲学的にとらえたりするけど、この映画の視点はそういうことじゃないのだ。
だからといってドライすぎでもない。手術の手を動かしながら、医師はオーバーワークに不満たらたらだし、看護師も人手不足を嘆いている。
失業者がこんなにたくさんいるのに病院側の経費削減のせいで、看護師の自分が手術室の掃除までさせられると、不満をぶちまけている(私の友人が昔、手術室の清掃バイトをしていたが時給がとても高かったそうだ)
様々な手術シーンは、自分がされる側になったことがある人には見逃せないだろう。
私も眼の手術(映画に登場したものとは違う病名だが)を受けた経験があるので、かなり興味深く見た。
出産シーンはいつでも感動的なものだが、その裏には医師や看護師の「力技」もあるのだなあと。脂肪が厚い妊婦は帝王切開でも大変そうだ。
手術室以外にも、認知症の老人が徘徊する病棟とか、精神疾患の患者とかいろいろな病院のシーンが映し出される。そしてだれにでも共通に、確実にやってくる死。
死体安置所に送るために最後の身支度をしてあげる看護師。「日常的に死が身近にあるから、今を楽しまなくちゃと思う」という発言に納得。
しかしこの映画、ドキュメンタリーなのに説明がとても少なくて、今何をやっているのか素人にはなかなかわかりづらい箇所もたびたび。
ラストのパーティーは、I will survive でさらっと終わりでよかったのに、ニューオーダーの blue monday がまるまる1曲流れて、それはまだしもバックに悪趣味な絵画が延々と映し出されちょっとウンザリ。インパクトのあるラストではあったが…

 

「コール・ミー・ダンサー」

 

ダンスものの映画が好きなので、ほとんど観ている私だが、このドキュメンタリー映画は本当によかった。非常に素直な作りで正攻法、余計な主張や思想は盛り込まない。それだけにまっすぐ胸にくるものがある。
見終わった後、心の底からこのダンサーを応援したくなってくる。
インド、ムンバイの大学生マニーシュは、ボリウッド映画を見てからダンスに興味を持ち、始めはひとりで練習していた。
その後ダンススクールに通い始めるのだが、そこでクラシック・バレエを教えているイスラエル人の教師イェフダと出会う。そしてたちまちバレエの魅力に取りつかれ、没頭するようになる。
類稀な身体能力を持っているのに、クラシック・バレエを始めたのが21歳とかなり遅かったマニーシュ。イェフダの指導のもとで練習を積み、みるみるうちに上達していくが、その年齢では有名バレエ学校への入学は無理。入団もむずかしい。
同じスタジオで共に練習してきた14歳の少年は、英のロイヤルバレエ学校に入学できたというのに。残酷だが仕方ない、始めるのが遅すぎた。
しかし彼は踊ることを諦めなかった。渡米した途端にコロナが世界中を襲い、エンタメ業界は大打撃を受けるが、それでもマニーシュは踊る以外のことを考えなかったのだ。
白鳥のジークフリードや、ドン・キホーテのバジルが踊れなくても(踊りたかっただろうなぁ、舞台で)、世の中には多種多様なダンスがある。ダンスで表現する道は何もクラシックだけではない。
現在のマニーシュは、ニューヨークにあるコンテンポラリー・ダンスのカンパニーに所属して活躍しているようだ。
やはり「何かを始めるのに遅すぎることはない」と、この映画は教えてくれる。

 


 

 

「ドリーム・シナリオ」

うーん、正直この手の映画の感想ってむずかしい。
不条理映画は決して嫌いじゃないけど、漫然と観ていると訳わからなくなるし、テンポやセンスが合わないと、かなりツラいことに。
そういう意味で、この映画がいい悪いを別にして、私にはちょっと合わなかったかなあ、と思う。
この監督の前作「シック・オブ・マイセルフ」はもっと解りやすかったのだが。
お話は、ニコラス・ケイジ演じる大学教授のポールが、世界中の人々の夢に現れ始めて急に有名人になってしまう。
始めのうちは人気者だったが、やがてポールは夢の中で悪事を働くようになり、現実の世界でも非難を浴びる。人々にすっかり嫌われた彼はセレブから一転、悪夢のような日々を送ることに…
一種の風刺ドラマだが、SNS全盛の昨今においては笑いごとじゃすまされない事態だ。
このブラックユーモアが合う人には楽しめるのだろう。
冒頭から漂っているどことなく不穏な雰囲気、イヤな感じの空気感も本来嫌いじゃないのだが。
ラストの「ドリーム・シナリオ」のオチなどは、ニヤリとさせられたけど。
しかしともかく、ニコラス・ケイジの芸達者ぶりには感心させられた。私生活のスキャンダルばかり取り沙汰されることが多かったが、ちゃんと芝居ができる人なのだ。

 

「ネネーエトワールに憧れてー」

パリの団地で暮らす12歳の黒人少女ネネは、パリ・オペラ座バレエ学校への入学を希望している。目標はパリ・オペラ座バレエ団で最高位であるエトワールになること。
非エリート出身者がバレエ・ダンサーを目指すというと、「リトル・ダンサー」を連想するが、ネネの方はさらに人種問題というテーマが絡んできて、より今日的。
ネネはずば抜けた身体能力を持っているが、クラシック・バレエの正式な指導を受けたことがない。すべて映像で見て覚えたという(それもすごいことだが)。
そういった独学の子が、本当に由緒あるバレエ学校の試験をパスして入学できるのか、「あるわけない」と一言で片づけるのはやめようと思う。これはフィクションなのだ。
また、ネネ役の子の踊りが、他の同級生たちより(技術において)見劣りする、というのも指摘するつもりはない。これは劇映画で、あくまでもヒロインはネネだから。
そういったことが見過ごせないタイプのバレエ通の人には、あまり楽しめない映画かもしれない…
入学後もネネは教師たちの偏見や、生徒からのいじめなどさまざまな問題に直面する。中にはネネ自身、改めなくてはならないこともたくさんあった。
ネネのたくましさやバレエへの情熱、擁護する教師の熱意、両親の愛情などのドラマはなかなか興味深いものがあった。
特に校長役のマイウェンがクールでいい。本当にこういう元エトワールがいたんじゃないか、と思わせるようなリアリティと迫力。
マイウェン自身が主役を演じ、監督もこなした「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」も観たが、こちらの校長役の方が光っていたように感じたぐらいだ。
ラストは何だか、ハッピー・エンドにもっていくためぐだぐだになった無理やり感があって、かなり残念。
それにしてもネネが踊るストリート・ダンスは本当に楽しそうで、きらきら輝いていて、やはりこっちの方が向いているよね、と思ってしまった次第だ。


 

「ノーヴィス」

大学の女子ボート部が舞台なのだが、並のスポ根ものとはまったくテイストが異なる。とにかくダークで重い。
「ブラック・スワン」がよく引き合いに出されるが、わからないことはないけれど、こちらののヒロイン、アレックスの方が本質的にずっとヤバい。
大学の専攻を、わざわざ苦手な科目の学部を選んだり、数学のテストの時にもう解けているのに時間いっぱいまで3回もやり直すとか、とにかく病的な完璧主義というか、自分を追い込むのが好きなのだ。
ボート部の練習はハードだし、メンバーに選ばれるのも戦いだ。ライバルの中には、奨学金がもらえるかどうかがかかっている必死な学生もいる。
キャンパス・ライフを楽しむなんて関心ないし、楽なことには興味がないアレックス。
スポーツ物にありがちなコーチのしごきやパワハラとかはあまり出てこないし、部員間のしのぎ合いやいざこざも、それほど極端ではない。
確かに練習はハードなことこの上ないが、何が普通でないかといえば、アレックスが自分自身に負担をかけ陶酔していく様だ。ほとんど自傷行為ともいえるような追い込み方だ。もう勝利へのこだわりとか、どうでもよくなっているのではないか。
一体何のためにボートに乗っているの?という問いに、彼女は自分に勝つため、とか言いそうだ。
「闘志と狂気のスパイラル」という監督の言葉も納得できる。
それにしてもアレックス役のイザベル・ファーマンが、すさまじい演技を見せてくれた。
子役で演じた「エスター」の時からただ者ではないと感じていたが、10年以上経過しすっかり大人になってから、「エスター ファースト・キル」で子役時と同じ10歳のエスターを(ごく自然に)演じた時も驚かされた。
時おり見せるアレックスの無表情な顔が、決して心の内を見せないエスターを思わせた。微妙な感情表現がうまい。
また、まだ薄暗い明け方の雨や霧がたちこめる水面を、ボートが滑るように移動していく俯瞰の撮影も見事だった。

 

「愛に乱暴」  

吉田修一の原作は上下2巻という長編だが、この映画化はいい具合にまとめたのではないだろうか(小説は未読なのだが)。
とにかく江口のりこの存在感がハンパない。個人的には主演女優賞ものだと思う。
桃子は平凡な主婦だけど、趣味の延長で始めたような仕事も(家事に差し障りがない程度に)しているし、同じ敷地内に住む姑とも何とかうまくやっている。子どもはいないがそれなりに充実した生活だ。
この監督が描く主婦の日常はとても細かく、うまい。夕飯メニューへのちょっとしたこだわり、家事のやり方、姑との微妙なやりとりなど、かなりリアルだ。
平和そうに見える桃子の生活だが、冒頭からどこかしら不穏な空気が流れている。世話している野良猫の姿が消えたり、近所での不審火が多発したり。
夫婦の生活もケンカはないが、愛情に満ちているとはとても言えない。夫は妻の話などほとんど聞いていないし、関心もないのだ。
小泉孝太郎が演じる夫は、前髪が顔にかぶっていて最初だれだかわからないが、無害そうで実はクズな夫、というキャラがあまりにも似合っていた。
平穏(に見える)桃子の生活はある日突然、あっけなく崩れる。原因を作った夫の不貞に、彼女は猛然と立ち向かうが夫の気持ちは離れるばかりだ。夫が去っていく事実を受け入れられず次第に桃子は、静かに狂い始める。
そしてこの夫婦にも秘密があること、桃子が時々見ているLINEの意味も徐々に明らかになっていくのだ。
壊れ始めていく江口のりこの演技がとにかく凄い。演出も細かいが、彼女はそれに十分応えている。いや、それ以上だ。もう手がつけられない、というところまでイってしまっているが、ラストのあの不思議な爽快感のある表情が何とも言えない。
曖昧な終わり方に納得できない向きもいるだろうが、個人的にはこれでいいと思う。何でもかんでも伏線回収しなくていいし、映画で説明がなければこちらが想像すればいいだけのこと。正解を探しまわる必要はないのだ(したくなる気持ちもわからなくはないけど)。


蛇足だが…
餌をやったり世話をしていた野良猫が急にいなくなることは、ままある。数週間とか数ヶ月経ってひょっこり戻って来ることもあるが、たいていは戻らない。猫が新しい場所を見つけて移動した、ただそれだけのことだ。もちろん事故に遭ったり死んでしまった可能性もあるが。