「悪魔と夜ふかし」

このホラー映画は恐怖度はさほどでもないが、70年代アメリカの深夜テレビショーを舞台にしている、というアイデアがまずいい。
「封印されたマスターテープを発見! そこには一体何が映っているのか! 」という、いかにもありがちな設定だが、予想以上の面白さだった。
視聴率低迷に悩んだ番組の司会者とプロデューサーが、起死回生をかけて仕掛けたのはオカルト企画だ。時代背景や深夜帯ということを考えると、いかにもインチキ臭い。どうせ観客はサクラだらけだし、ネタはほとんどが仕込みでしょ、と言いたくなってしまう。
でもそんな馬鹿馬鹿しさにだまされてみるのもいいかな、と思っているととんでもない事態が次々に起こる。
例えてみれば「11PM」や「トゥナイト」みたいな番組の中で、心霊やオカルトの特集していたら、本当に怪奇現象が起きてしまった、という感じだ。
ライブで観客が参加したりバンドの生演奏があったり、何より司会者の仕切りが「サタデー・ナイト・ライブ」を思わせたりもするが、あちらほどメジャーではなくもっとチープな感じ、それがまたB級ホラーらしくていいのだ。
70年代のショービズの世界感も十分伝わってくるし、怖いことが起きる前の話もなかなか興味深い。
ひねりのきいたホラーがお好きな向きにはぜひお勧めしたい1本だ。


 

「2度目のはなればなれ」

内容がつかみにくいタイトル(邦題)だが、観てみればとてもわかりやすい。
高齢者施設で暮らす老夫婦の物語だが、2人の夫婦愛で泣かせるのかと思いきやそれだけではない、なかなか骨のある作品だった。
何十年経っても決して忘れることのない戦争時のトラウマ、PTSD。人間愛あふれる物語を通して、これは立派な反戦映画となっている。
出会いから70年近くになるレネとバーナードは、イギリスの海岸近くにある老人ホームで人生最後の日々を送っていた。身体は不自由になりつつあるが、まだ何とか自分のことは自分でできる。だがそれはいつ終わるかもしれない、と常に意識している。
バーナードはある日、レネや周囲の人々に黙ってホームを出て行って戻らず、大騒ぎとなる。だがそれには深い理由があり、彼はフランスのノルマンディで行われる戦争の記念式典に参加しようと思ったのだ。
時折、2人が若かった頃(戦時中)のことが、フラッシュバック映像で語られる。恋愛模様に加えて、戦争により「はなればなれ」になったことも。
バーナードの戦争体験は特に彼の中に深い影を落とした。帰還後、最愛の妻にも語ることができないほどの心の傷を負い、それは何十年時を経ても決して癒えることはなかった。
高齢のバーナードがフランスへひとり旅するのは容易ではないのだが、出会った人たちに助けられ、思い出を共有できる相手と語り合い、そして最後にどうしてもしたかった目的を果たすことができた。
シリアスなテーマではあるが、時にユーモアのセンスあふれる語り口のため、暗すぎず重すぎない。何より80歳を超えた2人の名優の演技が冴えわたる。
グレンダ・ジャクソンは昨年亡くなってしまったし、マイケル・ケインはこの作品を引退作に選んだ。最後の作品が大仰な大作ではなく、小品佳作というのもこの2人らしいと感じた。

シニア必見(もちろん若い人が観ても! )。


 

 

「憐れみの3章」

これはもう完全に観る人を選ぶ映画、と言っていいだろう。「女王陛下のお気に入り」「哀れなるものたち」のヨルゴス・ランティモス監督の新作は、シュールなオムニバス作品だ。
冒頭、ユーリズミックスの「スウィート・ドリームス」で幕を開けた時からすでに不穏な空気は漂っていたのだが…
同じ俳優がまったく別の役を演じる3章によって成り立っている。3つのエピソードは関連性がないように見えて、深掘りすれば共通点も見えてくるし、「ああ、あれがそういうことだったのか…」と納得できなくもない。
どれもとりたてて難解な物語ではないが、とにかく「不条理」なのだ。登場人物の背景などあまり語られることはないし、突飛な行動や展開の説明もなし。そのシーンそのシーンを楽しめばいいのだろうが、それがなかなかつらい。終始もやもやして落ち着きが悪いし。
堪えられなくて途中で席を立つ人がいてもおかしくない(事実、私が観ていた時にも2人が途中で出て行ったきり戻らなかった)。
私も1話目はかなりきちんと鑑賞していたが、だんだんとキツくなり、3話目は逆に気楽に観た。
一言で表現するなら、「奇妙な人たちばかりが出てくる奇妙な映画」。だがその裏には何やら強烈な皮肉や風刺が透けて見えてくる。そこがただの変な映画とは異なるところだろう。
これが3作目の起用のエマ・ストーンや、おなじみのウィレム・デフォーはやや食傷ぎみな感じ。その中でジェシー・プレモンスが好演していた。
よく解らなかった、つまらなかった、と感じてもそれは割と普通の感覚なので、気にしなくていいと思う。世の中にはこういう映画もあるんだな、ぐらいに受け止めてほしい。
ルイス・ブニュエルとか好きな向きにはお勧めの作品だが。


 

 

「時々、私は考える」

原題は、sometimes I think about dying なので、邦題とは少しニュアンスが異なる。私が考えるのは「死」であることがタイトルでわかるからだ。
人付き合いが苦手で友だちも恋人もいないフランは、職場と家を行き来するだけの静かで平凡な日々を送っている。仕事は得意な表計算だし、周囲の人たちも適度に放っておいてくれるので、今の生活に特別不満はない。
フランは時々、自分が死んでいる姿を想像する。それは海辺だったり森の中だったりするが、その姿に悲壮感や厭世観はなく、むしろ空想の世界を楽しんでいるように見える。ひとりの世界を邪魔するものは何もない。
だがあることがきっかけで、フランの日常が大きく変化することになる。彼女はその変化を受け入れることができるのか、自分の世界から一歩踏み出すことができるのか…
フランがなぜそこまで自分の殻にとじこもるのか、孤独を愛するのか、背景などは詳しく語られない。ただ深い傷を負っているのかも、ということは想像できる。
ヒロインに多少でも感情移入できるかどうかが、この映画を楽しめるかどうかの分かれ道だ。まったく好きじゃないし、気持ちもぜんぜんわからない、という人には退屈でしかないだろう。
職場を去る同僚のための寄せ書きに、いちばん小さな文字で定型の一言メッセージだけを書いたフラン。初デートで観た映画の感想を相手に聞かれ「ぜんぜんよくなかった」と言ってしまったフラン。職場の送別会でみんなが盛り上がっている最中に、切り分けたケーキの一皿だけをもらうとさっと自分の席に戻ったフラン。そんな彼女の言動に「ああ、それわかる…」と感じた人には響く映画になるだろう。
フランが想像する死んでいる自分の姿は、非常に静謐で美しい光景となって描かれている。自分はもう死んでいるも同然、と思って生きているのかもしれない。絶望もないが滑稽さや自虐さもない。フランがひとりで楽しむ夢想の世界だ。
作品のトーンは特に難解ではないし、93分と尺も短い。わたしのこの文章を読んで少しでも共感したり興味を持った人は、今後配信などでもぜひ鑑賞してほしい。地味だが後からじわじわ来る映画だ。




 

「アビゲイル」

身代金目的の誘拐犯グループが標的にした12歳の少女バレリーナは、実は身の毛もよだつヴァンパイアだった!!!というお話。
冒頭、白いチュチュにポアントを履いて「白鳥の湖」を踊り始める少女アビゲイル。だが舞台でスポットライトを浴びるものの観客はだれもいないし、リハーサルなら必ずいるはずの指導者やスタッフもなし。この少女はなぜたったひとり舞台で踊っているの? とまず疑問がわいた。
舞台を終えて迎えの車に乗りこみ帰宅先の豪邸に着いた時、アビゲイルは誘拐犯たちに襲われる。彼らはそれぞれのスキルを生かしたプロ集団だが、お互いのことは何も知らない。指示役が計画を立て、少女の父親から5000万ドルの身代金を得ようと企んでいるのだ。
アビゲイルを自室に閉じ込めて一晩監視すれば、身代金は必ず手に入るはず。あとはチョロにものだとばかり、誘拐犯たちは豪邸で飲んだりしゃべったりケンカしたり、好き勝手を始める。
6人の誘拐犯たちのキャラもたって、力関係やら好き嫌いやら人間関係が描かれる。このあたりホラー的要素はないが、後にとんでもないことが引き起こされる予兆のようなものも…
アビゲイルは監視役の女性に心を許すふりをし、か弱い少女を演じるが化けの皮が剥がれるのは時間の問題。誘拐犯たちは、逆に自分たちがこのおぞましい屋敷に閉じ込められたことを知ることになる。
彼女が一気に本性を現した後は、もう怒涛のような展開が。ホラー映画のお決まりだが、ひとりまたひとりと誘拐犯はアビゲイルの餌食になっていく。
白いチュチュが真っ赤な血に染まり、襲いながらも(無意味に)バレエのステップやターンを入れるなどなかなか凝っている。BGMには「白鳥の湖」が頻繁に流れていて、真面目なバレエファンには怒られそうだが、ちょっと笑ってしまった。
もう少し心理的な怖さがあればよかったと思うが、とにかく超ド級のスプラッターでこれでもか、とバイオレンスが繰り返される。
何といっても天才子役のアリーシャ・ウィアーのひとり勝ちのような映画で、大人たちは出番の割に印象は薄い。
子役は演技力重視で選ばれたようで(それでいいのだが)、バレエは未経験者。映画のために特訓したそうだが、実際の踊りのシーンは少なめだった。





 

「箱男」

50代以降の文学好きの人なら、安部公房の名前に懐かしさを感じるかもしれない。
私も70、80年代の頃にはよく小説を読んだし、安部公房スタジオの演劇も観に行ったことがある。非常に稀有な才能の作家で、ノーベル賞も近いと言われていたのだ。
シュールで難解だがなぜか惹かれるものがあって、解るとか解らない以前に読みたくなる圧倒的な力のある作家だった。93年に68歳で亡くなっている。
もう30年も経ってしまったし、正直没後はあまり思い出すこともなく、作品を読み返すこともなかったのだが…
「箱男」が石井岳龍(改名前は石井聰亙)監督によって映画化されたと聞いて驚いた。しかも27年前にクランクイン直前で突然制作中止となり、紆余曲折を経て同じ主要キャストで再度映画化にチャレンジしたと知り、これはもうどうしても観なくてはと思ったのだ。
カメラマンの「わたし」(永瀬正敏)は、街で見かけた「箱男」に心奪われてしまう。段ボール箱を頭から腰まですっぽりかぶり、街を彷徨いつつ覗き穴から外を眺めてはノートに妄想を記す。自分も同じように段ボールをかぶってのぞき窓を開けてみるが、本物の箱男になるのは容易ではない。わたしをつけ狙い箱男の存在を乗っ取ろうとする偽医者(浅野忠信)や、わたしを誘惑する謎の女などが現れる。
非常にシュールな物語で、映画化するのはかなり難しいと思われた。だが石井監督は安部公房が亡くなる前、実際に会って映画化の許可を取っていたというから並々ならぬ熱意を感じる。
物語は合理的な展開とは言い難いが、それなりにスリリングで目が離せなくなる。昭和のノスタルジックさを令和に置き換えてもぜんぜん「いける」。
他人に見られずに他人を観察する、などという行為はまさしくSNSそのものだし、現代でも十分通用するテーマだ。むしろ現代の方がマッチするかもしれない。
「見る」か「見られる」かも問われ、観客も当事者となるラストがユニーク。




 

「大いなる不在」

最近は見ごたえのある日本映画が多く、それはうれしいかぎりだがせっかく内容がよくてもほとんど注目されず、多くの人が知らない間に公開が終わってしまう、そんな残念なことがしばしばあるのも事実だ。

この「大いなる不在」もその一本だ。インディペンデントの作品だからといって、ひとりよがりな芸術性をチラつかせるわけでもなく、きちんとエンタメ性も踏まえた心に残る一本だ。
俳優をしている卓は、幼い頃に自分と母親を捨てて家を出た父親が警察に捕まったという連絡を受け、久々に父と対面することに。久々に会った父は認知症になっていて別人のように変わっていた。そして再婚したはずの妻もどこかに消えていた。
まったく事情がわからない卓は、残された家で父のそれまでの人生を探り始める…
と、最初は何やらサスペンスタッチの始まり方だが、謎解きがテーマではない。
俳優陣の演技が素晴らしく、森山未來が演じる卓は父親の謎を追ううちに、あちこち壁にぶつかってその度に翻弄される姿を、細やかな表情で表している。
何といっても圧巻なのは82歳の藤竜也が演じる父親。卓が会うたびにまったく別の顔を見せるという難役を、リアルに見せていた。
それなりの地位と知性があった人が認知症を発症する姿は、見ていて本当に心が苦しくなる。藤は、いわゆるボケ老人的な型にはまった演技はしないが、それだけにかえって説得力があり、自分自身がわからなくなっていく焦りや恐怖も見事に演じていた。
もうひとつの主役は「手紙」だ。父親が綴った手紙、主に昔のラブレターだがこの文章が実に文学的で味わい深いのだ。まだ「手紙文化」を知っている中年以降の人間にはしびれる内容。残された大量の手紙や日記、メモもさぞ読みごたえがあっただろう。まだ正気だった頃の父親を理解する唯一の手だてだ。
映画は何ともやるせない最後を迎えるが、これが現実なのだしきれいごとにしないのにも意味がある。
近浦啓監督と藤竜也は相性がいいのかこれが3本目の起用だそうだが、「できればもう1本呼んでほしい」、という彼の願いが叶うことを祈る。



 

「めくらやなぎと眠る女」

村上春樹の原作小説を、フランスの監督が映画化、といってもアニメではあるが。
表題作のほか、短編小説6編を再構築してできたハルキワールド。
監督はかなり村上春樹に傾倒しているガチなハルキストだそうだ。なので村上作品のエッセンスの凝縮であり、細部にまでこだわりぬいている。
ミステリアスな雰囲気や、オチがあるようでないような微妙さなど、小説のファンならよくわかる世界観だ。
監督は当初から日本語で作ることを希望していたようで(オリジナルは英語)、深田晃司監督の演出による日本語版が断然おすすめだ。これは日本での劇場公開に合わせて制作されたもの。声優は使わず磯村勇斗、古舘寛治、塚本晋也らによる吹き替えが映画の雰囲気をよく表している。また音楽の使い方や音響も素晴らしい。
日本のアニメに親しんでいると、どうにも人物の表情が乏しく感じられてしまうのだが、外国人から見ると日本人の顔や表情はこんな感じなのかな、とも思った。
しかし驚いたのは、日本の風景や建物、住居や職場の内部、日用品に至るまでまったく違和感なくアニメで再現してくれたことだ。
桜とススキが同時に咲いていておかしいと指摘する人がいたが、それは間違いというより村上作品ならあり得るかもしれない、と思わせてしまう説得力だ。
電車の中での風景など、無関係な人々がうっすら透明になって表されているなど、現代日本を象徴しているようでどきっとさせられるところも。
複数のキャラクターと物語が絡み合う世界だが、2011年の地震と津波という大きな出来事が、登場人物たちをいかに目覚めさせたか、人生を見つめ直したかに言及している。シニカルでファンタジックな世界が堪能できる。

なお、ベースになった小説は
「かえるくん、東京を救う」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「めじまき鳥と火曜日の女たち」「UFOが釧路に降りる」「めくらやなぎと、眠る女」