「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」

卓球後進国だった50年代のアメリカ。実在した卓球選手マーティ・リーズマンの人生から着想を得た映画だ。
ティモシー・シャラメが、どうしようもなくクレイジーでクズな男を、この上なく生き生きと演じた。まったく共感できないのに、どこか憎めず、自らの目標のために全力疾走する姿が面白くて、ついつい引き込まれてしまう。
シャラメの演技が映画に説得力を与え、感情移入できないキャラなのに観ている側の頬が思わずゆるんでしまうのだった。
149分とこの種の映画の割には長尺で、正直このエピソードは要らないのでは、というものもあったが、それを含めて主人公マーティが悪あがきしながら卓球世界一をめざす姿から目が離せない。
日本での試合シーンがあり、それがこの映画のひとつのハイライトでもある。普通のハリウッド映画なら、わざわざ日本にこなくてもどこか適当な場所を日本らしくしつらえ、アジア系の俳優を大量動員して撮影するところだろう。が、この監督はそれをしなかった。ちゃんと日本でロケして、エキストラのひとりまですべて日本人でそろえたという。このこだわりがすごい。
だから日本人の私たちが観ても、まったく不自然さが感じられない場面となった。
試合の撮影はさすがにCGありだったようだが。
卓球のシーンはたっぷり時間を割いて見応えがあった。マーティの対戦相手である日本人は、川口功人選手というデフリクピックにも出場した人。彼は俳優ではないのに、なかなか「いい味」を出していて、そういうところのキャスティングも監督のセンスだな、と感心してしまった。
脇役にいたっては、グウィネス・パルトローほかみないい芝居をしていて、シャラメを引き立てる以上の仕事をしていたと思う。



 

「センチメンタル・バリュー」

 

「わたしは最悪」などのヨアキム・トリアー監督(ラース・フォン・トリアー監督の遠縁にあたるそうだ)のヒューマン・ドラマ。
ヒロインのノラはオスロで俳優として活動している。幼い頃、出て行ったきり疎遠になっていた映画監督の父親が、久々に監督する新作にノラを主人公にと打診してきた。父に対して複雑な感情を持っているノラは出演を断るが、他の若手女優をたてて映画化は実現する。おまけに撮影場所は自分たちが住んでいた実家であるとわかり、激しく動揺する…
家族間の感情のもつれはとてもやっかいだ。特にこの父親は自分勝手で独善的、作品のためなら人がどう感じようがおかまいなしだ。
ノラの方は父親の被害者だと思っているが、本番直前に舞台を降板すると言ってみたり、周囲を振り回しているところは父親に似ていなくもない。たぶん本人は否定するだろうが、この父と娘は対立しているがけっこう似ている。人は自分と似ている人を目の当たりにすると嫌悪するものだ。
ノラと対照的な生き方をしている妹や、作品の解釈に悩む若手女優(エル・ファニングが脇役で登場)、ノラの母親やその上の世代の話も絡んでストーリーは進んでいく。どこかベルイマン的でもある繊細な人間ドラマだ。
家族とは、愛さえあれば何でも解決するというものではない。が、やはり愛は強かった。こんなやっかいな父親と娘でも和解の道はあるのだ。
ラストシーンの演出はうまかった。
 

「嵐が丘」

原作は遠い昔、中学生の頃に読んだが、たぶんよくわかっていなかったと思う。
今回の映画化は、原作の後半部分をばっさりカットして、ひたすらキャサリンとヒースクリフの物語に焦点を当てた。
それ自体は悪くないし、理解もできる。だが全体的な印象がどうも「文芸エロス」になってしまい、きっと原作ファンの評価はよくないだろうと思った。
主演のマーゴット・ロビーもジェイコブ・エロルディも個性の強いキャラを、大変な熱量で演じた。感情的にも肉体的にも濃いラブストーリー、破滅的で激しすぎる愛。
2人の愛憎劇はもちろんだが、脇で登場するキャラも見逃せない。家政婦ネリーはベトナム系女優が演じたためか、物語を掻き回す要因になるヒール的な存在で興味深いし、キャサリンを慕うイザベラに至っては完全にヤバい人だ。
監督が「プロミシング・ヤング・ウーマン」のエメラルド・フェンネルというのが妙に納得できる。時にキャサリンの言動が現代的に感じられたのは監督のセンスだろう。
キャサリンの衣装にしても、この当時にはあり得ないような素材を使用したりとかなり冒険的だが、それがあまり不自然に感じられないのだ。
ヒースクリフ役のジェイコブ・エロルディは「フランケンシュタイン」で好演したが、このタイミングでのキャスティングは大正解だと思った。
個人的な好みで言えば、キャサリン役にはもう少しヨーロッパ的な雰囲気の女優で見たかったかな、とも思うがマーゴット・ロビーがプロデュースまで担当しているので、まあ、それはそれでアリだろう。


 

日本人の女性監督が、ハリウッドでこんな素敵な映画を撮ったなんてうれしい限りだ。
クールさと可笑しみが混在している空気感が「ロスト・イン・トランスレーション」を思い出してしまった。異邦人 in Tokyo という共通点は確かだが。
ブレンダン・フレーザー演じるフィリップは、以前はそこそこ人気のある俳優だったが、今は東京でひとり暮らししながら細々と俳優業を続けている。
そんな彼のもとに「レンタル・ファミリー」の仕事が舞いこんでいる。嘘をつき通す仕事に後ろめたさを感じつつも、彼はその仕事を引き受けるのだった。
何といっても、ブレンダン・フレイザーあっても映画だ。あの大きな身体を小さく丸めながら満員電車に揺られる姿は、それだけでほのぼのしてくる。
顧客の要望に合わせて家族のようなふりをすることに、最初のうちは良心がとがめるフィリップだが、次第にその仕事にのめりこんでいく。

仕事と割り切れない「情」や「共感」がわいてきて、逸脱しそうになってしまう。
彼の葛藤は丁寧に描かれるが、決して重くなりすぎず、あざとさもなく、時にユーモアが感じさせるのは、彼のキャラによるものだろう。
そして驚くのは彼を取り巻く役者たちの芸達者ぶりだ。柄本明の存在感は言うまでもないが、平岳大や山本真理が思いのほかいい味を出しているし、子役の少女は将来がとても楽しみだ。
あまり期待しないで鑑賞したのだが、いい作品に出会えたと満足度は高かった。



 

「ブゴニア」

この映画が韓国映画のリメイクだったとは。しかもそれを勧めたのがアリ・アスター監督(「ブゴニア」の製作にも携わっている)だったというのは、意外だがさもありなんという感じだ。
エマ・ストーンはヨルゴス・ランティモス監督とはよほど相性がいいいのか、もう5本目の出演だ。
今回は映画のため本当に坊主頭にもなったが、本人はそれにまったく抵抗がなかったというから驚きだ。
エマ・ストーン演じる製薬会社のCEOミシェルが、地球侵略を目論む宇宙人だと信じこんでいる陰謀論者のテディとその手下。彼女を誘拐して地下室に監禁し「地球から手を引け」と迫るのだった。
正直、陰謀論者の話とかもううんざりなのだが、今回はミシェルのキャラのおかげか一気に観てしまった。皮肉なユーモアもそこここに散りばめられているし。
登場人物の背景は、話が進むにつれて少しずつ判明してくるが、最初は何だかわけがわからない。このもったいぶったような演出が苦手な人にはキツいだろう。
ミシェルは心理学の専門家でもあるので、テディたちを言いくるめながら何とか窮地を乗りきろうとするが、事態は思わぬ方向に転がり始める…
予想もつかない展開に驚きながら怒涛のようなラストを迎える。
もともとの韓国映画がどんな感じだったのか、観てみたい気もするが。20年以上前の作品、伝説的カルト映画だそうだ。こういう作品を見つけてくるところもすごい。
エマ・ストーンもだが、陰謀論者を演じたジェシー・プレモンスの芸達者ぶりも光っていた。


 

「HELP / 復讐島」

こともあろうに出張途中での飛行機事故で、パワハラ上司と無人島に取り残されてしまったヒロイン。助けは来ないので孤島での2人きりの生活が始まる。
ところがこのヒロイン、テレビのサバイバル番組が大好きで知識だけは豊富、おまけに度胸と体力も持ち合わせている。かたや上司の方は何ひとつできず、食べ物も調達できずにスネてばかり。
無人島での立場逆転劇といえば、近年「逆転のトライアングル」をすぐに連想する。あれもなかなかの名作だったが、こちらも引けをとらない。何しろ監督はサム・ライミだから。
いわゆるホラー映画とは異なるが、ドッキリがあったり血まみれの格闘劇とかスプラッター度も高い。そして何より、いけすかない上司との心理劇が興味深い。
職場ではざんざん馬鹿にされてきたけれど、無人島では明らかに彼女の方が立場が上。それなのにこの上司は彼女に従う素振りを見せながら、突然裏をかいたり一筋縄ではいかない。
極限状態でお互い助け合う美しい人間愛など生まれない。いつ足を引っ張られるかわからないから気を抜けないのだ。
このあたり、サム・ライミらしい皮肉に満ちて、またユーモラスでもある。
話は終盤に向かって二転、三転して最後までハラハラ、ドキドキ。どう着地させるのかわからない。
途中で「やはり! 」という展開があったが、それでもまだ終わらないところが「やられた! 」と思った。
ラストは胸がスカッとしたが、よく考えるとこのヒロインもかなりイタいキャラであることは確かだ。このあたり、現代的でよくできているな、と感心した。
ヒロインのレイチェル・マクアダムスが大熱演。


 

「恋愛裁判」

深田晃司監督の作品はずっと見ているつもりだが、今回はいい意味でとても見やすく一般受けもする作りになっていた。
恋愛禁止事項に違反したとして、芸能事務所から訴えられたアイドルの案件(実際にあったこと)をヒントにした作品だ。
この監督だから、アイドル時代のことは回想で軽くふれるぐらいと予想していたのだが、前半はたっぷりとアイドルの日常を描いてみせた。
もちろんそれはそれでとても興味深かく、思わず引きこまれてしまった。が、やはり何といっても裁判が始まってからが面白い。
クールにアイドルを演じた齊藤京子が、闘う女へと変貌したのだ。アイドルの衣装と作り笑を脱ぎ捨て、紺スーツに真顔で法廷に臨む。もう少しスリリングな法廷劇があってもいいと感じたが、実はテーマはそこだけではなかったのだ。
倉悠貴演じる大道芸人の恋人は、なかなか秀逸で好演していたと思う。アイドルの世俗性とは正反対のアーティスト気質の彼。こりゃ、惹かれるのも無理ないわ、と思っていたら……
彼は彼女の王子様ではなかった。早々に化けの皮がはがれ、世俗に戻っていってしまった。
このあたりは深田晃司監督らしい皮肉に満ちていた。
ラストシーンは何となく予想がついていたが、それでもやはり感動的で、頑張れとヒロインの細い肩を押してあげたくなるのだった。