「ナギダイアリー」

深田晃司監督が、9年もの歳月をかけて仕上げたという作品。自然あふれる架空の田舎町ナギを舞台にしたヒューマンドラマだ。
実家でひとり暮らしをする彫刻家の寄子(松たか子)のもとへ、弟の元妻である建築家の友梨(石橋静河)が訪ねてくる。2人は弟の離婚後も以前と変わりなく、親友同士のような交流を続けていた。友梨は寄子の彫刻のモデルも務めていた。
ゆったりとした空気が流れるナギで、都会の生活に疲れた友梨はスローライフを満喫する。2人の女性が旧交をあたため合うほのぼのしたいい話、と思いきや狭い地域社会での問題点や生きづらさなど少しずつ問題点も浮かび上がってくる。
特に寄子の幼なじみ(松山ケンイチ)とその息子、息子の友達の話が加わってくるとにわかに世界が広がり、世の中に理想郷などという場所はないのだと実感する。
ことに性的マイノリティーにとって、のどかな田舎町は逆に息苦しさを感じるだろう。
中学生2人には、思わずがんばれと声援を送りたくなるが、果たして背中を押していいものか、親心もわかるだけに複雑だ。
それほど大きな出来事が起きるわけでもないし、スリリングが展開があるわけでもない。どこが素晴らしいとも言いずらいのだが、不思議な魅力のある作品だった。じんわりと心に響く。
主演は松たか子だが、実質的な主人公である石橋静河が、朝ドラとはまた違った悩める現代女性を好演していた。


 

「ハート・オブ・ビースト」

飛行機事故によって、アラスカの奥地に取り残された退役軍人ジェームスと、義足の元軍用犬オーディン。このひとりと1匹によるサバイバル・ムービーだ。
映画は9割方、登場者はブラッド・ピットと大型犬のみの映像が続くが、雄大なアラスカの大自然とあいまって、非常に奥行きの深い作品に仕上がっていた。
なかなかの感動作で、最後じんわりと泣けた(動物ものではあるが、あざとい涙を誘う映画ではない)。
ブラピも60歳を過ぎて、味わい深い演技のできる役者になったのだなあと感心(いぶし銀、まであと一歩! )。
台詞はモノローグか犬に話しかけるのみ。ジェームスに話しかけられた時の、オーディンの「受け」の芝居(反応)がまた素晴らしい。主人をまっすぐ見つめる目が、言葉はなくともいくつもの返事を語っていた。
それもこれも戦場で生死の境をともにしてきた信頼から得られたもの。元特殊部隊の軍人と偵察犬のコンビなので、1級のサバイバーと想像できるがアラスカの自然の厳しさは甘くなかった。両者は協力し合い、さまざまな危険に遭いながらもマイホームをめざしてひたすら歩き続ける。
ジェームスを演じたブラピの演技も素晴らしいが、これは最高の「犬映画」でもある。動物映画ではよくあることだが、オーディンは4頭の犬が演じ分けた。もちろん観客には区別がつかない。アップで映る時は同じ犬なのかもしれないが。
犬好き(特に大型犬)は、必見の映画だ。そうでない人にとっても、深く人生を感じさせる名作だと思った。



 

「しびれ」

主人公の大地は、幼い頃の父親の激しい暴力の影響で言葉を発することができない。日本海に面した街で母親と暮らしているが、水商売で生計を立てている母親はあまり家には帰らなかった。大地は不登校でほとんど家にいるが、生活は苦しく食べるのもやっとの状況だ。
水道を止められたため、自分で川の水をくんできて濾過して飲んだり、食べ物を調達してきたりと、することは山のようにあった。だが親からはネグレクト、友達もなく孤独な少年だった。
やがて母親とともに叔母の家に身を寄せるが、そこにも彼の居場所はなかった。
大地には次々に受難が訪れるのだが、彼はそのたびに黙って受け入れる。それが運命だと言わんばかりに。
監督の自伝的ストーリーということだが、幼い大地がこれでもかというほどつらい目に遭うのは、本当に観ていて胸が苦しくなるようだった。
雪まじりの冷たい雨が降りしきる田舎の街で、絶望と闘いながらたったひとりで生きていく大地。
幼児、小学生、中学生と3人の子役がつないでいったが、無言の中での深い演技に感心させられた。「誰も知らない」の柳楽優弥を思い出してしまった。
主演の北村匠海は後半45分のみの出演だが、ほとんど変わらない表情の中、まなざしだけで多くを語った。
そして宮沢りえは、どうしようもなくダメな母親を見事に好演した。
結局、大地は毒親2人を「赦す」ことでしか救われないのだった。
とてつもなく暗く重い話なのにラストには希望の光が見えてきて、観ているこちらも救われた気がした。

 

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」

実話に基づいた話。塚本晋也監督、堂々たる反戦映画だ。ひとりでも多くの人に観てもらいたいと強く感じた。

差別と貧困からアメリカ軍に入隊したアレン・ネルソン。ベトナム戦争に送られた彼は、悲惨で過酷な戦争の現実を目の当たりにする。人を殺すことに最初はためらいがあった彼だが、徐々に日常のこととなり馴らされていってしまう。
やがて帰国するが、彼は戦場で経験したことがトラウマになり、PTSDの症状に苦しみ始める。ちょっとした街の騒音や光にも過剰に反応し、何度も狂い出しそうになる。
孤独と絶望の中、唯一の心の支えは退役軍人病院で出会ったひとりの精神科医の存在だった。
戦場シーンは特にリアルで残酷、その理不尽さに恐怖と怒りを感じた。アジア人は人間と思うなと教えこまれ、女性も子どもも老人も容赦なく殺戮する。その死体を軒先に並べ、ベトコンを誘い出す罠にする。
ごく普通の若者だったネルソンが、何の感情もなくまるで虫ケラを扱うように次々と殺していくことに背筋が凍る思いがした。戦争は被害者だけでなく、加害者もまた「壊して」いくのだ。
戦争後遺症のリハビリと贖罪の意味もあり、後年ネルソンは戦争の語り部となって、加害者の立場から数多くの講演を行う。特にベトナムのダナンでの講演シーンは、鬼気迫るものがあり、観ている方も緊張を強いられる。
タイトルになった文言は、初めて戦争体験を話しに行った小学校で、女生徒が小さな声で彼に質問した台詞だ。ネルソンは言葉につまり思わず自分を見失いそうになってしまう。
このシーンは劇中2度出てくるが、2度目は特に感動的で胸に迫るものがあり、涙なしで観られなかった。

 

「ヒンド・ラジャブの声」

実話に基づいた話。2024年パレスチナ自治区のガザ。攻撃を受けた車の中でひとり生き残った6歳の少女ヒンド・ラジャブが、車内に閉じこめられてしまった。
人道支援団体が助けを求める少女からの電話を受け、直ちに救出に向かおうとする。が、そこには様々な壁が立ちはだかり、すぐには救急車も出せない。慎重にならなければ救助チームまで危険にさらされることになるからだ。
いつまた攻撃が始まるかわからない中、電話の向こうで恐怖におびえる少女を必死でなだめるスタッフたち。彼らが直面する焦りと怒り、そして大きな無力感。
一種の再現ドラマだが、電話の声は実際のヒンド・ラジャブ本人の音声が使用されている。異様なほどのリアリティで観る者の胸に迫ってくる。
電話を受ける側の人たちは俳優を使っているが、非常な切迫感とテンションで鬼気迫る演技を見せている。
あえて現場を見せない演出で、観ている側の想像力を刺激し「早く行ってあげて」と、ひたすら祈りたい気持ちでいっぱいになる。
衝撃の結末にはただ言葉を失った。観終わった後、怒りと虚しさが激しく交錯したが、この現実をひとりでも多くの人に知ってほしいと心から望むのであった。

 

「時には懺悔を」

原作は打海文三のミステリー小説。
ある探偵が殺害された事件の真相を追う、元同僚の佐竹(西島秀俊)と助手(満島ひかり)。2人は殺人事件を調べるうちに、過去に起きた新生児誘拐事件との接点にたどりつく。
探偵と助手が織りなすハードボイルドな犯罪ミステリーかと思いきや、物語は思いがけない方向へ転がり始め、登場人物それぞれの過去や抱えている問題が、次第に浮き彫りになっていく。
前半は複雑な人間関係や事件の全容がわかりずらい面もあったが、わかり始めると途端にのめりこんで目が離せなくなる。
どのキャラクターも、暗い過去や重い現実の中でもがき苦しみ、葛藤しながら生きている。

作中、重要なエピソードのひとつとして、病院で赤ん坊を誘拐したらその子には重度の障がいがあった、というものがある。フィクションとわかっていても非常に考えさせられる。さあ、どうするか(そもそも誘拐する方が悪いのだが)。
障がいを持つ子を、受け入れられない者、逆にその子に救われ成長していく者。それぞれの心情が切実に語られていく。慈愛に満ちたストレートな演出に、胸打たれるシーンも多かった。
主演の西島や共演の満島のほかにも、有名俳優たちが熱演を競ったが、最終的には宮藤官九郎がすべてかっさらってしまった気がする。ちょっとズルいな、と思いながらも達観したようなその演技にひたすら感心するのだった。
 



 

「顔 かお」

韓国映画。盲目ながら篆刻家(印章を作成する人)として名をあげた父。その父をサポートする息子が主人公だが、母親のことはほとんど知らない。
母は40年前に突然姿を消したが、1枚の写真も残っていなかった。だがある日、何の前ぶれもなく母親の遺体が見つかったと警察から連絡を受ける。母親の死は事件の可能性があるとみた彼は、独自に調査を進めていくのだった。
たまたま父親のドキュメンタリー番組の制作のためやってきたプロデューサーの女性と息子は、母親のことを調べていくうちに意外な事実に直面する。と、このあたりはミステリータッチで思わず引き込まれてしまった。寡黙な職人肌の父親は、ほとんど母親のことを語ろうとしなかったのだ。
母親がその容姿のために蔑まれ、ひどい差別を受けて暮らしていたことが判明していく。昨今、しばしば映画のテーマになるルッキズム。しかしここまであからさまな差別といじめの表現は、見ていて胸が苦しくなるようだった。
父親も貧しいハンコ屋時代は、目が見えないことで馬鹿にされたり差別を受けてきたのだ。
同じ傷みを持つ2人はごく自然に惹かれ合い、世帯を持つことに。
自分の顔を知らない(見えない)夫となら、うまくやっていけると思ったのだろうか。
だが母親はまだ赤ん坊の息子を置いて、ある日突然姿を消してしまった。
当時は韓国の高度成長期。経済発展の陰で横行していた差別や男性優位主義など、映画は社会の暗部に焦点を当てていく。
母親失踪の真実は何ともやるせないい顛末だったが、作品全体を通して小品ながらも胸に重く迫るものがあった。

 

「ナイトボーン 夜哭」

フィンランドの女性監督の手によるホラー映画。前作「ハッチング」も刺激的な内容だったが、今回はポスターからして強烈だ。もっともこれは日本版で、下に掲載した他国版は意外とひんやりしている(が、よく見ると…)。
北欧ホラーといえば森。この映画においても、森が影の主人公なのだ。
森はまるで生き物みたいで、深くて底知れない。人間などそれにくらべたらあまりにもちっぽけな存在で、その力には決して抗えない。
その森が神秘な存在から呪いに変わる時、妊娠は決して祝福されないのだ。
人間ではないものを産んでしまった母親の叫びがまさにこの「顔」…
ストーリーはシンプルだ。街から森の中の家に移住してきた夫婦が、念願の子を授かる。
皆に祝福され、赤ん坊のお披露目会なども催されるが、夫が仕事に出かけてしまう日中は子どもと2人きり。
母親は初めての育児に戸惑いながらも、この子はどこか普通と違う、と違和感を覚え始めるのだった(夫の方は比較的鈍感、これはありがち)。
前作「ハッチング」の時もそうだったが、この監督の作品には女性性を強く感じさせる部分が多々あり、今回は妊娠、出産、育児がさながらボディホラーにもなってしまった(しかしやりすぎないところがいい)。
出産、育児経験のある人なら「あるある」を感じるところだが、それ以上にこの赤ん坊が不気味で怖かった。肝心な顔が見えそうでなかなか見えないところが、不安と恐怖をあおっていく。
それにしても母親役の怪演がすさまじく、こんな「顔芸」ができる女優は日本にはいないかもしれない、と思ってしまった。