「ナイトボーン 夜哭」
フィンランドの女性監督の手によるホラー映画。前作「ハッチング」も刺激的な内容だったが、今回はポスターからして強烈だ。もっともこれは日本版で、下に掲載した他国版は意外とひんやりしている(が、よく見ると…)。
北欧ホラーといえば森。この映画においても、森が影の主人公なのだ。
森はまるで生き物みたいで、深くて底知れない。人間などそれにくらべたらあまりにもちっぽけな存在で、その力には決して抗えない。
その森が神秘な存在から呪いに変わる時、妊娠は決して祝福されないのだ。
人間ではないものを産んでしまった母親の叫びがまさにこの「顔」…
ストーリーはシンプルだ。街から森の中の家に移住してきた夫婦が、念願の子を授かる。
皆に祝福され、赤ん坊のお披露目会なども催されるが、夫が仕事に出かけてしまう日中は子どもと2人きり。
母親は初めての育児に戸惑いながらも、この子はどこか普通と違う、と違和感を覚え始めるのだった(夫の方は比較的鈍感、これはありがち)。
前作「ハッチング」の時もそうだったが、この監督の作品には女性性を強く感じさせる部分が多々あり、今回は妊娠、出産、育児がさながらボディホラーにもなってしまった(しかしやりすぎないところがいい)。
出産、育児経験のある人なら「あるある」を感じるところだが、それ以上にこの赤ん坊が不気味で怖かった。肝心な顔が見えそうでなかなか見えないところが、不安と恐怖をあおっていく。
それにしても母親役の怪演がすさまじく、こんな「顔芸」ができる女優は日本にはいないかもしれない、と思ってしまった。

- 前ページ
- 次ページ
「左利きの少女」
田舎から台北の街に引っ越してきたシングルマザーと5歳の娘イージン、年の離れた姉のイーアンが心機一転、夜市で屋台の麺屋を開業することに。
慣れない仕事の上に、母親は借金を抱えているので生活はギリギリ。
姉もバイト先でトラブルに遭ったりしていつも不機嫌だが、まだ幼くひとり元気なイージンは姉のスクーターで送り迎えされ、新しい幼稚園に通っている。
左利きのイージンは祖父から「悪魔の手だ」と言われてショックを受ける。だが母親も姉もある意味悪魔を抱えて生きているのだった。
貧困を乗り切るには時として悪魔の手も借りたくなるのだが、そんなエピソードをいくつも積み重ねてストーリーは巧みに語られていく。
台湾のホームドラマらしく食卓を囲むシーンも多い。祖母の還暦祝いをレストランで盛大に執り行われるが、ここでまた一波乱が。
全編をiPhoneで撮影された画面がヴィヴィッドで、人物描写もひとりひとりが生き生きしている。物語は5歳のイージンの目を通して語られているが、家父長制やメンツ重視といった古い社会道徳を、スカッと笑い飛ばしているところがいい。
監督は台湾出身の女性ツォウ・シーチンだが、脚本に「アノーラ」のショーン・ベイカーが名を連ねている。
社会の底辺で生きる女性たちが逞しくもあり、したたかでしなやかな姿を鮮烈に描き出していて、とても好感の持てる作品だった。
「大統領のケーキ」
イラク映画。1990年代、独裁者フセインの圧政時代、貧しい庶民の物語だ。
農村地帯に祖母と2人で暮らす9歳の少女ラミア。生活はとても苦しいが、湿地帯を小舟で渡り、毎日学校に通っている。
その学校も(日本の戦時中のように)思想教育、教師による圧力がハンパない状況だった。学校では、フセイン大統領の誕生日にあたって、お祝いの品々を用意する係がくじ引きで決められた。ラミアはケーキを作る係に当たってしまった。
材料費は自己負担。砂糖も小麦粉も卵も、ラミアの家にとっては簡単に手に入れることはできない。それでも学校からの任命は絶対なので、作れませんなどは言えない。
翌日、祖母と街に出るがケーキ材料の買い物ではなく、祖母の本意がラミアを養子に出すことだと知って思わず逃げ出す。ラミアは同級生の男子サイードに協力してもらい、ケーキの材料をそろえようと奔走する。
だがラミアとサイードは子どもゆえに、悪い大人に騙されたりさんざん振り回されたりで四苦八苦。過酷な状況ではあるが、人間味にあふれリアルで胸を打つ感動的な冒険物語だ。
当時、庶民の暮らしはみな苦しく、平和ともほど遠い。それでもラミアとペットの鶏、そしてサイードとの交流は心をなごませ、こんな片隅にも懸命に生きている命があることを教えてくれる。
演者の多くが素人だというが、実に生き生きと描かれていて、撮影も美しい。まばたきごっこなど、ほのぼのとしたシーンも多いが、強い政治的メッセージを含んだ作品だ。
原題は「葦の王国」という美しいタイトルがついている。ラミアの住む湿地帯での早朝や夕方のシーンが特に抒情的で、素晴らしい風景を見せてくれる。
ラストシーンには思わず息を飲んでしまったが、多くの人に観てもらいたい佳作だと思った。
「隣人たち」
1960年代のアメリカ、大都市郊外。隣同士の家に住むセリーヌ(アン・ハサウェイ)とアリス(ジェシカ・チャスティン)は、お互いに同い年のひとり息子を持つ親で、親友だ。
冒頭は古きよき時代を感じさせる幸せなシーン、何不自由ない専業主婦の生活を垣間見ることができるが、悲劇は割に早い段階で起きる。
その事故のせいで2人の間、というか2つの家族の関係が一変する。
悲嘆にくれるセリーヌは次第に、アリスの息子に強い関心を抱くようになり、それは少し病的でもあった。
セリーヌとアリスはお互いに疑念を持つようになり、もうかつてのような幸せな母親同士ではなくなっていった。そして悲劇はそれだけでは終わらなかった…
2大女優の共演が話題となったが、本当に2人が互角に渡り合うので、どっちがどうなっていくのか最初は読みきれなかった。
その点ではとても見応えがあったのだが、短めの尺でまとめたのはいいとしても、やや物足りない部分も。2人の夫の役割と描写があまりにも足りない気がした。
母親2人に焦点を絞りたいというのは解るが、もう少し描きこんでいたら広がりのある話になっていたのではないか。
あと、欲を言えばもっと(特にセリーヌに関して)伏線がほしかった。
そうでないとラストに納得がいかない。というかあまりにも後味の悪い終わり方。
もうワンシーンあるのかと思ったぐらいだ。
「プライベート・ケース」
ジョディ・フォスターがパリに住むアメリカ人精神科医に扮し、全編フランス語で演じた。
リリアンは自分の患者が突然自殺したことに違和感を覚え、殺されたのではないかと疑い始める。だが医師として守秘義務があるので警察には相談できない。
彼女は患者の死について自分で調べようと、元夫も巻きこんで探偵まがいのことをして調べ始める…。
フランス映画なのだが、以前はこういった小粋で洒落た大人のミステリー風映画がたくさんあった気がするが、最近は数が減って(日本で公開されないだけかもしれないが)残念なかぎりだ。
ウディ・アレンも一時期こうしたタッチの映画を撮っていたのだが。あまりウケないのだろうか。2時間以内に収まって、大袈裟でないつくりのユーモアとウィットに富んだサスペンス映画、好きなんだけどなぁ。
還暦過ぎたジョディ・フォスターも魅力的。無理して若見えさせていないところがナチュラルで好感が持てる。
筋立てはまあありがちだが、ストレスをためこんだ精神科医役のジョディが好演している。こういう人、かなり面倒くさいし身内にいたらやっかいだな、と思いながらもどこかカワイイところもあって憎めない。
冒頭と途中で2回流れるトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」が、ほのかにユーモラスでこの映画にハマりすぎていた。
「オブセッション 災愛」
好きなあの娘に告白できない気弱な男子。何とか彼女に好きになってもらおうと、ダメもとでおまじないグッズを買って試してみたら……想像を絶するとんでもない事態が待っていた!!!
おまじないの効果がほどほどならよかったんだろうけど、そういうわけにはいかなかった。あわてて発売元に問い合わせてみるが、もう元には戻れない、と。絶望の淵に立たされる彼。
激しすぎる彼女の思いが重たすぎて息もできない。添い寝するだけでも命がけ。彼女は彼への執着(オブセッション)の化身へと変貌する。
彼は何度も離れようと試みるが、すべて無駄、徒労。おまじないの効力がありすぎて彼女は完全に別人に。もう好きだったあの娘じゃない、バケモノだー。
彼女の愛はひとりで勝手に暴走し、それはもう災害級レベルに。
悲しいかな彼は、運命に逆らうことはできなかった。たった一度、おまじないを試しただけだったのに……
ああ、世の中に取り憑かれた女ほどホラーなものはない。
だけど願いが呪いに転化するなんて、実は意外と恋愛の本質を突いているかも、などと思ってしまった。
監督はyoutuber 出身の新鋭だというのが妙に納得できた。この半端ないハイパーぶり。
低予算映画だし日本でもこういうの作れそうだな、とちらっと思ったが、いやいやこの女の役、並のアイドルとかで務まるものじゃない。
取り憑かれたシーンの狂気と、そうでない時の普通の女の子と、振り幅がすごすぎる。この映画の女優さんの怪演ぶりに脱帽。
いわゆる恐怖度はさほどでもないが、ブラックなコメディ・センスもなかなかで、この夏のホラー映画としてはイチオシかも。
「ヌーヴェルヴァーグ」
1959年、当時カイエ・デュ・シネマで執筆していたジャン=リュック・ゴダールは、初の長編監督作品「勝手にしやがれ」の撮影を開始する。
その舞台裏を描いた作品が本作だ。あの名作「勝手にしやがれ」は、たぶんこんな風に撮られたんじゃないか、という妄想映画。
だが冒頭からそっくりさんがわんさか出てきて楽しいし、何より若さあふれる躍動感にわくわくしてくる。
もちろんゴダールとて最初から巨匠だったわけじゃない。演出は自由すぎるし、撮影はゲリラ的だし、プロデューサーの言うことは無視するし。まったくとんでもない新人監督だ。
若き日のゴダールってこんなだったのね、と少々あきれるもそれがまた面白い。
「勝手にしやがれ」をまだ観ていない人でも、特に置いていかれることはないと思う。が、やはり観て知っている人の方が、すぐに「あ、あのシーン撮っているんだな」とわかって楽しい。特に(伝説の)ラストシーンとか。
「あの時代」の高揚感と解放感が何より心地いい。古い映画の質感を出すため、35ミリのスタンダードサイズで再現され、ノスタルジーなムードを高めている。映画愛にあふれた作品だ。
「ロングウォーク」
スティーブン・キング原作。ホラーというよりは友情もの、ヒューマンドラマだ。
歩くか、さもなくばほ死か。休憩は一切なし、一定のスピードで歩き続けなければ即、死が待っているというルール。
ゴールはなく最後のひとりまで残った者が勝者となり、賞金を得られるという国家主催のデスゲーム。それがロングウォークだ。このゲームに若者50人が参加することに。最後まで残るのはだれか、そしてその間にどんな展開があるのか、いやでも期待が高まる。
一本道を人がただ歩き続けるだけなので、緊張感はあるがどうしても絵が単調になる。そこは参加者同士のリアルな会話でほぼ108分もたせる。
参加者のキャラが決め手だ。主人公レイとさっそく親しくなったピーター。皆がライバルとはいえ、この過酷なレースを孤独で戦うのは無理だ。極限状態の中、そこに友情が生まれる。支え合わなければとても続けられない。
この2人を中心に、他の参加者も絡んできてドラマが生まれるわけだ。止まることは許されないので、靴紐を結び直しただけでも銃殺、なんてことに。靴に入った石を取り除くだけでも命がけだ。
うまいな、と思ったのは人数の減り方とタイミング、その配分も。もちろん個々にそれぞれの事情がありドラマもある。嫌な奴だなと思っていた人が、意外な一面を見せたり。
それでもみんな仲良くゴールすることはできないのだ。だれもがそれをわかっているから、ことさらむなしい。
ラストは、こうなるかも…という予想を見事に裏切られた。別のヴァージョンもあったという話だが、このオチが好きかどうかはあなた次第。私はこれもアリかと思ったが。
しかし人間、不眠不休で500キロも歩けるものかと疑いたくなるが、まあ一種の寓話ということで。
69年の映画「ひとりぼっちの青春」を思い出した。男女ペアになって踊り続ける、死のマラソンダンス・コンテスト。若き日のジェーン・フォンダが主演。







