「罪人たち」

1930年代のアメリカ南部の田舎街。ひと儲けしようと企んだ黒人ギャングの双子兄弟が、違法な酒を出すダンスホールを開店させる。が、オープン初日に思いもよらない事態が発生し、これがとんでもないことに…
この映画の魅力を伝えるのに、あらすじを書いてもあまり意味がないだろう。
ジャンルとしてはホラーに入るのかもしれないが、恐怖要素は少なめで前半と後半でもまったく違う趣の映画なのだ。
ある出来事をきっかけに信じられないような展開になって、まさに阿鼻叫喚と化す。
たとえて言うなら「フロム・ダスク・ティル・ドーン」みたいな。それともちょっと違うけど、とにかく今まで観たこともないようなぶっとんだ映画だった。
この手の映画の割にはやや長尺で、前半部分は冗長にも感じるし、トンデモ展開になってからも「意外と普通」という感想は否めないが、それでもこの映画を応援したくなるのは、何といっても音楽の使い方だ。
使い方、というよりもう音楽そのものが映画なのだ。全編に流れるブルースにしびれっぱなし。今はやりのR&Bとかヤワなやつではない、ぶずぶずに泥くさいモノホンのブルース。
伝説的なブルース・ミュージシャンであるロバート・ジョンソンが、悪魔と契約を交わしたと言われる「クロスロード伝説」にヒントを得た映画、と聞いて「おっ」と感じた人にはぜひ観てほしい。
ブルース、というか音楽好きの人なら10倍楽しめるはず。
こういう映画はしのごの語らない方がいいかもしれない。とにかく私は好きだ。
音楽のこともあるので絶対スクリーンで鑑賞した方がいい。

 

「MAXXXINE / マキシーン」

「X エックス」「Pearl パール」と続いたシリーズの完結編。
タイ・ウエスト監督のこのシリーズはけっこう気に入っているので、どう完結させるのか楽しみにしていた。
「X」は70年代のポルノ映画界の話で、その前日譚となる「Pearl」はさらに時代を遡り、そして今回の「マキシーン」は80年代のLAが舞台。
「Xエックス」の惨劇からやっとの思いで生還したマキシーンが、ハリウッドで頂点を目指そうともくろむ。そこに実際の連続殺人鬼ナイト・ストーカーの事件が絡んでくるというものだ。
とにかくミア・ゴスがこれまで以上にヒロインになりきり、攻めの演技で押しまくる。ポルノ映画界では女王になったものの、それでは満足できないマキシーンは、風俗店でバイトしながらチャンスを狙っている。同僚のストリッパーたちやあやしいビデオ店の店主など、それなりに仲間もできた。
男社会にあってのし上がっていくには、どんな手を使ってでも勝ち抜いていかなければならない。物語の序盤、マキシーンにつきまとう変態男を逆に銃で脅して追いつめ、ヒールで睾○をつぶすという超荒技に、ちょっぴり胸がスカッとした女性もいたはず。
そう、だから「マキシーン」はフェミニズム映画としても楽しめるのだ。
ケヴィン・ベーコンがチープな探偵役で登場したり、ライバル女優がリリー・コリンズだったり男女ペアの刑事や映画監督役とか、脇役にもしっかりしたキャスティングがなされている。
85年のハリウッドが舞台だが、その時代を知っている人にはファッションやヘアメイク、音楽、世相が(LAに行ったことがなくても)懐かしいと感じてしまう。
実際にハリウッドでロケを行っているというのも映画好きにはたまらない。「ベイツモーテル」のセットが出てきたりするのだから。
まあ、ラストのオチは、ちょっとお決まりな感じだったのが少し残念ではあるが。
3部作はこれでおしまいだが、個人的にはミア・ゴスのマキシーンのその後が観たくてたまらない。「Maxxxxine  extra」とか制作しないかなぁ。
 

「We Live in Time / この時を生きて」

時々こういう普通で真っ当な映画を観るとほっとする。これといった大仕掛けもなく、流行りも意識しているわけではないが、良質の脚本と役者の演技力で見せる映画。
「難病もの」ではあるが決してお涙頂戴ではない、というのが最大の特徴か。
当然、難病もののラストは決まっているのだが、それを泣かせるだけでなくどう着地させるかが問題なのだ。
その点、この映画は成功していた。悲しいのに悲しくない、というか逆に元気をもらえるのだから。
兎にも角にもフローレンス・ピューの力強いキャラと芝居の上手さが光っていた。相手役のアンドリュー・ガーフィールドの、繊細かつサポートに徹する姿がこれまた胸を打つ。
ヒロインのアルムートは一流を目指す料理人。離婚して失意のどん底にいたトビアスと、ひょんなことで知り合いたちまち恋に落ちる。
だが何事も慎重派のトビアスと型破りなアルムートは、何度もぶつかり合うが遂にいっしょに暮らし始め、やがて娘も誕生する…
と書くと、ごく平凡なラブストーリーに感じるが、この映画は(最近よくある手法だが)時系列がバラバラに語られる。大まかに3つのタイムラインで構成されているのだが、最初は少し混乱するもののすぐに慣れてくるし、それによって脚本が計算されつくされていることがよくわかる。
本来はメロドラマなのだが、ロマコメっぽいところもあるし、出産シーンなどはドキュメンタリーかと思うぐらいリアルだったりと飽きさせない。

料理や家事など日常の何気ないシーンが、とても丁寧な演出がなされているところも素敵だ。
「後悔しない生き方」とか「いかに生きるか」、といったことは限りある命でなければなかなか考えないし実行もできない。ふと「もし自分だったら…」と、そんなことを思いおこさせる映画だった。
 

「秋が来るとき」

フランソワ・オゾン監督らしさにあふれた、小品だが味わい深いヒューマンドラマ。
自然あふれるフランスの田舎で余生を楽しんでいる80歳のミシェルは、娘と孫が休暇で遊びに来るのを楽しみに待っていた。
近所には同世代の親友もいるし、野菜作りをしたり散歩したり料理したり余生を楽しんでいる。決して贅沢ではないが、心に余裕のある生活を送っているように「見えた」。
ところが娘とは、ミシェルの過去の生業をめぐって長年の確執があるようだし、娘自身も離婚問題でピリピリしている。孫息子だけは無邪気で、田舎での休暇を楽しみにしていた。
だが、ミシェルが2人のために腕をふるったキノコ料理が騒動を呼ぶことに。
悪気があったわけではないのに、結果的に娘との関係がますますこじれてしまい落ち込むミシェル。
親友は親友で、素行のよくない刑務所帰りの息子がいて安泰な老後とは言いがたい。
このように普通の暮らしを送っているように見えても、みんな何かしら問題を抱えて生きている。世の中きれいごとばかりではすまされないのだ。
この映画に出てくる人物たちは、決定的な悪人もいなければ完全な善人もいない。みながグレーの部分を持っているし嘘もつく、というのがこの監督らしい人物描写だ。
途中からミステリー仕立てになってきてますます目が離せなくなる。
最後はまさかあの人物までも嘘をついていたとは。さりげなく毒気を含んだ深い作品だった。



 

「ガール・ウィズ・ニードル」

第一次世界大戦後のコペンハーゲンで実際に起きた事件がモチーフに。情け容赦のない冷たい物語がモノクロ映像で語られていく。
身分違いの相手の子を身籠った貧しいお針子カロリーネは、堕胎がうまくいかず困り果てていた。職場である工場の片隅で出産した彼女は、やがてダウマという女性と知り合いになり助けてもらう。彼女は闇で養子斡旋を行っていたのだった。
カロリーネはツイていない女性だがそれは彼女のせいではなく、根本にあるのは貧困だ。夫は戦地に行ったまま行方不明、工場の労働だけでは家賃もろくに払えない日々。社長の愛人になりかけたが、妊娠させられた上に捨てられてしまう。どうしようもないほどの苦境に立たされた彼女の前に現れた「救う神」。

それがたとえ怪しげな人物だったとしても、無力なカロリーネはすがるしかなかった。だれが彼女を責められるだろうか。
この物語は社会的な弱者や、持たざる者に対する徹底した無慈悲な扱い、その根底にある社会状況の悲惨さを語っている。
ダウマの行為はもちろん犯罪だし裁かれるのは当然だが、起るべくして起こった社会悪。デンマークの黒歴史として犯罪史に残っているのだろう。
帰還してきたカロリーネの夫は顔に仮面をつけ、彼もまた戦争の犠牲者なのに残酷な運命をたどることに。
サーカスのシーンや公衆浴場、寒々とした街の様子などがコントラストの強いモノクロ映像で映し出され、独特の空気感。非常に意義深く、考えさせられる作品だった。

 

「サブスタンス」

とにかくデミ・ムーアが凄い。女優人生を賭けたかのようなすさまじい演技だ。
冒頭のエアロビシーンなどは、往年のジェーン・フォンダ「ワークアウト」を思い出させ、まだまだスタイルもいいし見られるルックスじゃないか、と思わせる。
若い頃はそれなりに売れていた女優が、年齢とともに人気がなくなって主演が助演に回ったり、テレビなどスポット的な仕事が増えていく、というのはハリウッドではよくある話だろう。
デミ・ムーア演じるエリザベスも、自身がメイン・キャラクターを務めていたエアロビ番組を降板させられてしまった。
それだけでもショックなのに、番組プロデューサーが陰でひどいことを言っていたのを偶然耳にしてしまう。この憎たらしいプロデューサー役のデニス・クエイドがまたキモくて実に巧い。
仕事を失ったエリザベスは焦るあまりに、怪しげな新しい再生医療に手を出してしまう。これが悲劇の始まりだ。
とはいえ生まれ変わったもうひとりの自分であるスーは、若く美しくピチピチでプロデューサーの眼鏡にもかなう。さっそくエリザベスの後釜として番組のメインに起用される。
スーを演じたマーガレット・クアリーは、これまでの何回か観たことがあったがここまで大化けするとは。若く完璧な肉体と美貌を持つクローン美女を熱演した。
エリザベスの美と若さに対する執着が、残酷な形で具象化してやがて狂気へと暴走する。スーの活躍と反比例するように、エリザベスの姿は次第に崩壊していき、クローネンバークばりのボディ・ホラーと化していく。
このあたり、ここまでやらなくても、 と感じるほど徹底的であわれなクリーチャーになっていく姿が滑稽でさえある。
男目線のエイジズムとルッキズムに対する皮肉、としては少々やりすぎではないか。いや、実はブラック・コメディなのか。
結局は女2人の戦いになってしまうところも、何だかなぁという感じで少し残念。
とはいえ2女優の体当たり演技バトルはすごかったし、特にデミ・ムーアは主演女優賞ものだと思った。
あと、注射針が苦手な人は要注意!


 

「クィア/QUEER」

ウィリアム・バロウズの自伝的小説の映画化。監督は「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ、ということでかなり期待値が上がる。
舞台は50年代のメキシコ。元駐在員のアメリカ人リーは中年のクィア(同性愛者)である。ほとんど毎日街をぶらつき、昼間から酒を飲んだりドラッグを嗜んだり、バーでくだを巻いたりして無為に過ごしている。
そんなある日、街に来たばかりの青年と行きつけのバーで知り合い、たちまち惹かれていく。
恋愛パートはこの監督らしくじっくりと、かつ濃厚に描かれていくわけだ。ダニエル・クレイグ扮するリーが、元アメリカ海軍の美青年ユージーンにのめりこんでいく様が、痛々しくもありどこか滑稽でもある。酔っ払っては毒舌をふるい、自虐ネタを披露していくリー。
ユージーンはリーの求愛を、受け入れたかと思ったら急に突き放したりを繰り返していく。翻弄されるリー。なりふり構わず、みっともないほど愛を求めているのだ。
この調子で、若い男に入れ上げる中年クィアの話が進んでいくのかと思ったら、後半とんでもない展開が待っていた。
リーは(もうほとんど依存症)、テレパシーが使えるようになるという幻のドラッグを求めて、はるばる南米のジャングルに出かけて行く。奇跡の体験を共有するため、ユージーンを伴って。
ほこりっぽいメキシコシティの街から、景色も空気も一変した密林へ。2人はドラッグを研究している博士を訪ねて、ジャングルの奥へ奥へと入りこんでいく。
がらりと雰囲気が変わったこのパートが、個人的にはかなり興味深く気に入った。謎の博士とかキャラが面白すぎるし。
強烈なドラッグ体験で、リーは現実と妄想の区別もつかなくなり、次第に自分を見失っていく。
酒もドラッグも若い男も、結局彼の孤独を満たしてくれるものではなかった……



 

「パディントン 消えた黄金郷の秘密」

原題は「パディントン・イン・ペルー」。そう、今回パディントンは里帰りするのだ。
老くまホームに入っている育ての親ルーシーおばさんが行方不明との連絡を受けて、ロンドンから駆けつけるのだが、おなじみブラウン一家も同伴。
パディントンはロンドンで都会の空気にすっかりなじみ、野生の本能を忘れてしまったのだが、故郷のジャングルで大冒険を繰り広げることになる。たくさんのピンチに見舞われるが、仲間の協力と勇気と、そしてユーモアで危機を乗りきる。
今回はブラウン家の優しいおかあさん役がサリー・ホーキンスから交代。ちょっと残念と思ったが、今度の人もほとんど違和感なかった。
監督も変わったようだが、前2作よりもスケールアップしてますます面白さ炸裂のパディントンだ。
このシリーズ、決して子ども向け映画というわけではない(まあ、子どもが見ても楽しめるだろうけど)。悪い人にもそれなりの事情があり、チャンスがあればいつだっていい人に変わることができると、この物語は教えてくれる。そして悪い人もそれなりにお茶目で魅力的だったりするわけだ。
今回はアントニオ・バンデラスやオリビア・コールマンといった大物俳優が登場するが、彼らも物語の一部になりきり、一筋縄ではいかないキャラクターを生き生きと演じていた。
前作で大活躍したアノ人が特別出演して、ラストを飾ってくれた。この粋な計らいに思わずニヤリとしてしまった。
1作目からもう10年経つが、良心的なシリーズとしてまだまだ続いてほしい。


ひとつ不満なのは、日本での公開は吹替版が圧倒的に多かったこと。私は何といってもパディントンは松坂桃李ではなく、ベン・ウィショーの声で聞きたい。ローカルなシネコンだと吹替版のみの上映だったりして、とても残念。観客は子どもや家族連ればかりではないのだがなぁ。まあ、大人でも字幕読むのが面倒という人が最近は多いのかもしれないけど…