COVID-19は止まらないー2020年冬〜夏 | IDEAのブログ

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世界中を揺るがす新型コロナウイルス感染症...このニュースを昨年春からどれだけ耳に目にしたかわからない。

2020年初頭、中国・武漢市に端を発したこの感染症は、瞬く間に世界中に拡がった。人類のほとんどが免疫を持たず、有効な治療薬も予防ワクチンも存在しなかったため、人々は「接触機会」を減らすことでしか、感染を防ぐ術はなかった。それは今もたぶん変わっていない。

「グローバル・スタンダード」という言葉が指すように、今や「ヒト・モノ・カネ・情報」は国境など無いかのように移動する。それはウイルスにとっても同じだ。

日本にやってきた「黒船」は世界一周を売り物にしていたクルーズ船だった。船内で集団感染(クラスター)が発生し、マスコミは連日このニュースを取り上げ、中国・武漢市の都市封鎖(ロックダウン)の様子を取り上げていたが、それはどこか対岸の火事のような雰囲気だった。

一部の専門家はコロナウイルスの脅威を世界で最初に警告した中国人医師・李文亮(感染者の治療をする過程で自らも感染し命を落とした)が遺したデータから、日本での感染拡大について警告を発していた。

当初、中国当局はデマを流して人々を不安に陥れたとして、李医師に圧力をかけ、逮捕も辞さない構えだったが、中国本土で感染が拡がり李医師自身が感染して死亡すると、途端に彼を英雄として讃えた。

日本での感染拡大のキッカケは一つではなかっただろう。クルーズ船に乗っていた乗客が陽性であるにも関わらず、そのまま電車で帰ったり、船内で治療に従事していた医療スタッフから感染が拡がったりしていた。

当時は検査体制も出来上がっておらず、検査の精度も低かった。そもそもCOVID-19がどのようなウイルスなのかもわからず、遺伝子の解析も進んでいなかった。

クルーズ船とは別に、国内のあちこちで感染が拡がり始めた。殆どがインバウンドに依存していた観光地を抱えている地域だ。日本の観光地の多くはアジア地域からのインバウンド客が下支えをしているが、その中でも最も「上客」なのが中国人観光客である。

もっとも早く感染拡大の火の手が上がったのは意外にも北海道だった。

札幌では2月上旬に「さっぽろ雪まつり」が開かれる。単体のイベントとしては北海道最大のイベントであり経済効果も大きい。観光客が世界中からやってくるため、市内の宿泊施設は期間中はほとんど満室になるほどだ。

札幌市は隣国中国の惨状やクルーズ船でのクラスター発生などを見て、開催の可否を決めかねていたようだ。日本よりも感染が早く拡がっている海外から大量に観光客がやってくる。開催すればどうなるかは誰の目にも明らかだった。

だがさっぽろ雪まつりは開催された。「会場での飲食は控える」「雪像鑑賞の際に立ち止まらない」「マスク着用」などいくつかの感染防止ルールが取り決められただけで、具体的な予防策は一つもなかった。

開催の可否について、地元経済界の突き上げは相当なものだったようだ。とにかく開催しなければ地域経済のダメージが大きすぎる、というのがその理由だ。旅行・宿泊・飲食を含め観光収入に依存している地元経済界は、開催中止など自殺行為に等しいと考えたのだろう。

だがそのツケは驚くほど早く請求されることになる。雪まつりが終了した1週間後、会場でイベント管理業務についていた広告代理店の社員2名が陽性であることが確認されたのだ。これが公式に発表された北海道最初の感染者である。

さらに道内の各地から集ってきていた観光客は地元に帰って感染の萌芽を撒き散らした。3月に入り感染は瞬く間に道内全域に拡がり、札幌や旭川など一部の都市を除いて医療体制が逼迫し始めた。コロナウイルスは摂氏5℃以下ではほとんど増殖しないことで知られているが、摂氏10℃以上では活発に増殖する。気温の上昇に伴い感染者が急増。鈴木道知事は独自の緊急事態宣言を発し、飲食店や遊戯施設などに休業養成を行った。

当時は法律が整備されていなかったため、この「宣言」はあくまでもキャンペーンであり、その内容は「お願い」であった。だがこの早期の決断が功を奏し、北海道は全国に先駆けて「最初の山」を抜けることに成功する。

これを見た政府は3月13日「コロナウイルス感染対策特別措置法(コロナ特措法)」を成立させ、海外で行われていたロックダウンのような強制力はないが、感染対策に特例で予算措置できる環境を整えた。各都道府県知事の休業・時短養成は法律で担保され、協力してくれた場合は協力金を支給できるようになった。また必要に応じて学校や公共施設の休校・休業や医療機関への患者受け入れ養成などが特措法に基づいて出せるようになったのだ。

そして3月24日、日本政府・東京都・IOCの3者は、2020年東京五輪の1年程度の延期を発表した。当然のことながら賛否両論が渦巻いた。これについては別項で述べようと思うが、そもそも2月の段階で全国の小中高等学校に休校の養成を出し、Jリーグなど多くのスポーツイベントが無期限延期を余儀なくされていた時点で、五輪開催の目はほぼなかったと言えるだろう。最初に書いたが「接触機会を減らす」以外に感染防止の手段を持っていなかったのだ。五輪はその「接触機会」の最たるものの一つであり、世界中から人が集まってくることを考えると、判断としては妥当だと言える。

2020年4月7日、東京・神奈川・埼玉・千葉の一都三県、大阪・兵庫・福岡の各地に緊急事態宣言が出され、6日後には対象が全国に拡大した。

「テレワーク」という言葉が生まれ、オフィスで働く人々は自宅で作業するようになった。幼稚園や学校は休校または春休みが延長され、商業施設を中心に不特定多数が集まるインフラの殆どが休業した。イベントは軒並み中止か延期となり、酒類を提供する飲食店は僅かな補助金を得て休業した。

何よりこの時点では「コロナウイルス感染症」がどのようなものかという共通認識すら国内にはなかった。マスコミの責任が大きいと思うが「高齢者は危ないが若者は感染しない・あるいは感染しても症状が出ない」「基礎疾患がある場合は重症化のリスクが高い」「マスクはあまり意味がない」様々な情報が飛び交ったが、中にはさして根拠のないものも多かった。

 

だが、日本国内が初めての感染症による緊急事態宣言に右往左往していたこの時期、アメリカのバイオベンチャー企業であるM社では、すでにコロナウイルス感染症に対する予防ワクチンの第一相の臨床試験に入っていたのである。このことを報じていた国内マスコミは全くなかった。もしかしたら日本政府も知らなかったかもしれない。このことは別章で詳しく述べたい。

 

「飛沫感染」「自粛」「ソーシャルディスタンス」「ホームステイ」様々な新語があらゆるメディアを覆い尽くし、報道はコロナ一色となった。どんな時にも同じだが、民放各局は感染症専門医や研究者を番組に出演させ、各者各様の意見と予測が世論を左右する状況となった。

 

街角からヒトが消えた。

当時、厚生労働省のクラスター対策班で解析を行っていた北海道大学の西浦博(当時・現京都大学教授)は「他人との接触機会を8割減らすことが感染抑制のカギである」と発言。

現実社会で接触機会を8割減らすというのは不可能なことのように思えたが、社会規範に忠実な日本の国民性もあって、最初の緊急事態宣言は一応感染抑制に成功した。5月に入って感染は下火となり、逼迫していた医療機関にも余裕が出始めていた。

5月14日「特定警戒都道府県」(北海道・東京・埼玉・神奈川・大阪・兵庫・京都)を除く39の県で緊急事態宣言は解除された。21日には特定警戒都道府県の中の大阪・京都・兵庫の関西3府県が解除対象となり、25日には首都圏一都三県と北海道の緊急事態宣言が解除され、4月7日以来およそ1ヶ月半に渡って続いた「自粛生活」が一区切りした。

メディアでは久しぶりに登校や通勤などの「日常」が映し出され、行楽地に赴く人やショッピングを楽しむ人など「宣言前」の日常が戻ったかのようだった。政府は緊急事態宣言でダメージを受けた観光業・旅館業を支援する「GoToトラベル」飲食店を支援する「Gotoイート」などのキャンペーンを6月以降積極的に推し進め、傷んだ経済の再生を目指した。

もちろんこれには異論もつきまとった。一応感染は下火にはなったものの、予防薬も治療薬もなく接触機会を減らすことだけが感染抑制の唯一の方法だったのだ。人々が動き出せば感染が再拡大するのは自明の理だった。

 

「8割おじさん」と呼ばれるようになった前出の西浦博は「Gotoトラベルなどを行えば再び感染が拡大する」と警告していた。他の専門家も同様だった。政府委員として「コロナ対策会議」の座長である尾身茂(自治医科大学名誉教授・新型インフルエンザ等対策閣僚会議新型インフルエンザ等対策有識者会議会長)は、新たな生活スタイルを提唱した。

3密(密集・密閉・密接)の状態を避け、できるだけ他人との距離を取りながら生活するというものである。手洗いやうがいの推奨、不要不急の外出の自粛、マスク着用の励行など、コロナ禍における生活様式の基本的な行動規範を定めたものだ。

尾身はGotoトラベルやGotoイートなどの「人が動く」キャンペーンにはそもそも反対の立場だった。1回目の緊急事態宣言が一定の効果を上げたことで、有識者会議の考え方が正しいことが証明された。だがコロナウイルスは消滅したわけでない。感染再拡大の可能性はいつでもあった。

だが政府は有識者会議のように感染防止だけを考えるわけにはいかなかった。緊急事態宣言などで被った経済的損失があまりに巨額だったためだ。2020年度の経済成長率はマイナス10%を超えるという予測もあり、低迷というよりは「収縮」と言った方が適切なくらい経済は疲弊していた。政府と有識者会議の間には次第に「溝」が生まれ始め、官邸サイドは有識者会議の提言やマスコミへの発言を疎ましく思うようになっていった。

もともと「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」は新型コロナウイルス感染症対策本部に置かれており、コロナ対策においては閣僚会議と「並列」の立場で首相に進言できる権能を持っていた。(感染症対策本部長が首相だったため)

ところが、感染対策において「経済」を優先させたい政府と「感染予防」に重きを置く専門家会議の意見対立が鮮明になると、政府は組織変更を行い「専門家会議」を「有識者会議」へと改組し、尾身など医療の専門家だけでなく経済や社会学の専門家も「有識者」として参加させた。さらに有識者会議を新たに立ち上げた「新型コロナウイルス等対策閣僚会議」の下に付けた。こうして有識者会議は閣僚会議に「助言」を行う立場となり、その影響力は低下した。これらの改変は首相が菅に代わってから行われたものだが、前の安倍内閣では菅は官房長官を努めており、政府と専門家会議の調整役を担っていた。思えば「確執」はその時に芽生えていたのかもしれない。

有識者会議は「感染予防こそが経済対策」というスタンスを変えなかった。それは正しいものだったが、実現するには膨大な財政出動と時間が必要だ。ダメージを受けた日本経済と、その影響で職を失ったり収入が減った人々にはあまり時間は残されていない。何より巨額の財政出動には財務省が猛反対したようだ。

こう書くといかにもカネを惜しんだ財務省が諸悪の根源のように見えるが、実のところはそうでもない。すでに国家財政の半分以上を「国債」に依存している日本の国と地方は「借金」に首まで浸かった状態だ。2020年度予算に計上していた予備費はこの時点でとっくに使い切っていた。新たな予算措置には当然補正予算が必要になるが、実際の原資は借金で賄うことになる。政府が新発債(新規発行国債)を出せば、それを引き受ける「買い手」が必要だ。報道などで「国債で賄う」という言い方をするが、国債を出せば無限に借金できるわけではない。それを引き受けてくれる機関投資家がいなければ「絵に描いた餅」なのだ。

日本の新発債のほとんどは長期国債(いわゆるLongbond・償還5年以上)である。多額の国債の利払いを抱える日本政府の財政事情では、すぐに償還期限がやってくる短期国債(Shortbond)は発行できない。当然ながら償還期限が長いほど利払いが増え、借り手である日本政府に不利になる。その買い手を探し出すのは財務省の仕事なのだ。

日本の長期国債の買い手の大部分は国内の機関投資家(銀行・生保・証券)であるが、かつてのように国内だけで国債を消化するのは難しくなっており、今は海外の機関投資家や外国政府なども重要な買い手である。こうした相手にプレゼンと説明を行い、国債を引き受けるように説得するのは並大抵ではない。一時期言われた「ジャパンプレミアム」のように、何らかのクーポンを要求されることもある。日本の国債の格付けが昔より低下しているためだ。日本政府の信用度はかつてのように高くはないのだ。

こうした背景もあり、できるだけ財政出動を抑えたい政府と有識者会議の妥協点が「感染拡大を防止しながら経済を活性化させる」という夢のようなスローガンだ。

安倍内閣・菅内閣と2つの政権において、コロナ対策の実務を取り仕切る西村康稔経済財政担当大臣(特命)を始め、あらゆる政府関係者や自治体の首長が事あるごとにこのフレーズを口にし始めたのは、Gotoトラベルが始まった7月に入ってからのことである。

だが、多くの国民がこのスローガンに懐疑的な視線を向けていたのは言うまでもない。そして「夢のような」このスローガンが、単なる「幻想」に過ぎなかったことがはっきりするまで、さしたる時間も必要としなかったのだ。

                      (この項続く)