COVID-19は止まらないー3回目の非常事態宣言 | IDEAのブログ

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「危機」という言葉がある。

「感染爆発の危機」「医療崩壊の危機」「経済は危機的状況」

COVID-19感染症が世界を覆ってからというもの、この「危機」というキーワードは連日マスコミを賑わした。

実際にコロナ禍で「危機」に見舞われている個人や企業・団体は数え切れない。政府や行政もそれは同じだ。

 

令和3年4月24日、菅首相は官邸で記者会見し、翌25日〜5月11日まで、感染が拡大していた東京・大阪・京都・兵庫の4都府県を対象に、3度目の緊急事態宣言を発出した。いずれも各都府県の知事から要請を受けてのものである。

さらにまん延防止等重点措置の実施対象として沖縄、宮城、愛媛、愛知、加えて東京に隣接する埼玉・千葉・神奈川の合計7県が飲食店の時短営業の要請や、公共施設使用人員の制限、イベントや学校の部活動の自粛などの措置を講じている。

 

1回目の緊急事態宣言は安倍内閣によって実施された。令和2年4月7日、安倍首相(当時)は、1ヶ月前に成立した新型コロナウイルス対策特別措置法(以降特措法)に基づき、東京・埼玉・千葉・神奈川の1都3県、大阪・兵庫・福岡の1府2県に緊急事態宣言を発出した。

1週間後の4月16日には緊急事態宣言の対象を全国に拡大し、不要不急の外出の自粛や学校などへの休校要請、飲食店や商業施設などへの休業要請などが行われた。

実際のところ、この第1回目の緊急事態宣言ほど厳しいルールが課せられたことはない。

カラオケ店、ライブハウス、スポーツクラブ、映画館、遊園地などあらゆる業種が休業要請の対象になり、商業施設は生活必需品の販売を除いては業務を停止した。予定されていた殆どのイベントは中止となり、プロ野球、Jリーグ、トップリーグなどのプロスポーツも軒並み開幕を無期限延期した。

 

前にも書いたが、この1回目の非常事態宣言はたしかに効果があった。とりあえず第1波を抑え込むことに成功したのだ。後に幅広い業種を休業対象にしたり学校を休みにしたりしたことが功を奏したと評価する向きもあったようだが、私は違うと思っている。

 

このときは街から人が消えた。

日頃にぎやかな都市部も、まるでゴーストタウンの様相を呈した。今問題になっている「人流」は見事なまでに抑え込まれたのである。

それはなぜなのか?

 

日本国民に「緊急事態宣言を成功させよう」というモチベーションがあったからである。

 

誤解を恐れずに言えば、そういうことだ。

 

殆どの日本人にとって、首相が記者会見で緊急事態宣言を発出しますなどと話す光景は、初めて目にするものだったと思う。

海外からはニューヨークやローマの惨状が連日伝えられ、いよいよ日本にも来たかという感覚があった。

何より「緊急事態宣言」という耳慣れないワードは、あまりに新鮮に人々に響いたのだ。

中には負担がのしかかる医療従事者や介護従事者のことを考え、自粛すべきと考えていた人もいるだろうが、大部分の感染していない人々にとっては「ちょっと興味をそそられる未知の体験」だったのである。

何しろ平日でも週末でも、日本のあらゆる場所から人が消えたのだ。こんな光景は一生お目にかかれないかもしれない。

「自粛警察」などという言葉がネットで生まれた。マスクをしないで外を出歩く人を糾弾したり、他府県ナンバーの自動車に嫌がらせをするなどの行為が見られるようになった。

被害は街の小規模な飲食店などにも及び、時短営業中の店舗に嫌がらせの張り紙を貼ったり、実際に感染してしまった人の個人情報をネットに晒して問題になるなど、あらゆる愚行が行われたのもこの頃だ。

それもこれも「非常事態宣言に従う」ことが良しとする社会の合意形成がなされていたからである。

ある程度のマジョリティが支持するベクトルが示されると、その方向に大部分の人が奔流となって流れるのは日本人の特質の一つだが、その特質が感染対策にはいい方向で作用したのである。

 

6月に入って感染が一段落した際には、ある種の希望を多くの人が持ったに違いない。ワイドショーでもコロナ報道に割く時間が短くなり、人々の関心は「コロナ後」に向かった。

 

だがそれはつかの間の平穏に過ぎなかったことが後でわかる。

5月25日、およそ1ヶ月半ぶりに全国での緊急事態宣言が解除されたとき、多くの専門家や感染症の権威たちは、第2波、第3波の可能性を指摘した。気を緩めればたちまち感染がリバウンドする。何しろ予防薬も治療薬もないのだから(この時点では)当然といえば当然なのだが、政府も民間も凹んだ経済をなんとかしようと躍起になったのだ。

打ち出されたのは「感染防止と経済の両立」という耳障りの良いスローガンだった。これに伴い全国の自治体が打ち出したのは「新生活スタイル」というものである。

いわく「人と人の間の距離を取る」「手洗いやうがいの励行」「公共の場でのマスク装着」「大人数での飲食を控える」「テレワークや時差出勤の奨励」「換気を行う」「密集・密接・密閉の3密を避ける」など、コロナ禍が始まった際に専門家が奨励した行動様式を生活スタイルとして根付かせようとしたものだ。

こうした感染抑制対策を行いながら経済活動を活発化させようというのが「新生活スタイル」の目標だった。

 

しかしうまくいかなかった。

秋風が吹く頃、新規感染者の数が全国で不気味に上がり始めた。急拡大とまでは行かなかったが、都市部においては感染拡大が深刻化し、医療や介護の現場が声を上げ始めた。

もともとこの新生活スタイルは、多くの人々が同様の行動をとって初めて効果を上げられるものだ。だがすべての日本人が厳密に新生活スタイルを実行するわけではない。

さらに経済活動を活発化させれば、ヒト・モノ・カネ・情報が動き回ることになる。カネや情報は問題ないが、ヒト・モノは直接的に感染拡大の要因になる。経済を動かしながら感染を抑制するなどというのは単なる幻想に過ぎないのだ。

もちろん、そう言わねばならなかった政府や行政の立場も理解できる。たとえ感染が広まっても経済を動かすとは、人道的な観点からも口が裂けても言えない。さりとて感染抑制に走れば経済がもたず、コロナそのものではなくその影響で不利益を被る「二次被害」が増大する。

 

この頃には、賢い日本人の大部分が気づいていたに違いない。感染を抑えながら経済を回すという理想が、実は幻想に過ぎないことを。しかし表立って誰もそう言わない。政策だけで人の生活様式をコントロールするなど自由社会では不可能なはずなのに(北朝鮮でも不可能だと思う)誰もそう言わない。テレビなどでこのワードが出てくるたびに、言いようのない閉塞感が日本社会を覆っていったような気がする。

 

年末には東京都での新規感染者が1,300人を超えて過去最高となり、リバウンドが誰の目にも明らかになった。

政府は年明け早々の2021年1月8日に2回目の緊急事態宣言に踏み切った。感染者は右肩上がりで増え始め、もはや猶予はなかった。

2回目の宣言下では、1回目に比して一斉休業・一斉休校などの厳しい措置は取られなかった。飲食店に対しても営業時間の短縮や酒類の提供時間の制限などが要請されたが、休業までは求められていない。

国民に対しても同じだった。都道府県をまたいでの移動の自粛、挨拶回りや忘年会の自粛、不要不急の外出の自粛、イベントの人数制限、テレワークや時差出勤の推進など、どこかで見たような景色の繰り返しとなった。解除の目処は医療体制・感染状況がステージ3程度まで降りてきた場合とされたが、専門家の指摘はステージ2だった。

 

この頃から休業や時短に応じた業種への協力金・補助金の原資が問題になり始めていた。東京都は国内では数少ない黒字自治体で、毎年の黒字による予備費の積立金も巨額になっていたのだが、2回目の宣言下ではほとんど使い切ってしまっていた。当然ながら休業補償ということになれば、金額は協力金よりずっと大きくなる。休業要請が専門家会議で検討された際、緊急事態宣言に消極的だった菅首相に財務省が働きかけ、協力要請の線にとどめたとされている。

だが、この中途半端な対策のツケはマイナスの要素となって跳ね返ってくる。

それまでも、緊急事態宣言ではなかったが、様々な対策キャンペーンが全国各地で行われていた。とりわけターゲットになったのがまん延防止等重点措置、いわゆる「まん防」である。

事実上、日本は昨年の秋以降ずっとまん防適用だったと言っていい。もちろんまん防は法律で決められたものなので、適用基準が決まっているが、その基準を越えようが超えまいが、やることは一緒だった。他にやれることもなかったのだ。

2回目の緊急事態宣言の内容を見て「まん防とどこが違うのか」という声が澎湃と沸き起こった。

いつもと変わらない というのが大勢の意見だった。変わるはずもなかった。他に対策など無い。休業要請を時短要請に変えた以外、なんの変化も無かったと言っていい。

この代わり映えの無さが、2回目の緊急事態宣言を有名無実化してしまったのだ。

実際、宣言下では人の流れなどはほとんど変わらず、週末には人手が増える有様だった。都道府県をまたいでの移動なども普通に行われ、1回目の宣言下で見られたような自粛ムードはなかった。

 

冒頭にも書いたが、緊急事態とか非常事態というのは、生きていく上でのあらゆる事をいったん「後回し」にして、あるいは「いったん横において」事態に対処するという事を言う。それが緊急事態である。地震などの天災や火事などの人災に見舞われると、人々は何を差し置いても避難を優先する。逃げることが全てになる。非常事態とはそういうものであり、だからこそ効果がある。

だがこうした状態は長く続けることができない。いつまでも人生や生活を「後回し」にすることはできないのだ。

案の定、2回目の緊急事態宣言は長引いた。感染者数がなかなか下がらず、自粛とは程遠い生活様式の人も増え始めた。

「コロナ疲れ」「自粛疲れ」「我慢の限界」など、ひっきりなしに要請される自粛や制限などに限界を感じる、あるいは嫌になるというような報道が目立ったのもこの頃だ。

2回目の緊急事態宣言が解除されたのは3月21日のことだった。およそ2ヶ月半に及んだ長い緊急事態宣言だった。

 

その裏で懸念されていたのが「変異種」による感染拡大である。

コロナウイルスはRNA核酸を基にしたウイルスだが、RNA核酸の特徴は「エラーが多い」ということだ。ヒトの遺伝子はDNAで構成されており、二重螺旋構造が特徴だが、こちらのほうが変化はずっと少ない。髪や目の色など細かいディテールに違いはあるものの、人間がほとんど同じ形態で生まれてくるのは、この構造に拠るところが大きい。

だがRNAはエラーや変化が大きく、変異体・変異種がいとも簡単に生まれてくる。インフルエンザに様々な変異種が存在するのもそのせいだ。例えば「風邪薬」というものは長い間望まれているにも関わらず登場してこない。RNA核酸のエラーのメカニズムを解明できないので、流感ウイルスの基になっているミクソウイルス群(様々なミクソウイルスという粘膜多糖体がある)に直接作用するような薬を作ることができないのだ。インフルエンザが毎年流行るのも連続抗原変化という現象によって、事実上毎年新型が登場していることによる。

英国型変異種、ブラジル型変異種など海外からの情報が入り始め、医療関係者に新たな緊張が走り始めていたころ、やはり福音は海外から入ってきた。

 

ワクチンである。

 

日本政府は2020年初夏の頃から、コロナウイルスワクチンの開発を行っている製薬会社と交渉を行ってきた。有力な交渉先はファイザー(米)、アストラゼネカ(英)、ジョンソン・エンド・ジョンソン(米)、モデルナ(米)、サノフィ(仏)、GSK(グラクソスミスクライン)(英)、ビオンテック(独・のちに同社はファイザーと共同研究していたことが明らかとなる)などである。既にこの時期、ファイザー、モデルナ、アストラゼネカ社は第2相の臨床試験・治験の段階にあり、最も早い段階で入手が期待できた。

アメリカ食品医薬品保健局も英国保健省も、安全性と有効性がある程度確認できれば、通常の手続きを短縮して緊急承認し、直ちに臨床の現場に投入する意向を表明していた。

 

日本でもワクチン接種は必須である。当然ながら日本国内でも開発が進められたが、日本は先進国で最も薬事承認の基準が厳しく時間がかかることで知られている。私は厚労省も政府も今度は柔軟に動くのではないかと思っていたのだが、それはやはり幻想だった。

外国政府はワクチン開発を進める企業に多額の資金を投入し、全面的に支援していた。アメリカやEU諸国では日本では考えられないほど厳しい制限(ロックダウン)を何回も行っていたが、経済復活の鍵はワクチンにあるという事を早くから理解していたのではないか。

ワクチン製造に目処が立てば、次に問題になるのが「接種」である。できるだけ短時間にできるだけ多くの人間に接種するという相反する課題を克服するために、各国政府は知恵を絞りシミュレーションを重ねていた。アメリカやイギリスでは1年以上も前から全国的な予防接種を想定してのリハーサルやシミュレーションを実施し、あらゆる可能性を検討していたのだ。

 

日本政府はその時何をしていたのか?

 

もちろんワクチンを確保し、どう接種するかという検討作業は行われてはいた。

だが、それよりももっと大きな問題を抱えていた。

東京オリンピックである。

 

ワクチンとオリンピックについては次回に。