守ってもらいたかったのかな、私。
小さな私に時々声をかけているうちに私は守ってもらいたかったんだって感じた。
頼ることや助けを求める前の前に無条件で守られたかったんだって思った。
大人の私は子供の頃の出来事を理不尽なことだったと思ったけれど、子供の私は何を言っても認めてもらえずにただただ悲しくて泣くしかなかった。
もちろん親の目から見たら私が悪いところもあっただろうけど、泣くしかない理由って何か腑に落ちていない感覚を感じていたからのような気がする。
そういうことの後は大抵は無視とかだったし、そこに父が居てもかばってもらった記憶がない。
母が主導権を握っていた雰囲気だった。
今の私は親のことを責めているわけではなくて、ただ小さな私に声を掛けるようになって段々と気づいてきたことを書いているだけ。
守られている感覚っていいなって単純に思う。
小さな私は無視されている時間をきっと必死になって耐えていただろうし、自分の悲しみよりもなんとか口をきいてもらおうと動いていたから守ってなんて考える余裕もなかったと思う。
守られたかったし庇ってほしかった。
甘えることより守られ庇われたかった。
小さな私との対話から大人の私は気づいたけれど小さな私が言ったわけではないからまだまだ声を掛け続けて心を寄せていこうと思ってる。
OSHO禅タロット・1枚で2度おいしいリーディングセッションご感想