※このブログは様々な女性の人生の一部を、私が本人に変わって書いています。

よろしければ他のシリーズも読んでみて下さい。

 

シーズン1 ミキの芝生 『DVモラハラ夫の不倫』

 

シーズン2 武田さんの芝生 

『妊娠発覚。彼氏と思ったら既婚者だった。』

 

シーズン3 紀子さんの芝生

『夫の不倫相手は、まさかのあの人。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

皆さんこんばんは。

 

シーズン3、ついに完結しました。

 

ここまで読んでくださった方

本当にありがとうございました。

 

 

今回は、勿論1番しんどかったのは

ご本人たちであることに

間違い無いのですが

 

読んでくださった方の胸にも

様々な感情が

湧き起こった内容だったと思います。

 

 

 

 

さて、シーズン3の終わりに

今回は少し

私の話をさせて下さい。

 

少し長くなりますが

リアルの友達にも

誰にも話したことがない内容です。

 

 

 

 

先月、ミキも含めて

今後私が力を注いでゆきたいと感じる

プロジェクトの話をしていました。

 

それは今の仕事とは全く別で、

現在様々な事情で苦しんでいる

母子たちを支援してゆく

内容となっています。

 

 

そこにはありがたいことに、

私のブログを

全て読んでくれているメンバーの方もいて

 

その中である女性から、

こんな質問がありました。

 

 

『ブログを読んでいて思うのは

 

 パンダさんはなぜ

 そこまでして

 人のことを助けているのですか。

 

 何がパンダさんを

 動かしているのですか。』

 

 

その時、急な質問だったので

私はとても当たり障りのない

答えを返したと思います。

 

 

 

 

ただ、

 

誰かのことを助けたいと思う時に

理由は1つではないのですが

 

 

 

 

 

私の根底に

 

一生忘れられない

女性の存在があります。

 

 

 

 

それは、優子さん

 

 

享年43歳でした。

 

 

 

 

この優子さんの存在が多分

 

私がこうしてブログを書いたり

そのプロジェクトに参加する

理由の一つなのだと思います。

 

 

 

 

 

私は10数年前に、

生死を彷徨う病に倒れ、

入院していたことがありました。

 

 

それは次第に回復してきたので

私が退院を控えた頃、

個室から移動して

たまたま同室になった方が

 

 

当時10歳以上年が上の

優子さんでした。

 

 

 

優子さんは癌を患い

それでも回復に向かっていました。

 

 

いつも明るく元気な方で

常に友人がお見舞いに来ていたり

看護師の方とも楽しく談笑したりして

誰にでも好かれる女性でした。

 

勿論私も

そんな優子さんが大好きでした。

 

 

その頃私は地元の大学病院に

入院していましたが

 

優子さんは県内で1番頭の良い学校を出て

その後ご主人と2人で自営をし

 

2人の子宝にも恵まれ

高校生の息子さんと

中学生のお嬢さんがいらっしゃいました。

 

 

ただ、そんな優子さんが

夜になって消灯時間を過ぎると

いつも声を抑えて

1人でひっそり泣いていることに気づきました。

 

そしてさらに気付いたのは

優子さんは1人になった時は

夜に限らず、必ず泣いているのです。

 

 

どうしてなんだろう・・

 

何があったんだろう・・

 

もしかして本当は

病状が悪化しているのかな・・

 

 

 

気になりすぎて、お節介な私は

消灯を過ぎたある夜、

カーテン越しに

優子さんに話しかけました。

 

 

 

 

優子さんの話は

衝撃的でした。

 

 

 

高校時代から付き合っていた

大好きな旦那さんが

 

小学校からの親友である

優子さんの女友達と

 

ある日突然、

駆け落ちして逃げた、と。

 

 

 

駆け落ちして逃げるその日まで

優子さんは2人が付き合っていたことなど

全く知らなかったそうです。

 

逃げた後、

その女友達のご主人から

そのことを知らされ

絶望の淵に立たされた時に

優子さんの癌が発覚。

 

 

 

もう、死んでしまいたい。

 

 

大好きな人2人に

裏切られていたこの痛み。

 

 

癌の宣告を受けても

この心の痛みに比べたら

全然辛くない。

 

いっそ癌なんて、治らなくていい。

 

そう思ったそうです。

 

 

 

それから優子さんは

毎日夜の消灯時間を超えると

私にいろんな打ち明け話をしてくれて

 

 

ご主人への愛情と未練、

親友の裏切りに対する悲しさ、

怒り、無念

 

それと同時に

 

子供たちは本当に可愛い。

子供のために頑張らないと。

 

年老いた義両親を、

支えてゆかないと。

 

退院したらこれからは

自営の仕事を1人で切り盛りして

立て直さないと。

(仕事はかなりうまくいっていました。)

 

そんな前向きなことをいつも話していて

優子さんは強い人だな

すごいなって、

ただただ未熟な私は

そう思っていました。

 

 

そしてそれから約1ヶ月後、

私の方が退院が早くなったため

優子さんとハグをして

連絡先を交換しました。

 

退院したら、直ぐに会おうねと

そんな約束を交わして。

 

 

 

その週末優子さんは

家に一時帰宅が出来ることになっていたので

2人で外で会える日もそう遠くはないな

 

そう思いながら、退院しました。

 

 

 

 

その、たった3日後でした。

 

 

 

優子さんの息子さんから

私に連絡がありました。

 

 

 

 

優子さんが、

 

 

 

 

亡くなったと。

 

 

 

 

 

一時帰宅中、

少し出かけてくると言った優子さんは

 

大好きだったお父さんのお墓の傍に

自分の車を止めて

 

 

 

 

 

練炭自殺をしたと。

 

 

 

 

 

 

 

嘘だ。

 

 

 

 

 

そんなの嘘だ。

 

 

 

 

 

 

どうして?

 

 

つい3日前に抱き合って

頑張ろうねって言った優子さん。

 

 

いつも人に優しく

暖かかった優子さん。

 

 

 

そんな人が

自ら命を絶った?

 

 

 

 

嘘だ。

 

 

 

そんなはずない。

 

 

 

 

過呼吸で、倒れそうでした。

 

 

 

 

あんなにたくさん話したのに。

 

 

 

 

 

 

守れなかった。

 

 

 

 

私には、何もできなかった。

 

 

 

 

そう思いました。

 

 


 

 

 

 

私には、誰かを救うなんて

大それたことは出来ない。

 

無理なんだ。

 

 

だって、救えなかった。

 

そう思い、自分を責めました。

 

 

 

けれどお葬式の時に

高校生の息子さんが

 

私に駆け寄ってきて言いました。

 

 

 

『あの・・

 パンダさん・・ですよね?

 

 

 母が病院から戻ってきたその日

 母から聞いたんです。

 

 

(病室で、

 大切な友達ができた。

 

 10歳以上年下なんだけど、

 なんでも話せるの。

 

 彼女と話していると 

 唯一病気である自分を

 忘れられるのよ。

 

 彼女には私の心の痛みを、

 取り除いてもらってる)って。

  

 

 母のこと・・

 

 大事にして下さって

 

 

 ・・うぅ・・

 ありがとうございました。』

 

 

 

 

私は息子さんを抱きしめ

2人でわんわん泣きました。

 

 


 

 

 

それから私はずっとずっと

心のどこかでいつも

優子さんのことが忘れられず

 

あの時の無力だった自分と

戦っている気がするのです。

 

 

 

それと同時に

 

 

 

もしもこの先誰かが

悩み、苦しみ、

SOSを出しているのなら

 

その手を離してはいけない、と。

 

 

 

 

 

 

私がブログを書く理由。

 

 

誰かの側で

話を聞き続ける理由は

 

そんなところにあります。

 

 

 

 

どうか皆に

 

 

 

笑っていて欲しいから。

 

 

 

 

 

なんて、私1人では

大それたことなど出来ないのです。

 

 

だからどうかこうして

誰かのためにと思う心の輪が

 

こうしたツールを通して

 

誰かの心に届くことを

 

 

 

願って止みません。