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その後のこと:7月28日

皆様、温かいコメント本当に有難うございました。
ブログをやっていて、本当によかったと思いました。
皆様のお言葉で、どれだけ救われたか・・・。
この場をもちましてお礼申し上げますm(_ _)m


祖父が亡くなってからのことを、少し書きたいと思います。
これは、自分の覚書として・・・。


祖父が亡くなり、親戚数人が病院に集まってから、葬儀社に
連絡をして祖父を迎えに来てもらいました。
病院から出発する時、担当医師や看護師さんも見送ってくださいました。


祖父の家は古くて小さいので、家でお通夜をすることは断念しました。
しかし、親戚の中には「家に連れて帰ってあげないとかわいそう」
言う声もあがりました。


だけれど、狭い部屋でエアコンもないところでお通夜なんてできません。
なにより祖父は生前
「死んだらわからん!好きにしてくれ~!!」と言っていました(笑)


葬儀社さんが気を利かせてくださり、祖父の家を通ってから葬儀会館へ
向かってくれることになりました。
とりあえず、親戚は渋々納得(^^;
(こんな親戚はどうでもいいんです。普段から祖父と疎遠だったから
祖父の生前の希望を知らないだけなんです。)


亡くなってからが大変です。
日程を決めたり、お通夜やお葬式に集まる人数を考えて、お料理や
お返しの算段をしなければなりません。


それから、遺影や祖父に着せてあげる服なども準備しなきゃ!
そんでもって、自分たちの準備もあります。
喪服や靴や・・・あ!子供たちの服や靴も(><)


徳島にいる夫に色々連絡(^^;;;家が遠いと不便です。。


なんだか・・・一番悲しむ人が悲しめないですね。。。

バタバタと祖父の家や実家や葬儀会場を行ったり来たりしました。


遺影は、祖父のお気に入りの写真を使うことにしました。
子供たちの七五三の時に一緒に撮った写真です。



コッソリ、お・ね・が・い・♪-七五三


祖父は普通の(?)90歳のじーさんではありませんでした。


★デジカメを持って、あちこち撮影。
★趣味はパソコンを使ってパチスロ。
★日ごろの情報収集もパソコン。ウィキベディア好き
★パソコンメールを操り、携帯へメール。
★自分も携帯を持ち、万歩計代わりにウォーキング
★海外テレビシリーズ「24」が大好きで、全話制覇
★大きな植木でも、自分で剪定(危ないなぁ~)


こんな人なので、祖父のお気に入りの洋服を持ってきました。
「昇り龍模様のブラックTシャツ。後ろには桜の刺繍」←すごすぎ(笑)
ズボンはもちろん、ジーンズ。バックル付のベルトはダメって言われちゃった(--;
そして、カウボーイハット。



コッソリ、お・ね・が・い・♪-じーちゃんとなつ
  ↑ほんの2ヶ月ほど前の写真です。


・・・こんな90歳、なかなかいませんぜ。。。
そんな意味で「自慢の祖父」でした。


祖父はお風呂に入れてもらい、整髪してもらって着替え。
とても素敵な「じーちゃん」に戻りました。


葬儀会館には、宿泊施設も完備、キッチンやお風呂、テレビ。
必要なものは全部揃っていて、遠方から来た親戚はそこへお泊りです。


28日夜、あたしや母は久しぶりに熟睡したのでした。。。


あ、夫は夜、荷物を持って来てくれました。
「大丈夫か?」と言ってくれました。


「うん」とだけ、答えました。ありがとう。その言葉で大丈夫になった気がしました。 

しばらくぶりになってしまいました。

久しぶりのネットです。
色々忙しく・・・ブログをやっと書けるようになったので
書きたいと思います。


ちょっと前になりますが・・・
7月12日に弟から電話をもらっていました。
「じーちゃんが入院して、もうだいぶ悪くて退院できない」と。


ヤフーブログにも、ちょくちょく登場していた90歳の祖父です。

去年の春に肺癌が見つかり、4ヶ月の入院生活の末、退院し
それからは、だましだまし過ごしていました。


肺癌が全身に転移し、もう臓器がうまく働くことが出来ず
余命いくばくか・・・という状態だと聞いていました。


7月の連休(16~18日)に入院した祖父に会いに行き
夏休みになってから、毎日祖父のところへ通う予定でした。


25日から実家へ子供たちを連れて行くことにしていました。
25日はダイくんとリンちゃんの個人懇談がありました。
スイミングもあるので、夜、実家へ行こうと思っていました。


個人懇談を午前中に済ませ、子供達にお昼ご飯を食べさせていると
「もっと早く来てほしい、じーちゃんが会いたがっているから」と
母から連絡がありました。


そこで、大急ぎで支度をして、スイミングもキャンセルして
実家へ向かいました。
どんなに急いでも、実家まで2時間かかります。
ノンストップで高速を飛ばし、実家へは寄らずに病院へ向かいました。


祖父は横になったままでしたが、意識ははっきりしており
子供たちのこともわかり、手でオッケーマーク(大丈夫)を出していました。

でも、母によると「記憶はしっかりしたり、曖昧になったり、
子供たちに会ったら、えらくしっかりしてびっくりしたわ~」と。


しかしお医者さんには、「出来ればご家族の方が付き添ってください」と
言われていて、この日から家族でじーちゃんに付き添いをすることになりました。


高知から、叔母といとこも来ていて、25日の夜は叔母とあたしが
付き添いをすることになりました。


あたし達は、床ずれ防止のクッションを色々移動させたり、じーちゃんの
腰をもんでみたり、足をマッサージしたり。
AM12時になると、病室のエアコンが切れてしまいます。


朝7時にならないと、エアコンがつかないんです。

窓を開け、一晩中ウチワで仰いで過ごしました。


26日朝、母と弟と付き添いを交代して、あたしは自宅へ戻って寝ました。

26日夜は、叔母といとこが付き添いをしました。
じーちゃんは、夜中の間に体に痛みが出て、痛み止めを2度ほど注射したそうです。


27日の昼間はあたしが付き添いをしました。
この日の朝、担当医師から「痛みが出てきたようなので、モルヒネを使います」と
説明を受けました。


そして、以前から「いつ呼吸が止まってもおかしくない状態です」とも。


25日~26日は「心拍数100前後、血圧:上100前後、下50前後」でした。
27日は「心拍数80前後、血圧:上80前後、下40前後」


モルヒネを使うようになると、さらに意識が朦朧としてきたように思います。
それでも、時々自分で体を動かしたり、何かしゃべったりしていました。


27日の夜に付き添ったのは、母と弟でした。
この日から、祖父の体を勝手に触ったり動かしてはいけない。。と
言われました。
呼吸を阻害してしまう可能性があるからです。
意識も・・・あるのかないのか・・・という状態でした。


28日の昼間は、あたしが付き添いすることになりました。
母達と交代した時は「心拍数70前後、血圧:上60前後、下40前後」でした。
ずいぶん血圧が下がってきていました。


担当医師からは、ずっと「いつ呼吸が止まるかわからない」と言われ、
あたしは「もう少しだけ、じーちゃん、頑張って・・・」と思っていました。


28日昼過ぎ。。
心電図の心電計に変化がありました。
心拍数が50・・・・40・・・・35・・・と下がってきたのです。
あたしはすぐに看護師さんに来てもらい、「心拍数が下がってきたので
家族を呼んだほうがいいですよね?」と確認しました。


そして、2時間ほど前に帰ったばかりの母に電話しました。
「そろそろ、みんな来て」と。
その自分の声は、たぶん泣き声になっていたと思います。



12時半、心拍が完全に「0」になりました。
そして・・・・呼吸数が少なくなり・・・・止まりました。

担当医師から「12時35分、ご臨終です」と告げられました。


90歳と2ヶ月の祖父。寿命を全うしたと思います。
看取ってあげられたのが、あたしだけだったのが。。かわいそうな気もしますが・・・


後々考えたら、「その時」を祖父は選んだのでしょうか?
看取ったのがあたしでよかったのでしょうか?・・・謎です。


10分ほどしてから、親戚や母達が到着しました。
(内緒ですが)親戚の中には祖父の嫌いな人がいます。
最初に到着したのがその人だったので、祖父はあたしを選んだのではないか。。
と思ってしまいました(苦笑)


本当に自慢の祖父でした。
「ありがとう」と手を握りました。まだ温かかったです。


でも・・・やっぱり・・・
もっともっと生きていてほしかったです。。

ペタできません。。ごめんね


祖父の危篤状態が続いています。

交代で付き添いをしています。

しばらくの間、普通にネットができないと思います。

ペタしてくださっている方々、ごめんなさい。


今日のほななオフ、楽しんでね(^-^)/

ゴメンね

今晩、病院で祖父の付き添いしています。


ペタ出来なくて、ごめんなさい。


大丈夫。頑張る。

バッタさん

コッソリ、お・ね・が・い・♪-110725_0809~01.jpg

どこからか、家の中にバッタさんが侵入。


逃してあげないとなぁー。


虫嫌いのなっちゃんが、大騒ぎしそう・・・


しばらく滞在していただこうかしら?にひひ