しばらくぶりになってしまいました。
久しぶりのネットです。
色々忙しく・・・ブログをやっと書けるようになったので
書きたいと思います。
ちょっと前になりますが・・・
7月12日に弟から電話をもらっていました。
「じーちゃんが入院して、もうだいぶ悪くて退院できない」と。
ヤフーブログにも、ちょくちょく登場していた90歳の祖父です。
去年の春に肺癌が見つかり、4ヶ月の入院生活の末、退院し
それからは、だましだまし過ごしていました。
肺癌が全身に転移し、もう臓器がうまく働くことが出来ず
余命いくばくか・・・という状態だと聞いていました。
7月の連休(16~18日)に入院した祖父に会いに行き
夏休みになってから、毎日祖父のところへ通う予定でした。
25日から実家へ子供たちを連れて行くことにしていました。
25日はダイくんとリンちゃんの個人懇談がありました。
スイミングもあるので、夜、実家へ行こうと思っていました。
個人懇談を午前中に済ませ、子供達にお昼ご飯を食べさせていると
「もっと早く来てほしい、じーちゃんが会いたがっているから」と
母から連絡がありました。
そこで、大急ぎで支度をして、スイミングもキャンセルして
実家へ向かいました。
どんなに急いでも、実家まで2時間かかります。
ノンストップで高速を飛ばし、実家へは寄らずに病院へ向かいました。
祖父は横になったままでしたが、意識ははっきりしており
子供たちのこともわかり、手でオッケーマーク(大丈夫)を出していました。
でも、母によると「記憶はしっかりしたり、曖昧になったり、
子供たちに会ったら、えらくしっかりしてびっくりしたわ~」と。
しかしお医者さんには、「出来ればご家族の方が付き添ってください」と
言われていて、この日から家族でじーちゃんに付き添いをすることになりました。
高知から、叔母といとこも来ていて、25日の夜は叔母とあたしが
付き添いをすることになりました。
あたし達は、床ずれ防止のクッションを色々移動させたり、じーちゃんの
腰をもんでみたり、足をマッサージしたり。
AM12時になると、病室のエアコンが切れてしまいます。
朝7時にならないと、エアコンがつかないんです。
窓を開け、一晩中ウチワで仰いで過ごしました。
26日朝、母と弟と付き添いを交代して、あたしは自宅へ戻って寝ました。
26日夜は、叔母といとこが付き添いをしました。
じーちゃんは、夜中の間に体に痛みが出て、痛み止めを2度ほど注射したそうです。
27日の昼間はあたしが付き添いをしました。
この日の朝、担当医師から「痛みが出てきたようなので、モルヒネを使います」と
説明を受けました。
そして、以前から「いつ呼吸が止まってもおかしくない状態です」とも。
25日~26日は「心拍数100前後、血圧:上100前後、下50前後」でした。
27日は「心拍数80前後、血圧:上80前後、下40前後」
モルヒネを使うようになると、さらに意識が朦朧としてきたように思います。
それでも、時々自分で体を動かしたり、何かしゃべったりしていました。
27日の夜に付き添ったのは、母と弟でした。
この日から、祖父の体を勝手に触ったり動かしてはいけない。。と
言われました。
呼吸を阻害してしまう可能性があるからです。
意識も・・・あるのかないのか・・・という状態でした。
28日の昼間は、あたしが付き添いすることになりました。
母達と交代した時は「心拍数70前後、血圧:上60前後、下40前後」でした。
ずいぶん血圧が下がってきていました。
担当医師からは、ずっと「いつ呼吸が止まるかわからない」と言われ、
あたしは「もう少しだけ、じーちゃん、頑張って・・・」と思っていました。
28日昼過ぎ。。
心電図の心電計に変化がありました。
心拍数が50・・・・40・・・・35・・・と下がってきたのです。
あたしはすぐに看護師さんに来てもらい、「心拍数が下がってきたので
家族を呼んだほうがいいですよね?」と確認しました。
そして、2時間ほど前に帰ったばかりの母に電話しました。
「そろそろ、みんな来て」と。
その自分の声は、たぶん泣き声になっていたと思います。
12時半、心拍が完全に「0」になりました。
そして・・・・呼吸数が少なくなり・・・・止まりました。
担当医師から「12時35分、ご臨終です」と告げられました。
90歳と2ヶ月の祖父。寿命を全うしたと思います。
看取ってあげられたのが、あたしだけだったのが。。かわいそうな気もしますが・・・
後々考えたら、「その時」を祖父は選んだのでしょうか?
看取ったのがあたしでよかったのでしょうか?・・・謎です。
10分ほどしてから、親戚や母達が到着しました。
(内緒ですが)親戚の中には祖父の嫌いな人がいます。
最初に到着したのがその人だったので、祖父はあたしを選んだのではないか。。
と思ってしまいました(苦笑)
本当に自慢の祖父でした。
「ありがとう」と手を握りました。まだ温かかったです。
でも・・・やっぱり・・・
もっともっと生きていてほしかったです。。