〜続きです〜
ある日の出かけた帰り道、
ホームで電車を待っていると
向かい側のホームに入ってきた電車が
パアアーーーーーン!!と
クラクションを鳴らしました、
するとその音に反応して
娘は火がついたように泣き出しました
夕方のホームでかなり人もいて
ざわざわしている中でも
ほぼ全員が振り返るほどの音量で🔈
これから電車に乗って帰りたかったのに
ホームにもいられなくなり、
急いで改札を出て駅ビルに駆け込むと
運良く授乳室が空いていました…
…そこでまさかの3時間⏳
娘はひたすら泣いていました
授乳して寝かせようとしてもまた泣き…
クラクションの音が相当嫌だったのか、
引きつけを起こしながら泣いていて
私も相当ぐったりでしたが、
なかなか落ち着けずに泣き続ける娘は
かわいそうになるほどでした
振り返ってみると、
この頃から聴覚過敏があって
耳が痛いけど何がなんだかわからない、
とにかくつらいけど話せない、
赤ちゃんだから泣くしかできず…
だったんだと思います
でもこの時の私は
娘に感覚過敏があるとは知らず、
判明したのはまだまだ先で
3歳の頃でした。
そして1歳半健診の時…
それまでニコニコして歩き回ったり
遊んで待っていたのに、
呼ばれてもなかなか診察室に入れず
やっと抱き上げて連れて来ても
嫌がって暴れてしまい、
先生が優しく声をかけてくれても
大泣きしてしまいました
この時に
人見知りが激しい、癇が強い、
おわかりの通り泣き方も激しくて
なかなか泣き止まない事を先生に話すと
『癇が強い子は泣き方も強くなる子いるけど
人見知りが激しいのは少し気になるから、
私のフォローアップ(外来)予約入れて
おきますね』と。
この後のフォローアップ外来で、
きっと娘にも私にも良いと思うから、と
某大学の心理臨床センターへ行く事を
勧められ、強制ではないけど…と
紹介状を書いてくれました。
最初は半信半疑でしたが、
先生がそんなに勧めてくれるなら
娘も楽になるかもしれないなら
行ってみよう、と即決。
それから2週に1度、
心理臨床センターに通う生活が
2年ほど続きます…
長くなってしまったので一旦終わります。
幼児時代編をまた書いていきたいと
思いますが、
なかなか頭が疲れてしまうので
体調のいい時に書く事にします。
お読みいただきありがとうございます。
追記
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