迷子の大人たち 3

迷子の大人たち 3

~ニワトリノニワ 非公認ブログ~ 
テキトー経営者のエー加減農業日記(昔は) 最近 っぽくなくなってきた。意外とマヂメ?更生した?

解体の続き。

 

あの・・このレポート忙しすぎて写真が少ないです。本当に忙しい時の写真は全然撮ってません。ので字ばかりでゴメンよ。

 

前回の第一鶏舎解体を始めたのが4/15。前後するのだがその数日前にコンテナ(トラックの荷台の倉庫ね)が空いたので事務所の荷物とその隣の工具・農具倉庫を片付けつつ引っ越しの荷物としてコンテナの中にポンポーンと放り込んでいた。それに十日くらいかかった。写真なし。

 

昨年来チキンの数を減らしたため使用量が少なく4月頭の時点でコンテナの中には飼料米がまだパンパンに詰め込まれていた。予定では引っ越しの荷物をコンテナに積み事務所を解体するのだ。

 

ウン十万の資産になるので持って行くかどうかも考えたが、次にエサを与える準備ができるまでに虫が湧いたりカビたりとどうせ使えるシロモノじゃなくなるだろう。処分することに。

 

飼料米は国の助成金を使っているプロジェクト(私がもらうのではなく米農家の収入補助)なのでまずは管轄の農政局に相談してみたが具体的で親切なアドバイスがあるハズもなく(お役人だもの)、埋める・あげる・売るの三択がありそれぞれ書類や立ち合いが必要な旨を伝えられたのみであった。

 

あろうことか転売を疑っているのかすぐに在庫を見に行くと。

 

こちらは正々堂々と在庫の処分方法についてわざわざお上に問い合わせまでしているのに転売を疑うとはどういう了見だろうか。さすがに腹が立ったので忙しいから来るなと拒否。問い合わせなどせず全て処分してから知らんかった既に現物なし、とトボケておけば良かった。

 

気を取り直して。

 

仕方なく近隣の養鶏農家に片っ端から電話してみたが概ね配合飼料を使っているから要らないとの返事。つまり自分でエサの計算ができないとのこと。ほとんどの養鶏農家は自分でエサの計算ができないから飼料メーカーが成分計算した配合済み飼料をなにも考えずただ与えるのみ。

 

何億も借金しておっきな工場を建てうず高く積まれた鳥かごにチキンを押し込み定期的にトラックで運ばれるエサをベルトコンベアに載せ、水を自動で与え、温度計やらいろんなセンサーから出て来た数値がグラフに現れてくるのをオペレーター室で見守るだけ。

 

養鶏農家は飼料メーカー、即ち商社(JAも)の奴隷である。それは畜産だけではなく農業全般においても同様である。

 

イカン、脱線している。

 

ともかく電話しまくっているそんな中、隣町のある養鶏家はタダなら貰ってやるという。こちらも購入したものだし、まだ使えるのだから幾らでもいいから買い取って欲しいと食い下がるが無料の一点張りで埒が明かない。屈辱である。昨年夏暑い中契約農家さんが運んできた米をコンテナに積むのを手伝った記憶が甦る。

 

アチラとしてはエサ代が減りメリットしかないものを一体どうしてタダなら貰ってやるという態度が取れるんだろうか?どうしても売りたいならある養鶏家Fを紹介するという。

 

数年前に地元のエサ屋・米農家・包材屋など取引業者全ての借金、総額2000万を踏み倒して倒産した元養鶏家Fが再開するからそこなら安けりゃ買うんじゃないか、と。

 

ああ、あのFと友達ということか。

 

うちの取引業者も散々な目に合っているからその名を忘れる訳がない。地元に悪名を残したその養鶏家Fは現在クラウドファンディングで400万もの資金を集め来春の再開を目論んでいるらしい。しかもあろうことかローカルテレビにも顔を出し、地元の人に世話になったから復活して恩返しをしたい、とか宣っていた。恩返しの前にまず借金返せよ。

 

クラウドファンディングで金を集める輩の実像はこんなものだと知った方が良い。厚顔無恥。

 

私もお客さんからクラウドファンディングで資金を集めて移転再建の費用にしたら、とのアドバイスを頂いたことがある。だがまともな人ならちょっとした返礼品程度で事業資金を集めるなんてできる訳がない。私ならずっと負い目を感じて生きて行くことになるだろう。

 

事業としてちゃんと収益が見込まれる計画があれば、農業関係なら日本政策金融公庫絡みの無利子の資金が借りられる。その資金さえきちんと返せないようならそれは事業ではなく趣味である。

 

そもそも件の養鶏家Fはその農業関係の借金すら焦げ付かせて倒産しているのである。税金である。政策金融公庫の審査はザルである。

 

だが何も知らないクラウドファンディングの出資者たちはダマせる、と踏んだのだろう。移転前に何とも気分が悪くなるニュースであることよ。

 

さ、また脱線よ。

 

Fに売ればいいとか、タダなら貰うという言葉が余りに悔しいので最悪の場合は埋めてしまおうと決意し、同業者は諦め異業者である養豚農家に電話しまくることに。四万十市には養豚農家はないが近隣の四万十町は窪川というところに四万十ポークのブランドを作り数件の養豚農家が集まっていた。

 

事情を丁寧に話し2軒ほど当たるとあそこの養豚農家なら買ってくれると思うと紹介してくれた。どうやら同業者同士の仲が良いようだ。そこに決めた。まともな経営者の方で私が購入した金額の半分程度は出してくれトラックを借りてすぐに引き取りに来た。

 

これでようやくコンテナがスッキリし、引っ越しの荷物を入れたという次第である。

 

さて。事務所と隣のゴチャゴチャした倉庫が片付きつつあるので次、第二鶏舎はどうするかな。

 

 

第一鶏舎も第二鶏舎も屋根は足場が悪いので波板を剝がすのはユンボで倒してからだな、と考えていた。その前に側面の波板は外さねば・・・。

 

計画では側面の波板を剥がしておき、二つの鶏舎とも柱をユンボで倒して作業しやすくしてから人力で屋根の波板を剥がそうというものだった、のだが。

 

 

こちら包材倉庫もまだ手付かずである。

 

 

地元の重機レンタル会社からユンボを借りるのが4/20から。その前に水道関係の設備を撤去すべく第二鶏舎建設時から10年以上友達のように付き合って来た土佐清水の水道屋さん、人のいい原さんに来てもらった。

 

 

原さんは昨年末から体調が優れず何度も外科へ行ったが不明で総合病院で検査したらなんと膠原病の可能性が高いとのこと。

 

膠原病は簡単に言えば自己免疫疾患(自分の免疫細胞が自分の組織を攻撃する)で、代表的な病気がリウマチ。関節のシビレ腫れ痛みこわばり、発熱や全身の疲労感などの症状が出る。ダルくて横になっていたいのをおしてうちの最後の仕事に来てくれた。

 

お互い50を過ぎると体にガタが出てきますな、と言い残し寂しそうに笑い去って行った。

 

何故こんないい人に苦しい難病を与えるのか。病気が治りまた再び元気で働けますように。

 

 

長くなるので一旦中断。解体するゼヨ2 へ

 

 

もうすぐ梅雨明けだな。早く新しいステージのレポートをしなくちゃ。ま、もう暫らく追憶に付き合ってもらおう。

 

しかし備忘録とはよく言ったものである。何気にブログやSNSなどで見かける謳い文句であるが、これを頭にちょこんと乗っけることよって面白いこともタメになることもなーんにも言わなくても「備忘録ですから」といかにも自分のためですよ、的な逃げに走る免罪符になるというもんだ。

 

従って、まずこれは備忘録ですよ、なんて始まるブログなんて全く読む価値がなくタダの時間の無駄遣いですよ。と、散々言い訳した後で始めるこのブログは一体・・・

 

 

さて、ニワトリノニワでは3月末に四万十農場の役割を終えた。つまり出荷を終えた。故にさっさとお引越しの準備を整えつつ鶏舎や事務所や倉庫を解体して更地に戻し、新天地へ移ろうではないか。

 

と、いうことで余り期待はしていなかったのだがまず解体業者の話を聞くことに。私自身は自分でやる気満々で業者に頼んだらどうせ高額な費用を請求されるに決まっていると思っていたのだ。

 

しかしこの農場が荒れ地だった状態から手弁当で建設を手伝ってくれた米農家タケちゃんの知り合いでもあり、かつまた当初からの友人のように付き合って来た地元の包材屋さんK氏の同級生でもある、という同世代の社長さんのいるM倉建設さんに見積もりを。

 

3月の20日頃まずはタケちゃんからM倉社長氏へ電話。その翌日K氏から電話。タケちゃんの電話は傍らで聞いていたが、できれば4月中、遅くても5月の頭くらいに解体を完了したいというこちらの意向を伝え、可能とのことだった。そして近い内に現場を見に来ると。

 

それから二週間、4月の頭。いずれにせよ引っ越しの荷物をまとめておかねばならないので約2週間かけて本棚と事務所類を梱包完了。

 

 

まだ雑然としているように見えるが両側の壁の棚は既にほぼ空。

 

事務所の移転を経験したことある人なら分かるだろうけど、ニワトリノニワみたいな従業員数名の零細企業でも大変。因みにこの二週間朝から晩まで一日11時間くらい動きっぱなし。このハードペースは実に解体終了までずっと続くことになるとはまだ知らず。

 

しかし未だM倉建設が現場確認に来た気配はない。仕方なくこちらから電話することに。電話に出たM倉社長氏は友人二名からの紹介にも関わらず、「すみません、忘れてました」と。

 

ダメだな、こりゃ。と思ったもののすぐに現場確認に来るとのことなので仕方なく付き合うことに。その日の夕方フラッと農場に現れた社長氏は大して現場も見ずに4月中か連休明けくらいまでに何とかなりますか?と問う私に「そんな急ぐんですか!ま、テキトーに見積もり出しときます」と、5分ですぐに帰って行った。

 

初めて聞いたように言うなよ、だから二週間も前に完了期日を伝えたでしょうが。さすがに「テキトーに」とまでは言わなかったが実際そんな雰囲気だった。そして見積もり出すのだけは案外早く3日後に社長氏自ら持ってきた。

 

見るとビックリするような数字が。私の予想では80万くらいかな、それでも高いな、あとひと月しかないから50万だったら依頼しちゃおうかな、なんて考えていたのだが実際は予想の5倍近い数字だった。

 

思わず高っ、と声を出してしまったが社長氏は鼻で笑って忙しいから無理かもな、とかブツブツ言うている。交渉する気にもならない金額に、ハイ検討しますとだけ言って帰ってもらった。

 

よく見るとビニールハウスの鉄骨に波板を貼り付けただけの鶏舎が軽量鉄骨家屋としての価格、タケちゃんと建てた掘っ立て小屋の木造鶏舎が木造家屋の価格、同様に掘っ立て小屋の事務所も木造家屋の解体価格だった。

 

全て通常家屋のようなコンクリート基礎はないと伝えてあるので一目でボッタクリと分かる見積もりである。おまけに解体用重機の運搬費用として5万円と書いてある。御社から農場まで500mしかありませんけど。

 

要するに友達から頼まれたから実際にやる気はないけど仕方なく見積もった、ということなのだろう。ならば初めからそう言え。お互い無駄な時間を使っただけ。友達二人の信頼も失ったことだろう。こういう業者は誠実ではない。

 

後に解体を手伝うことになったタケちゃんが有料で廃材だけでも処分してもらえないか頼みに行ったところ、無下に扱われたらしい。人としてどうなんだろう。大して廃材処理だけなら手間もかからないだろうに。

 

ああ、段々腹が立ってきた。うん、過ぎたことだ忘れよう。

 

さて、やっぱり業者に依頼して楽しようなんて虫のいいことはできないと分かったので今後自分でやるために移転計画を立てた。ザッとした流れは、

 

事務所荷物梱包→樹木の伐採→第一鶏舎解体→事務所横の工具資材倉庫梱包→包材倉庫整理・処分→第二鶏舎解体→包材倉庫解体→事務所解体→引っ越し→廃材処分

 

4月の初旬の時点では全部一人でコツコツやるつもりでいた。意外と早く終わるんじゃね?と甘いことを考えていたのだ。この頃はまだ廃材の処分をどこにどうやって持って行くかなどほとんど知らなかったのだがなんとなく宿毛の方に何でも持って行っていい所があるという噂を聞いて信じ切っていた。

 

ともかく、事務所の方が一段落したので次はお外。まず一番処分に時間の掛かりそうな樹木の伐採を。

 

 

う、実にやりたくない仕事である。13年前に大きくなれよ、と一本一本手で植えた木を自らの手で切ることになるとは。ゴメンよ・・・

 

ネットでオモチャみたいなチェーンソーを購入。

 

 

一応これスウェーデンの有名メーカーのもの。業界ではメジャー?らしい。その最低ランクのヤツ。2万円くらい。

 

下手くそだから何度もチェーンが外れたりしながら、それでも半日ほどでチキンの運動場に植えた大小9本の木を切り倒した。さすがオレ早いな。

 

 

3年位前からたわわに実をつけ始めたプラムの木も。

 

 

ああ、なんということを。二ヶ月もすれば赤くて甘い実がなるものを・・・と気落ちしてる場合じゃない。自分でやらなきゃ次のステージに移れない。気を強く持って全部やり遂げないと。

 

木は暫らく放置して乾燥したら燃やしたらいんじゃね?と甘いことを。その考えが後にちょっとしたトラブルになるのだがそれは社外秘につき私の心に留めて置くことにしよう。忘れてくれ。

 

樹木はほとんど伐採したので次は第一鶏舎をボチボチ解体して行こう。13年前寒風吹きすさぶ中、タケちゃんと建てた思い出の鶏舎だ。

 

 

まだ冬仕様でアニマルネットの窓をテキトーな波板で塞いでいるためいかにもオンボロだ。いや見た目だけじゃなく構造物がほぼ廃材でできているので本当にオンボロなのだがこれでも高知の猛烈な台風の直撃により一度屋根が剥がれただけで13年間建ち続けて来た。よくやった!

 

で、波板をはがしていると13年前に仕込んだアレが出て来た。

 

 

そうだ、ココは北斗の道場だったのだ。つまりうちのチキンたちはみな一子相伝の・・・ま、いい歳こいて止めとくか。

 

たった一日で屋根以外は大体キレイになった。

 

 

さっすがオレ。2週間で一人で終わるんじゃね?

 

とやはりまだ甘いことを考えていた。

 

 

つづく

 

あ、もう半年も経ってしまった。

 

まるで嵐のような日々だった。実は既に新天地で新たなプロジェクトに取り組み始めている。それはともあれ、まずは。

 

3月中旬のこと。

 

もう過ぎ去った日の備忘録的なヤツを徒然と。メンドクセーからザッとやりますよ~

 

3月末でデパートへの出荷が急きょ終了することに決まった。本来の予定では4月末か5月初旬頃まで出荷するハズだったのだが。それから移転へ向け農場の解体→更地化→引っ越しで5月末頃に引っ越しできるかな、という感じだったのだ。

 

しかしながら予定外に一段と産卵数が落ち込み、段階的に減らしていたチキン達ももはや通常時の1/3~5の数になっていたため回復不能と判断。バイヤーと相談の上、もの凄く迷惑をかけるものの致し方なしということで2か月前倒しで農場閉鎖となった。

 

予想より遅れて最後の桜が咲いた。

 

ほぼ同時にプラムの花も。

 

 

 

 

 

当初2-3mものセイタカアワダチソウに覆われた、ただの荒れ地だった。2011年春頃植えた果樹やティーツリーの木が13年でようやくここまで大きくなったのに。この景色を見ることはもうできないんだな、と思うととてつもなく淋しさが込み上げてくる。

 

と、切なくなっている場合じゃないぞ。これから最後の大仕事が待っている。

 

そして3月末を以ってニワトリノニワ四万十編からの出荷を全て終了。数日前から引っ越しの準備として書棚の本を段ボールに詰め始めていた。

 

従業員を集めて、と言っても産卵数が低迷してから徐々に減って2名だけになっていたのだが、昨年末移転の話をしたら1月の初め農作業員が突然来なくなった。初めから様々の依存症のような特殊な感じの人物だったので移転の話に相当ショックを受け裏切られたと思ったのだろう。

 

散々迷惑をかけのたうち回るように去って行った。面接の時に聞いた話だとこれまでも同様の辞め方で職を転々とし東海地方から逃げるように知人も居ない四万十に来ているらしい。それからは週3日出荷担当Yに継続してもらって後は全て一人で運営せざるを得なくなった。

 

残念ながら最後までスタッフには恵まれなかった、という訳ではない。出荷担当のYはなんとニワトリノニワ最長の7年半も務めてくれた。立ち上げから14年目だから歴史の半分を手伝ってくれたことになる。冗談が良く分かり気の利くヤツだった、と褒めておこう。

 

四万十最後の桜が散る前に卒業。

 

こんなショーモナイ経営者によく付き合ってくれた。後半人材難の中だいぶ助けられたな。

 

最後まで有り難う。

 

 

さて、感傷的になってないでお引越しの準備。次いこ次

 

人はなぜ生きるのか?

 

人生はよく山登りに例えられる。即ち先の問いは、人はなぜ歩くのか?と同質である。

 

元旦の朝、NHKの「超体感!四国 お遍路の旅」という番組を見ていた。その中で役者の卵が自分の人生このまま進むべきか、と悩み四国を歩いたら自分の中で何かが変わるかも知れないと遍路に来たという。

 

四国のちょうど半分、足摺岬に居た彼はまだ悩んでいるような顔に見えた。が、最後の88番札所大窪寺にたどり着いた彼の顔はサッパリした顔で、悩んでいるのを止めたと笑顔で話した。一歩一歩、歩いていれば目標にたどり着くことを学んだという。

 

そういうことじゃないかな。たとえそれが思っていた場所とは違っていたとしても。

 

 

さ、いつものヤツ。1/10に書いたものです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 明けましておめでとうございます。

 

今年は年賀状の代わりにこちらの手紙で代用させて頂きます。3、4年前から梅原さんからの年賀状が遅くなっていたので気にはなっていたのですが、ようやく意図を明確にしました。年賀状のやり取りを止めようとしているのですね。

 

うちももう5年以上前からお客様への年賀状を止め、友人・知人だけにしておりました。今年からはそれも止め来たものにだけ送るようにしました。確かに形だけの挨拶なんて無意味ですよね。

 

思えば大人になるまで年賀状のやり取りなんて滅多にしませんでした。まず友人がいない。友人同士で年始の挨拶を交わす?そもそも友人の定義がよく分からない。心の底から本心を話したことなんて小学生の頃からないし、理解してもらえるとは思わなかった。小難しいヤツだったんです。

 

従ってクラスメイトが無邪気に年賀状のやり取りをしているのを横目にそんなことに何の意味があるのだ?と冷めておりました。それに比べ兄妹らはそういうことに深い考えを持っていなかったらしく(?)毎年何十枚と年賀状が届いていたので正月は何となく意に反して劣等感みたいなものを感じていたように思います。しかし彼らは親しい友人が何十人と居たのでしょうか?

 

そもそも親しい友人とは何でしょうか?最近この手紙の時にしか見なくなったChatGPT先生に尋ねてみました。答えは、○信頼関係があること、○共感でき理解しあえること、○率直なコミュニケーションが取れること、○興味や価値観が共有できること、○良い時も悪い時も支えあえること、○プライバシーが守れるよう適度な距離感があること、だそうです。

 

そんなのどんな人にも部分的には当てはまるが、常に全てのことに関して当てはまることなんてないでしょう。人は生まれた環境、育った環境、そして時代がそれぞれ異なるのです。そんな人間同士が全てのことに関して共感できるなんてのは思い過ごしでしかありません。兄妹ですら難しい。

 

そんな閉鎖的な私が32歳の離婚を機に深く傷つき、落ち込み、これまでの人生を深く反省し生まれ変わることにしました。この頃から部分的にでも共感できれば友達。人類は遺伝子の99.9%を共有しているのだから皆家族みたいなもの、という広い心を持てるようになり人見知りする人生が初対面でもすぐに仲良くなれる人間性に変わることができたのです。

 

さて本題です。

 

唐突ですが重大発表があります。実は農場閉鎖します。5月頃です。元々ここは借地で10年前に借地期間を10年と定めて借りた土地です。このため将来に渡る安定な計画を立てるために土地の所有を当初から考え、移転先の土地を四万十市近辺で交友関係を広げながらずっと探していたのです。しかし良さそうな土地があっても高額過ぎたり相続が不明で売買できなかったりと条件に合う土地を見つけることができませんでした。

 

そんな折からのタイミングで原因不明で産卵率が低下し続けるという経営危機が訪れ、これ以上この地で営業を続けて行くのは困難、急いで移転の地を見つけねば、という事態に。そこでついに意を決して地元以外、例えば取りあえず四国全体で探してみようと。

 

ネットで探し始めてすぐにある地域で不動産屋が農地の売買に積極的なことが分かりました。ネットに農地物件がたくさん出ていたのです。早速連絡を取り行ったり来たりすることたったの3ヶ月で理想的な土地が見つかりました。移転先はなんと・・・

 

ここ四万十での営業は5月頃で終了するため現在終活中という訳です。このため、卵ラベルのデザイン料として梅原さんが死ぬまで毎日一個の卵をお送りする、という約束ですが誠に勝手ながら今回を以って一旦中止させてください。そして新天地、徳島の地でまた1から一人でコンコン、カンカン、小屋を建てたり柵を作ったりと来年2025年の春からの再スタートを目指します。

 

そこで問題があります。

 

あのラベルにはしっかり、「しまんと河口」の文字が入っているので新天地では使えません。新しいラベルをまた梅原さんにお願いしたいのですが移転でお金を使ってしまうためまともなデザイン料を払える見込がありません。また貧乏に逆戻りです。もし宜しければ”今度こそ”梅原さんがお亡くなりになるまで卵を送り続けますので、そんなユルイ条件でやっては頂けませんでしょうか。 エエ、もちろん梅原さんのご長命を毎日適度にお祈りしますんで。

 

と、虫のいいお願いをしておりますがそれはさておき。

 

何の身寄りもない四万十市に2010年の夏に来てからもう14年間。ChatGPTの条件に全て当てはまる親しい友人には出会えなかったのですが冗談を言い、悩みを相談できる、世代を越えた友人ならざっと数えて50人以上はできました。しかし、また知人も居ない新たな土地でゼロからのスタートです。

 

不安がない訳ではありません。が、前職コンビニSVを脱サラする時に福井県のとある担当店の70代のオーナーさんが涙で別れを惜しんでくれ、「あんたのキャラクターならどこへ行っても必ず成功する」とお墨付きをくれました。その、言葉が。心の奥でいつも光っており、まるでお守りのように私の歩みを支えてくれるのです。

 

しかし何より15年前。2008年の夏、お遍路で四国を隅々まで歩いているのでどこに行っても見知らぬ土地だとは思えないのです。移転先も四国霊場8番・9番・10番札所のほど近くにあります。発心の阿波は遍路を始めてまもなくの心細い頃たくさんのお接待で後押ししてくれた地です。この地では四国に来た目的である恩返しのため、いよいよ歩き遍路用の無料接待宿の開始なんかを目指します。

 

今後とも温かく見守って頂ければ幸いです。ひとまず12年間有り難うございました。またご連絡致します。

 

南無大師遍照金剛

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 


農業・畜産ランキング

高知県ランキング  

 

 

ガザ地区が大変なことになっている。

 

私の通っている河川敷のゴルフ場の1番ホールにガザ地区と呼ばれる一角がある。1打目、ティーショットをミスって引っかけると丁度いい具合に入ってしまうヘビーラフ地帯。たった10坪程度なんだが。

 

左側に引っ掛けるミスなんて普段は余りしない人でも何故か吸い込まれて行く謎のバミューダトライアングル。みんなで葦をかき分けガサガサとボールを探しに行くことからいつしかガザ地区と呼ばれ恐れられるようになった。

 

とか、冗談言ってる場合じゃねーぞ!

 

ま、いつものヤツどーぞ。12/10に書いたものです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

今年もそろそろ終わり。もうすぐクリスマス。言うまでもなくキリスト教のイベント。イエス・キリストの誕生を祝う日。即ちここから紀元ゼロ年が始まった日・・・と書いていてふと思った。だったら何で12月25日なんだ?1月1日で然るべきではないのか、と。

 

さて書こうと思っていたことからは脱線するけど件のChatGPT先生に尋ねてみた。答えは、キリストの誕生日は実際には明確ではなく、4世紀のローマ帝国時代にキリスト教が普及していく中で12月25日と決めたらしい。

 

なんだよ、テキトーかよ。さ、余り脱線せずに本題に戻りましょう。クリスマスと言えばある物語を思い出す。

 

クリスマスの夜。ある質素な青年が一人寂しく過ごしていた。青年はあまりパッとしない性格・能力の持ち主。もちろん社交性もないため社会的にイマイチで恋人も居ない。現代で言えば冴えないフリーターみたいなものか。そして自らの能力とそれに紐づく境遇を受け止めその夜も寂しく過ごしていた。

 

そんな彼の前にサンタクロース(本物)が突如として現れ世界でたった一人、望みを何でも叶えてくれると言う。恋人、金、社会的地位、明るい性格・・・と思い浮かべて行く。と、彼の心の中で何か変化が起こる。もっと気の毒な人もいるハズだ。

 

そして近所に難病を発症し幼くして学校にも行けず寝たきりの子供が住んでいることを思い出す。僕なんかじゃなく、そちらに行って僕の代わりに望みを叶えてやって欲しい。サンタは行ってしまう。しかし青年の心の中には温かいモノが残り、その子のことを想像し楽しい気分で眠り、綺麗な夢を見た。

 

ベッドの上に寝たきりの幼い子供。サンタの申し出に健康な身体やオモチャ、友達・・・と欲しい物を思い浮かべる。しかしサンタが来てくれた経緯を聞き、一人ぼっちだと思っていた自分を思ってくれている人がいる、そう思うだけで生きる勇気が湧き病気が治り始めたように思えた。子供の心の中に変化が起こる。私よりもっと気の毒な人がいるハズ。そう言えば近所で悪い評判の絶えない強欲な金貸しのオジさんを思い出す。きっと友達なんか一人も居らずこんな夜は特に寂しく一人で過ごしているだろうから行って慰めてやって欲しい。心の中に楽しい気持ちが残った。

 

強欲な金貸しのオジさん。願いを聞かれ莫大な金が欲しいと思う。しかしサンタが自分に来た経緯を聞き日頃の利己的な行いを恥じ、金は既に持っていることに初めて気づく。こんな強欲で評判の悪い自分のことを思ってくれている人がいる。もう何も要らないじゃないか。彼の心の中にも変化が起こる。もっと気の毒な人がいるハズ。巷で噂のテロリスト集団のボスを思い出す。ああいう人間の心はきっと荒み切っているに違いない、行って慰めてやってくれ。楽しい気分のまま眠りについた。

 

テロリストのボス。彼の陰謀は戦争を起こして世界を破滅させること。生まれてこのかた、一つも良いことが無かった。ヤなことの連続。こんな世の中なんて無くなればいい。そこへサンタクロース。例によって来た経緯を聞くと憎悪の炎が薄らいで行く・・・。この世界を破滅させれば自分を思ってサンタを譲ってくれた誰かをも消してしまう。考えた末、来年また誰か別の人のもとへ行ってやってくれ。

 

この夜サンタクロースは自分が一番楽しい気持ちになったのではないかと思った。

 

これは敬愛する星新一のSF、「ある夜の物語」のあらすじ。ある夜とはクリスマスの夜。キリスト教のイベント。そのキリスト教はユダヤ教から派生。イスラム教もユダヤ教から派生。つまりこれら三つの宗教は兄弟分であり聖地は全てエルサレムである。エルサレムは現在イスラエルにあり、イスラエルはユダヤ教が政権を支配している。だから聖地を奪い合っていつも殺しあっている。

 

ほぼ無宗教と言える日本人からすれば何故兄弟同士でいがみ合うのか不思議でならないが、我々東洋の国々も歴史的にとても深い繋がりがあり民族的にも似通っており兄弟のような関係にあるのにいつもいがみ合っているではないか。

 

地球は現在、環境問題、人口問題、食糧問題、民族紛争そして戦争、とナルハヤで解決すべき問題があるのだが全て悪化しているように見える。何がこの問題を解決するのか?20世紀から発展した経済、つまり金ではこれらの問題を解決できないとそろそろ気づいても良さそうなものである。

 

これらを解決し得るのは「ある夜の物語」にあるような、あまり知らない近所の誰かのことを自分のことのように考え、思いやることができる人間の想像力だと私は信じている。

 

2024年、みんなで一歩前へ。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 


農業・畜産ランキング

高知県ランキング  

 

 

 

 

 

 

 

 

経営者は孤独である。

 

とはよく言われる言葉である。なぜなのか、は様々理由があるだろうけど私は主に従業員とは視点が180度異なるからだと思っている。

 

日本には経営者が275万いる。対してサラリーマンの数は5660万人である。つまり5%が経営者。1/20しか気持ちを分かってもらえない。

 

小さな飲み屋ならそこに居る客の誰一人経営者の気持ちなんて分からない、ってことがほとんどな訳である。社長のバカ野郎~♪とそこで盛り上がる可能性は大いにあるが従業員の悪口を言ったら袋叩きにされるわけである。

 

そんなの孤独じゃないか。うちみたいにちっぽけな零細企業でも経営者はそれなりに悩んでいるという話である。ちょうど勤労感謝の日だし。前回の補完のような内容になってますけど。

 

ま、いつものヤツどーぞ。11/10に書いたものです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

今年の秋は山に食べ物が少ないせいか市街地にクマが多数出没している、というニュースが連日流れている。いやはや、まったく腹ペコな熊には本当にクマったものである。

・・・。

アレはもう10年以上も前。私はブログで柔道の心得のある農家のジイサンがクマに遭遇し、突進してきたクマを巴投げで谷底にぶん投げたというスーパーGさんの新聞記事を紹介したことがあった。駆除なんて人間主体の物騒な世の中はゴメンである。これからはクマに遭遇する可能性のある地域は柔道5段以上のスキルを獲得していないと住めないということにしてはどうだろうか。

さて。困ったと言えば私が長年困っていることがある。それは仕事をサボること。私ではない。従業員さんのこと。特に鶏の飼育係。初めは真面目な従業員、でもそれはたった1年半だけのこと。私はこれを1年半のカベと呼んでいるのだが。ちょっと賢いヤツほど慣れてくると仕事中にスマホを見たり勝手に休憩したり、中には農場内禁煙と雇用前に伝えてあるにも関わらず隠れてタバコを吸う者も。雇い初めはみんな真面目なのに。

ニワトリノニワは全員午前中だけの4時間-4時間半勤務。それは副業を推奨しているからです。通常の8時間勤務は集中するのに長すぎると私はサラリーマン時代から常々考えていたのです。従って午前中はニワトリノニワで、午後からはできれば自営業などで労働環境を変えれば一日を集中して有意義に働けるだろうと。

たったの4時間半。けれど漏れなく1年半。それは私の目の届かない作業があるからです。つまりサボる自由度がある。何故半日だけなのに己をコントロールし、集中できないのか、サボるのか?

経営者の力量が足りない説。これは経営者としてまず考えるべきであり私も経営に関する本など幾多と読み、褒める・目標管理をする・責任を与える、など様々に試みてみたがやはり1年半のカベは越えることができない。

会社の待遇に魅力がない説。ニワトリノニワでは現在全員パートだがコロナ前の3-4年位前から時給は1000円。高知県の最低時給が650円だった13年前は850円。そこから最低時給はバカみたいに上がって行き現在の897円に対して1000円。少なくとも給与に関しては魅力がない訳ではないと思われるのだが。

経営者に魅力がない説。ニワトリノニワでは毎回新人が入ると、例の2012年に放送されたNHKのプロフェッショナル「デザイナー梅原真」のDVDを教育ビデオとして見せることにしております。また必ずHPの私のプロフィールを読ませてこの会社が何を目指しているか、お金儲けだけではないことを理解してもらっている。それもでやはり1年半のカベは越えられない。

そもそも半日勤務に応募してくるヤツが不真面目である説。確かに副業を推奨して半日勤務としているものの、応募者のほとんどがそれ以外何もしていない。一日の半分の仕事で満足し老いた親に寄生しているいわばパラサイトシングルの実家暮らし。真面目そうな者を半日勤務の正社員として優遇したこともあったが彼らもやはり1年半のカベを前に沈んで行った。

どの説が有力かは未だ不明なままである。手を抜いても給料は変わらないと思うからだろうか。では、人は何故働くのか?

内閣府の世論調査によると「お金を得るため」と答えた者の割合が51.0%。他は「社会の一員として務めを果たすため」が14.7%、「自分の才能や能力を発揮するため」が8.8%、「生きがいをみつけるため」が21.3%。

本当だろうか?

半分の社会人がお金以外のために働いているなんて私は信じない。どんなに手を尽くしてもたったの1年半で、それも半日の仕事すらサボり始めるというのに。生きがいを見つけるため、責務のため、能力を発揮するため、に働く。つまり己のために本当に働いているなら何故サボるのか、矛盾しているではないか。

労働時間は自分の人生の一部、というか大半であるのに給料が下がらないという理由だけでどうしてサボることができるのか?自分の人生を無駄に過ごしているのに気づかないのか。何故一歩ずつ山を登って死ぬまでにどこまで登れるのか、という向上心を持つことができないのか。

私は社会人になりたての頃。自分は何故給料がもらえているのか?と疑問に感じた時経営者として物事を考える視点を得た。経営者として考えればお金のルートが見えたからである。そして経営者として考えれば仕事の優先順位も明確に見えるし上司の言うことの無駄ばかりでなく正当性も明らかに理解できる。

いや、そもそも己の寝ている時間以外のほとんどを過ごす仕事の時間を無駄にするのは、自分でお金を払って受講したセミナーに出席し居眠りをしているがごとく虚しいことではないか。学生ならまだしも社会人のすることなのか。そんなに仕事がツマランのならすぐに転職したらいいのに。

人は何故サボるのか?

北大の生態学者長谷川英祐氏は、アリの集団の中で働かないアリが2割くらい存在することを発見した。彼らはブラブラとサボって横道にそれている内にエサまでの最短ルートを発見したり新規なエサを発見したりするのに役立っているそうだ。このことから働かないアリに意義がある、と述べているのだが私は異議を唱えたい。

たった1人で担当している鶏の飼育の仕事をサボるのである。彼曰く「シンドイからサボる」のだそうだ。鶏の飼育がシンドイかどうかは個人の考え方によるだろう。

ならば清潔で輝かしい都会で、満員電車に一時間も揺られ小奇麗で冷房の効いたオフィスに通い、仕事の見える化などと言って毎日の仕事や成果を抜け目なく管理されているのはシンドくはないのだろうか。鶏の仕事をサボる彼はきっと一時間も耐えられないに違いない。

人は何故サボるのか?

私は思う。社会人のほとんどが夢や目標を自分で見出す力に欠けているからである、と。だから自分の人生ではなく、他人事をやらされているからサボって楽をしたいのだ。まさに一生が強制労働者のようである。

人生の夢や目標を見つけ、その過程としての仕事を見つけ、仕事の目標を立て、毎日が自分の人生の過程であると認識しながら生きることができれば。

その夢や目標は即ち好奇心から繋がって行くものである。好奇心さえあればその延長上に働く目標を立てられるし、好奇心=「面白い」の延長が仕事なら誰だってサボらないだろう。好奇心があれば人は自分の人生に夢や目標をもって有意義に過ごすことができるのではないか。

その好奇心を育てるのは教育の役割だろう。大人になってからではもはや遅い。「面白い!」は自発的な心の動きであって大人になってから誰かに教わるものではないのである。

そんなアダルトチャイルドな彼らの面倒を見るのはもう疲れてしまったから私は今後できれば一人で働くことにしようと思っている。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 


農業・畜産ランキング

高知県ランキング  

 

 

 

 

 

 

 

 

人は何のために生きるのか、働くのか。

 

幸せとは何なのか。ようやく猛暑が過ぎて落ち着いて来た秋に。一人物思いにふけるなんてのはどうだろうか。スマホなんて手放して。秋の高い空から自分を俯瞰してみては?

 

 

いつものヤツどーぞ。10/10に書いたものです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

「君たちはどう生きるか」というスタジオジブリのアニメが公開され話題を呼んでいる、的なニュースを夏に見た。それでその漫画化された物が200万部も売れたというニュースが5-6年前にあったな、と思い出した。

 

いかんせん私はあまのじゃくだから流行りモノには手を出さないという方針を貫いて今に至る。つまりどっちも見てないという訳である。何言ってやがんでぇ、てなもんである。

 

流行っているモノはツマらない。「アナ雪」や「君の名は。」などの残念作。子供向けだから手を抜いているのだろうか?無論これらを観たのも地上波になってからである。話題作だからと観たのだがストーリーが短絡的だったり論理に飛躍があり過ぎて楽しめなかった。いや、だが大衆に受けるには単純じゃないと駄目なのだ、と今は考えている。

 

宮沢賢治や石川啄木らは生前ほとんど評価されなかった。彼らの同時代に売れていた与謝野晶子や子規、芥川・太宰・志賀直哉らはいわば大衆に迎合した愚作の作家と言えるかも知れない。

 

と、恐れ多くも明治の文豪をコケ下したところで、前述の「君たちはどう生きるか」の話。ジブリのヤツは宣伝を一切行わない、ことすら宣伝材料にする浅ましさに辟易しながらこのタイミングで映画化されたということはあの漫画が流行った5-6年前にアレを読んで影響を受けたからだな。宮崎駿も凡人に過ぎんな、と。

 

いや、それはともかく。君たちはどう生きるか?という命題である。

 

そろそろ読んでみようか、と書評などをチラッと読んだところ、これは職業選択の問題ではなく立派な大人になるにはどう生きるべきか?という道徳的な内容であるらしい。それが本当なら、ああ、ヤダ。ツマラナイ。

 

原作は反戦ジャーナリスト吉野源三郎氏のもの。あ、だからかね。道徳や倫理なんて人が社会で円滑に生きるために決めたルールでしかない。そんなものを賛美している内は人間は幸せになどなれないのではないか。

 

そうじゃなくて。

 

社会人に問う、どう生きるのか?の問題。即ち何をして生きるか、何のために働くのか、何故働くのか?という疑問の方が本質的で面白いと思うのだが。

 

人は何のために働くのか?

 

客観的に数字でひも解いてみる。H26年内閣府世論調査によると「お金を得るために働く」が51%でダントツでトップだそうだ。ではお金の使い道は?というと、生涯収入がざっくり2.7億(大卒男)で、税金が約5.4千万、食費約5.4千万、住居費約3.5千万(地域差大)、教育費約2千万、マイカー約1.5千万、保険約1千万となるらしい。

 

一日の労働が、ありえないけどきっちり8時間だったとして。その内の2時間を税金に捧げ、1時間強をハウスメーカーやゼネコンに捧げ、1時間を子供を苦しめバカを社会に増やすために捧げ、30分を自動車メーカーに捧げ、20分を保険会社に捧げ、残り約3時間の内2時間を食べるために働き、たったの一時間足らずを自分のための娯楽などのために働いている。これでいいのか、現代人よ。

 

地方に住み慣れた私から見ると全部不要な出費にしか見えない。

 

食費は地方に住んでいて農業をやっていればほとんど自給できるか親しい知人との物々交換でまかなえる。住居費は立派な家など欲しがらなければ田舎なら土地は二束三文、1千万もかければ二階建ての家も建てられる。

 

廃材や古民家を使って自作やリフォームすれば2-3百万で小奇麗な住宅も可能。しかも楽しい!因みに私は農場の傍らに自作した掘っ立て小屋兼事務所に寝泊まりしている。13年間も。材料は廃材、タダ。

 

教育費なんて子供の好奇心を育ててやれればネットで幾らでも情報を得られるし本なら図書館にたくさんある。購入したってたかが知れてるというもんだ。自分が言うのもなんですが大学不要派なので。5年も前の先輩の講義ノートと寸分も違わぬ内容を板書し続ける情熱なんてこれっぽっちもない教授が大多数である大学の授業を生で見る価値なんてどこにあるのかね。

 

マイカーに関しては、田舎は皆車検2回くらいで新車に買い替えたりしている。田舎の人は皆見栄っ張りなのだ。しかしそれでは大手自動車メーカーの奴隷ではないか?車の資産価値なんて10年で30%程度と言われているのだから10年落ちの車を新車の30%で購入したらお得じゃないかね。幾ら住居に金がかからないからと言って・・・

 

保険代は1千万も払って一体幾ら生涯で保険金を貰うんだろうか?どう考えても保険会社は儲かっているようにしか思えないので私は保険に入るくらいなら、と自分で生命保険貯蓄している。

 

と、まぁこんな生活をしていたら生涯で稼ぐ金なんて1/10くらいで済むのではないだろうか。たったの3千万足らずである。だがこのような生活の基礎となっているのは言うまでもなく農を中心とした自給自足のライフスタイルである。

 

高度経済成長期に推奨された支出モデルを頑張って維持するのにどれだけ人は無駄に稼がねばならないか。働かねばならないのか。苦労せねばならないのか。もっと生きるという根本的な部分にこそ労働の本質を見出せばカネカネと言わずにゆとりが生まれるのではないか。

 

農業が楽とは言わない。だがそれは大昔に作られたJAを中心とした薄利多売の農業に何の疑問も持たないからである。もっとラクして遊び半分にむしろ生活を楽しむようなライフスタイルを目指せば人間は今よりずっと幸せになれるのではないだろうか。

 

と、考え。

 

ただいま販売目的の農業からの脱出を目論んでおります。この支配からの、卒業。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 


農業・畜産ランキング

高知県ランキング  

 

 

 

 

 

 

 

 

愚民
 
という言葉がある。古くは平安時代の続日本紀に出ている。この続日本記は平安時代697- 791 年までの日本の歴史を記したもの。この時代は貴族や公家を中心とした荘園制度の時代であり皇族の土地を一般人に耕させ収量のほぼ半分を年貢として徴収した。
 
その圧倒的格差の時代、愚民は大衆という意味で使われた。だがマルクスによれば、大衆は歴史の主体であり社会主義革命の担い手である農民を指す。
 
因みに一般人をチンパンジーに聞き間違える明石家さんまの定番のあの下りを実は私も日頃多用してるメンドクセーやつです。なるほど、私が愚民でした。あ、ぐみんなさいm(..)m
 
さて伏線はここまで。いつものヤツどーぞ。9/10に書いたものです。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

いつも有り難うございます。

ガソリン価格が高騰。政府は補助金の拡充を決めたところだがそもそも石油販売に対する税金を見直すべきという本質的な議論が持ち上がっている。だが岸田政権は頑なに減税には目もくれず・・・。

というのも石油元売り企業がつくる石油連盟 からの自民党への政治献金はランキング6位の5千万円なり。更にお役人の天下り先が石油関連の協同組合だ、なんて話もある。

それでも一票入れるんでしょうね、自民党に。日本人は。もしくは我関与せずで投票にすら行かないおつもりか。長年政権を独占している自民党と特定業界の癒着は根深いものがありそうだ。だから時々政権交代をしてやらねばならないのだ。田植え前の田起こしのように。上と下とを入れ替えて、酸欠状態の土壌に新しい空気を入れて。

さて、高騰していると言えば農業関連である。肥料及び畜産飼料共に2020年に比べ概ね1.5倍以上に価格が跳ね上がっている。にも関わらず食品の価格は2020年比でたったの5.5%増である。日本の食料自給率は生産額ベースで63%だから一概には言えないことではあるが。しかし農家が報われていないことは明らかだろう。

一般的な農家は農協が生産物の出荷先であり価格を決める権利はない。幾らで農協が買ったのかを知るのはJAバンクの通帳を見てから、つまり結果のみ知る訳である。そんな農協氏はあくまで仲卸の立場なので強気に価格を上げてスーパーに嫌われる意味がないと考えている。農家の立場なんぞ知ったことではないのだ。

ガソリン価格の補助金は既に10兆円規模となっている。農家に対する、例えば肥料の補助金はたったの800億円足らず。やはり政治献金の多寡が予算に反映されているのだろう。自民党政権の既得権益を守るために税金の使い道=日本の未来が選択されている現状を日本人は何とも思わないのだろうか。肥料高で離農者が増えているという話もチラホラ出始めている。

世界情勢(戦争)や人口増加、発展途上国の近代化(肉食化)や異常気象等々・・・による食糧生産量の減少。15年前に私が脱サラする時に危惧していた通りのことが起こっている。ガソリンがどうのこうのと言ってる場合か?と、今一度日本人に問いたい。

コロナ禍で外食産業が低迷した分だけ少しは減ったらしいのだが、相変わらず大量の食品廃棄を続け、なおかつ食料自給率は横這いのまま。なんなら12ポイント下がったくらいだ。日本人は完全に平和ボケと老眼が進んで目の前が見えないらしい。

或いはスマホ漬けの脳みそになったのは国家戦略であろうか。ゲームやSNSの情報によって右へ左へと短絡的に反応するアバターにおとしめられた奴隷。

恐らく、いつの時代にもどんな国にも当てはまるのだと思うが、大衆は操作されていることにすら気づかない烏合の衆であり、鵜飼いの鵜のごとく目の前の鮎を一心に呑み込めば飢えが満たされると信じて疑ったことすらないのだ。

いや日本人がバカだ、大衆は大馬鹿だ、という結論ではない。気づいていながらも影響のあることが何もできていない己の不甲斐なさをもどかしく思っているという話である。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 


農業・畜産ランキング

高知県ランキング  

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦争と平和」
 
を書いたトルストイ。「罪と罰」を書いたドストエフスキー。彼らはいずれも旧ロシアの作家である。彼らのストイックさこそがプーチンを生み、戦争を生んだのかも知れない。てなことが最後まで読めばロジカルに理解できると思うよ。
 
 
さて、いつものヤツ。8/10に書いたものです。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

いつも有り難うございます。

8月に入ると四国は「よさこい」やら「阿波踊り」やらでお祭り気分で浮かれてしまいがちですが世間は原爆の日や終戦記念日で鎮魂ムードなのです。

戦争はなぜ起こるのか?

について例のごとくチャットGPTに質問してみたところ、領土・資源、イデオロギー、民族・宗教など様々な対立が原因であるとのこと。相変わらずポンコツである。一般的常識がある大学生レベルと言ったところか。では頼まれもしないのだが私が戦争を心理学的に解説してみる。

人間は個人が生き残るためのエゴ(本能)と、集団でうまく行動するための社交的な一面とがある。この二面性は多くの場合対立している。従って小学生に上がる頃には人間の心理の中では友達とあまり喧嘩しないための社会的な仮面(ユングの言うペルソナ)を作り始める。

しかしそのペルソナが形成されるに当たりエゴが抑圧され無意識の中に影を落とす(ユングの言うシャドー)。簡単に言えば本能は欲しいものを友達から奪ってしまえと命じるのにペルソナがそれを許さないというジレンマが生じる訳だ。

このシャドーこそが戦争の元凶である。シャドーは自分の無意識の中にあるのだが人に投影される性質を持ち、あたかも他人が自分を抑圧しているように感じてしまう。そこできっかけを見つけて「なんだよ、オマエ」と争いに発展する。そしてペルソナが多いほど、抑圧が強いほどシャドーは強く影響力を持つ。

全ての争いの原因は、本音では犯罪者のごとく傍若無人に振舞いたいのだが社会がそれを許さないから。このことを踏まえれば戦争を起こさないために何をすれば良いかわかる。

ペルソナを緩めてやれば良いのだ。だからと言って犯罪を許せというのではなく、適度に逃げ道を作ってやれば良い。人が目の前で旨そうなモノを食べてたらそれを奪うのではなく一旦忘れて後で自分で買って食べれば良い、とか。

現代社会は多くのペルソナを持ち、それが強力であるほど社会的に成功する傾向があり社会もそれを推奨している。この時代は危険である。

8年前。2015年の梅雨真っただ中。私は初めて広島を訪れた。名古屋で国際養鶏養豚総合展てなヤツを見学した帰り道である。その年は戦後70年の節目となる年。前年の2014年に父が69歳で他界。父は終戦一か月後の9月に満州で生まれた。強烈な父だった。戦後のドタバタと共に育ったそんな父の人生を振り返る意味でも戦争というものを今一度身近に考えてみようと思ったのだ。

 

初めて訪れた広島の街には静かな平和への祈りに満ちていた。雨がシトシトと降る中歩いた街中の橋の欄干、公園の祈念碑、道路など至る所に平和の文字が溢れている。私には「平和」という名を借りた怒りに満ちているように思えた。

本音では原爆を作ってアメリカにやり返したい。でもカッコつけて自分は平和主義ですから、とか言って唯一の被爆国だから平和を、と叫ぶ他ない。じゃあ平和ってなによ!

戦後78年になった。人間は大して進歩していない。道徳や倫理が怒りを生み、怒りが戦争に発展する。皮肉なものだ。

怒りを生まないためにはまず自分の中に怒りがあることから目を背けないこと。そして人間も本能を持った動物であることを再認識すること、「人間だもの」の以前に「動物だもの」である。

それにはまず教育ですよ。人間の、いわゆる醜い部分から目をそらさない教育・・・醜い、か。みんなこの時代は生きにくいでしょう。鬱屈した感情をお祭りで発散!は一時しのぎに過ぎないのだから。
 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 


農業・畜産ランキング

高知県ランキング  

 

 

 

 

 

 

 

 

もうじき夏休みですな。
 
いや、50過ぎたオッサンに夏休みはないんだけれど・・・いや世の中の50過ぎのオッサンのほとんどが夏休みあるじゃねーかよ。そーかよ、夏休みねーのは少数派かよ。
 
ま、夏休みと言えば上野公園を真っ先に思い出す。小学生の頃、確か一回だったけど。夏休みに上野公園にある国立科学博物館に連れて行ってもらった記憶が鮮明である。
 
特別展として恐竜の特別展示が開催されていた。まだ幼い私が見たその巨大な骨のインパクトと言ったら。こうして40年も記憶に鮮明に残っているのだから子供の頃の夏休みの体験は貴重である。
 
 
さて、いつものヤツ。7/10に書いたものです。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

いつも有り難うございます。

まったく暑いですねぇ。暑いと言えば私は数年前に帰省した際にぶらっと寄った相田みつを美術館を思い出す。久しぶりの都会のいやぁな暑さと人いきれで東京駅周辺をげんなり歩いていた時。思わず目の前に現れた「相田みつを」の文字に気づけば涼しげな館内に吸い込まれていたのだった。

 

あの清涼感と言ったら。増々相田先生が好きになったことでした。ま、そんなことはさておき。九州ではまだ大雨が続いておりますが高知の天気予報は見渡す限り晴れマーク。少なくとも高知に限っては梅雨明けしたようです。

 

梅雨明けすれば当然のごとく南獄、いや南国の高知は連日34℃にもなる猛暑が続いております。にもかかわらず私は毎日更に暑いサウナに1時間以上も入り、あろうことかこの炎天下、週に34日も日差しを遮るものがない四万十川の河川敷ゴルフ練習場を浮浪者のごとくカートを引きずりながら徘徊している訳です。まさにヘンタイですな。

 

いいえ。猛暑の中、四国を歩いて回ったお遍路で得た、生きることの意味・実感を文明社会で敢えて味わおうとしているのです、と言ったらカッコいいんじゃなかろうか。ともかく乾いたら飲む、死ぬほどの空腹を満たす、のが生きている実感、即ち本来の幸せだと思うのです。それにはちょっと身体を痛めつけなきゃ。て、やはりヘンタイなのか?

 

さて、サウナと言えば。常連のサウナ仲間に若い頃ボディビルダーだったと言うオッサン(推定62歳♂)が居ります。現在はどう見てもミシュランのマスコットキャラクター(通称ミシュランマン=ムッシュ・ビバンダムというそうです)を更に横に引き伸ばしたような体型でお世辞にもカッコいいとは言えませんが。

 

で、その彼はひとたびサウナに入ると30分以上も出てこない。従ってサウナ仲間から変人の噂が絶えません。我々凡人は長くて12分計一周分しか入っておれないというのに・・・そんないぶかしさを晴らすべく物怖じしない私が代表者として声をかけた結果、元ボディビルダーであることが判明した訳です。

 

若い頃(二十歳前後)ボディビルの減量でサウナスーツを着て1時間以上も己の美と向き合っていたこともあり、ただ風呂上がりに冷たい飲み物(現在はノンアル)をぷはーっと飲みたい、という我々凡人とは我慢の限界がケタ外れ、ということなのでしょう。

 

減量と言えば。

 

先月のボクシング、WBAスーパーフライ級の井岡一翔の試合で元チャンピオンのジョシュア・フランコ選手が減量に失敗し前日の計量で3㎏もオーバーして王座を剥奪された上に失笑を買う、なんて珍事件がありました。

 

取り囲んでいた報道陣からは失笑が漏れ永久追放だ、なんて声もあったようですが。私はもっと大らかでもいいんじゃないか、と。

 

ストイックに思いつめて何かを完璧に成し遂げる人は尊敬されるだろうけど近寄りがたい。でも時々己の欲に負けて失敗しちゃう人は憎めないし親近感が沸くというもの。

 

だって、「にんげんだもの」 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 


農業・畜産ランキング

高知県ランキング