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梅原デザイン事務所 梅原 真 様
いつも有り難うございます。
8月に入ると四国は「よさこい」やら「阿波踊り」やらでお祭り気分で浮かれてしまいがちですが世間は原爆の日や終戦記念日で鎮魂ムードなのです。
戦争はなぜ起こるのか?
について例のごとくチャットGPTに質問してみたところ、領土・資源、イデオロギー、民族・宗教など様々な対立が原因であるとのこと。相変わらずポンコツである。一般的常識がある大学生レベルと言ったところか。では頼まれもしないのだが私が戦争を心理学的に解説してみる。
人間は個人が生き残るためのエゴ(本能)と、集団でうまく行動するための社交的な一面とがある。この二面性は多くの場合対立している。従って小学生に上がる頃には人間の心理の中では友達とあまり喧嘩しないための社会的な仮面(ユングの言うペルソナ)を作り始める。
しかしそのペルソナが形成されるに当たりエゴが抑圧され無意識の中に影を落とす(ユングの言うシャドー)。簡単に言えば本能は欲しいものを友達から奪ってしまえと命じるのにペルソナがそれを許さないというジレンマが生じる訳だ。
このシャドーこそが戦争の元凶である。シャドーは自分の無意識の中にあるのだが人に投影される性質を持ち、あたかも他人が自分を抑圧しているように感じてしまう。そこできっかけを見つけて「なんだよ、オマエ」と争いに発展する。そしてペルソナが多いほど、抑圧が強いほどシャドーは強く影響力を持つ。
全ての争いの原因は、本音では犯罪者のごとく傍若無人に振舞いたいのだが社会がそれを許さないから。このことを踏まえれば戦争を起こさないために何をすれば良いかわかる。
ペルソナを緩めてやれば良いのだ。だからと言って犯罪を許せというのではなく、適度に逃げ道を作ってやれば良い。人が目の前で旨そうなモノを食べてたらそれを奪うのではなく一旦忘れて後で自分で買って食べれば良い、とか。
現代社会は多くのペルソナを持ち、それが強力であるほど社会的に成功する傾向があり社会もそれを推奨している。この時代は危険である。
8年前。2015年の梅雨真っただ中。私は初めて広島を訪れた。名古屋で国際養鶏養豚総合展てなヤツを見学した帰り道である。その年は戦後70年の節目となる年。前年の2014年に父が69歳で他界。父は終戦一か月後の9月に満州で生まれた。強烈な父だった。戦後のドタバタと共に育ったそんな父の人生を振り返る意味でも戦争というものを今一度身近に考えてみようと思ったのだ。
初めて訪れた広島の街には静かな平和への祈りに満ちていた。雨がシトシトと降る中歩いた街中の橋の欄干、公園の祈念碑、道路など至る所に平和の文字が溢れている。私には「平和」という名を借りた怒りに満ちているように思えた。
本音では原爆を作ってアメリカにやり返したい。でもカッコつけて自分は平和主義ですから、とか言って唯一の被爆国だから平和を、と叫ぶ他ない。じゃあ平和ってなによ!
戦後78年になった。人間は大して進歩していない。道徳や倫理が怒りを生み、怒りが戦争に発展する。皮肉なものだ。
怒りを生まないためにはまず自分の中に怒りがあることから目を背けないこと。そして人間も本能を持った動物であることを再認識すること、「人間だもの」の以前に「動物だもの」である。
それにはまず教育ですよ。人間の、いわゆる醜い部分から目をそらさない教育・・・醜い、か。みんなこの時代は生きにくいでしょう。鬱屈した感情をお祭りで発散!は一時しのぎに過ぎないのだから。
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