こーたがお空に旅立ってから3ヶ月。
そして、こーたが生まれて今日で1年が経ちました。
今では日常生活に戻り、毎朝みんなでこーたに「おはよう」とお線香をあげて1日が始まります。
去年のお正月は、こーたはお腹の中で元気いっぱいに動いていたんだよね。
そして去年の初夢は私のお腹の中から竹の子がニョキニョキと立派に育つ。という夢を見て、こーたの成長する姿を見ることができるのかな?と想像してました。
ある時は、妊娠中にこーたが5歳になって自転車に乗っている夢を見ました。
私は密かに「こーたは5歳まで生きる」と思ってました。
こーたが亡くなった後、コロナが下火になったタイミングで私と夫の実家へ挨拶がてら2年ぶりに帰省していました。
義実家ではこーたの話は一切なく、ただの帰省。
気を遣わせたくなかったので普通に過ごしてましたが、元気バリバリな義祖父母(こーたの曾祖父母)はこーたが生まれたことすら知らない様子でした。
障がいを持って、どれだけ生きられるかもわからない子供の誕生をわざわざ知らせる必要性はない。
ということなんでしょうかね・・・
かくいう私の母も、そんな理由で身近の親戚にはこーたの妊娠・誕生を知らせていませんでした。
でも、こーたが亡くなったことで親戚のお寺さんに供養をお願いする手配をしてくれ、経緯を明かしたそうです。
お互い実家が遠方な私達にとって、こーたのお葬式をあげることはせず火葬だけで済まそうとしていたんですが、母が叔父さんにお願いしてお経を読んでいただき、戒名と位牌も手配してくれました。
本来ならこういった弔いは夫方を立てて話をしなければいけないんでしょうが、関心が薄いというか、親身に考えてくれないというか、たまにしか連絡しない間柄だし、ちょっと話がすすみにくそうな家族なので、一応お伺いを立てたうえで私の実家で供養をしてもらいました。
そんな少しややこしい事情もあるし、誰も知らない遠い地のお墓に納骨するなんてかわいそう(寂しい)なので遺骨は仏壇と一緒に我が家に置いてあります。
娘には「こーちゃん、ちっちゃくなっちゃったんだよ」と伝えてありますが、何か嬉しいことがあると「ねぇ、こーちゃん!」ってお話してくれます。
今日は仏壇にケーキをお供えすると誕生日の歌を歌い、フォークでケーキをつついて「どーぞ。美味しい?」と食べさせてあげていました。
友達に天使ママが1人いて、その友達も両家が遠方で自宅に遺骨を安置しているそうですが(自分が死んだ時に一緒にお墓に入れてもらうって言ってました)、皆さんやっぱり遺骨はちゃんとお墓に納骨してるんでしょうか?
「もう遺骨には魂は無い」とはいうものの、やはり離れる事になったら寂しいです。
私はこーたが亡くなったので育休が終了し、職場復帰をするなら会社の規定でフルタイムで復帰しなきゃいけなかったので退職することにしました。(時短勤務は娘が3歳までの規定だった為)
勤務先が遠いのでフルタイムが厳しい!という理由もありますが、こーたが亡くなった事を職場の皆に何か言われる、思われるのが嫌だな・・・っていうのがあって、なるべく会社の人に会わないようにして退社の手続きをしてもらいました。
今年に入ってから近場でパートを始めたので、それまでの間はニート生活を送りながらこーたのアルバムを作っていました。
写真を選ぶ度に涙が出てきます。
動画を見ると「あぁ、こーたはちゃんと生きていたんだよね」とその頃を思い出しては涙が出てきます。
「こーた・・・」
こーたが居ないのに、こーたを名前を口に出して呼んでみる。
病院にいる時は周りを気にして(恥ずかしがりやな私)話しかけてあげなかったのを今となっては後悔です。
もっと話しかけてあげればよかった。
「5歳まで生きる」と思っていても、本心ではそれを望んでいたか?
こーたはお母さんの気持ちを察して逝ってしまったのか?
私はこーたにとってどんな母親だったんだろう?
いろんな想いがめぐります。
こーたをもう一度抱きしめたい。
月命日の昨日届いたアルバム。
なかなか良い仕上がりになっていました。