こんにちは

まほろです

 

 

築95年の夫の実家をリフォームして

行ったり来たりの二拠点生活をしています

 

 

 

 

 

 

 

 

 ​初夏の風に吹かれて

 

 

 

奈良に行ってきました。

 


 

関西圏にいても、私の住んでいるところから見ると奈良は少し奥まったところ。

 

 

行って帰ると丸一日の、

少し遠出になります。

 

 

そして言わずと知れた古都ですが

距離以上に、今までなんとなく近寄りがたい感じがありました。

 

 

壮大な歴史のイメージがあって、行くにはちゃんと知識を持っていかないと…とか思っちゃって。

 


でもそれでは一生行けませんね。

 

 

今回は、

案内してくれる友人がいたので大丈夫。

ガイドをしてもらいながら

東大寺周辺を歩いて巡ります


スマホの地図を見ることなく、景色を味わいながら歩ける贅沢な旅。

 

 


 初夏の奈良は緑があふれています。



それに観光地なのに人が少なくてゆったりしてる。



 

こんな土塀の横を通って

 

 

 

 

 

 

 

鹿を見ながら

鹿の方も人を見てる

 

 

 

 

 

 

東大寺へ。

 

 

 

それにしても、このスケール感。

 

空が広くて、建物の大きさに対して

人が小さく見えます。

 

 

 

 

 


大陸から入ってきた文化だから大陸サイズなのか、

周りに遮るものがないからか。


 

 昔の人は、よくもまぁこんなに大きな建造物を建てられたものです。



大仏殿の前は、写真を撮る人で賑わっています



外国人観光客に混ざって、

ぞろぞろと大仏殿に近づくと


その大きさに自分の小ささを思い知らされて謙虚な気持ちになりました。

 

 

 

 

奈良の大仏さん。

 

 

中学の遠足、学生時代、子育て時代。

今回会うのは4回目。

 

 

やっぱり大きかった!

 

 

そして社会科の勉強のためでも、

子供に見せるためでもなく、



初めて

自分のためにお参りできた気がします。


 

 大仏様の周りをゆっくりまわって見ます。





 いにしえ人に感謝の思い




この日、何より心に残ったことは

この大仏が教主となっている華厳経の教えです。


大仏様の横に、説明がありました。



 

この東大寺を建てられた聖武天皇は


 

「人々が思いやりの心でつながり、

子どもたちの命が次世代に輝くことを真剣に考えられ、

動物も植物も共に栄えることを願い、


 

造像にあたっては、広く国民に『一枝の草、ひとにぎりの土』の助援をを呼びかけられた」そうです。

 



決して権威の象徴ではなく



生きとし生けるものへ

広く注がれた深い愛と

それに感銘を受けた人々が、


立派な大仏殿として残してくれた。

 


そう思うと

感動で胸がいっぱいです。




その教えが、今に通じる普遍的な願いであることに驚きました


奈良時代の人々も私たちと同じことを願っていたんだなぁ。



人々が思いやりの心で繋がるって…

素敵な世界

私も見てみたい

 

 


同世代の友人たちと訪れた東大寺。



子育て時代の話しや

それぞれの大仏様の思い出を聞きながら歩きます。



大仏の大きさに感動した中学生の頃は

いにしえ人の思いまでは受け取れなかったけれど



あれから40年生きてきて

感じることも変わったな。と



あの頃と変わらない大仏様の前で思いました。

 

 

 

 

 

 

 



 今日も最後までお読みいただき

ありがとうございます