薩摩硫黄島への旅 1日目 | OFF DUTY

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誰にというわけでもなく、
余暇の楽しみを語るブログです。

9月18日(日)

 

07:00羽田→08:05伊丹 ANA013

 

薩摩硫黄島 を旅するに当たり、当地の歴史などを調べていたら、

俊寛 という平安時代後期の真言宗の僧侶の名前が出てきました。

 

俊寛は、平家打倒を目論んだものの失敗に終わり流刑に処された者。

一連の事件は、密議の行われた俊寛の山荘があった地名から「鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀」

歴史上呼ばれているそうです。

 

実は、俊寛の名前は、昨年、喜界島(鹿児島県)を旅した時にも「この地に配流された」と

聞いており、度々耳にすることからその存在に少々興味がわいておりました。

 

前置きが長くなりましたが、

それなら、鹿ケ谷から薩摩硫黄島を目指そう というのが、今回の旅の流れです。

 

搭乗機はB787-8/JA817A。

あとから知りましたが、当便は機長昇格訓練便とのことでした。

 

 

伊丹空港 からはバスで 京都駅 へ向かいました。

 

 

京都駅に着くなり、京都在住の友人にご挨拶。

急な声掛けにも関わらず、このあと会いに来てくれるとのこと。

嬉しいじゃありませんか。

 

 

地下鉄で 蹴上駅 へ。

 

 

ここからは、旅の趣旨たる俊寛とは離れてしまうのですが、

京都で気になっていた存在の 琵琶湖疎水 を見学することに。

 

琵琶湖疎水とは、琵琶湖の水を京都に流すために行われた明治時代の一大事業です。

その詳細を知るべく、まずは 琵琶湖疎水記念館 を訪ねました。

 

 

数々の貴重な史料を拝見したあと、全行程は無理ですが、

琵琶湖疎水の一部を見て回ることにしました。

 

 

記念館のある 南禅寺船溜 から琵琶湖方面に遡上すると、

蹴上インクライン を見ることができます。

インクラインとは、物資輸送用のケーブルカーのこと。

軌道や復元された台車が見学できます。

 

 

ねじりまんぽ は、きれいなアーチを描いたレンガ積みのトンネル。

 

 

周囲には、 蹴上発電所 など見応えのある建造物があります。

 

 

本願寺水道 という東本願寺専用の防火水道もありました。

 

 

ここからは、南禅寺方面に延びる 疎水分線 をたどります。

すぐに見えるのが、発電用の送水管。ここからは、京都の市街地が俯瞰できます。

 

 

さらに南禅寺方向へ山肌に沿って進みます。

 

 

南禅寺の 水路閣 はご存知の方も多いと思います。

 

 

ここで友人と合流。

友人を巻き込んで、さらに 哲学の道 方面へと疎水散策を続けます。

 

 

ひとまず銀閣寺まで達して疎水めぐりは了とします。

 

ここで遅めのランチ。

京都ラーメンが食べたいという僕のリクエストに友人が応えてくれ、

老舗有名店に連れて行ってくれました。

ますたに です。

 

 

束の間の再会でしたが、ここで友人とはお別れ。

旅の本題に戻り、ひとり俊寛の別荘があった 鹿ケ谷 を目指します。

 

どうやら哲学の道を戻る感じ。

 

途中に碑が建っていました。

「此奥 俊寛山荘地」

道に迷うことなく一安心。

 

 

なかなかきつい坂道を上ってゆくと、再び碑が建っていました。

 

 

さらに奥へと道が続いていましたが、民有地なのでしょうか。

立入禁止とのこと。進むのはやめました。

 

 

こんな山の中から薩摩硫黄島へ島流しになった俊寛。

僕は明日飛行機で移動しますが、果たして何日かかったのでしょうか。

周囲の景観を目に焼きつけて、来た道を戻りました。

 

森を抜けると、ここからも京都の街並みが一望できます。

 

 

地下鉄の蹴上駅に戻り、京都駅へ。

往路と同じくバスで伊丹空港へ戻りました。

 

そして、伊丹空港のバル Massa で夕ご飯。

たしか前回もこの店に寄りました。

 

 

ローソンで部屋呑みのあれこれ、そして明日の朝食を買って、

ホテルの送迎車に乗り込みました。

 

明日の鹿児島行きに胸が高鳴ります。

 

(続く)