絵本 極楽 | 誇りを失った豚は、喰われるしかない。

誇りを失った豚は、喰われるしかない。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章17節)

『絵本 地獄』と対を成す『絵本 極楽』です。

 

罰当たりな事この上もないですが、読み物で

 

あったり、『教育』という意味では地獄のほうが

 

よいかと考えております。やっぱりあの

 

『パンチの効いた』

 

絵がないと…。

 

 

 

 

『絵本 地獄』と対を成す『絵本 極楽』です。

 

ここでは仏教的な世界観で言うところの極楽浄土が

 

描かれます。

 

読み物としては『地獄』のような「パンチのある」絵や

 

鬼たちに責め抜かれて阿鼻叫喚の声を上げる

 

人間の描写は一切出てこず、(当たり前といえば

 

当たり前か)ただひたすら穏やかな絵と美しい歌を

 

歌う鳥や空を舞う楽器。

 

はたまた踊りを踊ったりする御仏の絵が描き

 

出されております。

罰当たりこの上もないことをいいますが、読み物として

 

圧倒的に面白いのは『絵本 地獄』のほうでしょう。

 

トラウマとなるリスクはありますが、情操教育の

 

テキストとしても『絵本 地獄』のほうが上でしょう。

 

ただ、地獄と極楽は一対の存在だと解釈しており、

 

極楽の王であらせられるアミターユス・アミターバ王の

 

おっしゃられるところの

「わたしが君をまもっているから、なにがあっても

 

だいじょうぶだ。どんなふうでもいいから、どこまでも

 

生きていくんだよ」



「極楽は、きみの心のなかにあらわれる。きみの心が

 

極楽の景色になるんだ。」

というお言葉は今の自分にズシーンと響くものが

 

ありました。やはり、どこにいても心の持ちようであると。

 

死後の世界がもし存在するとして、できることなら

 

地獄で鬼たちの責め苦に遭うこともなく、極楽浄土へ

 

行きたいなと思ってしまうのは、本当に浅ましい

 

ことだとは思いながらもそう願わずにはいられない。

 

神々しい絵図の世界を目にしながら、俗物の自分は

 

そんなことを思うのでした。

 

 

 

 

 

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