どうで死ぬ身の一踊り (新潮文庫) | 誇りを失った豚は、喰われるしかない。

誇りを失った豚は、喰われるしかない。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章17節)

本書は作家、西村賢太氏の第一作集です。

 

同人誌時代の処女作「墓前生活」、商業誌

 

初登場作の「一夜」を併録した物となっており、

 

西村文学の原点を思わせました。

 

それにしても1年もよく持ったものだと思います。

 

 

 

 

 

 

本書は表題作のほかに、同人誌時代の処女作

 

「墓前生活」に加えて、商業誌初登場作の「一夜」を

 

併録した、 西村賢太氏の第一創作集です。

 

やはり、処女作には 作家のすべてが含まれるというのは

 

本当のことらしく、西村賢太文学の要素がほぼ完全に

 

詰まっていると思っております。

 

梅毒の末期症状で脳をやられ、芝公園で凍死する

 

という悲劇の最期を遂げた作家、藤澤清造に魅了された

 

『私』(=のちの北町貫太)は藤澤清造の出生地である

 

能登七尾を頻繁に訪ね、彼の菩提を弔う寺から、位牌と

 

木の墓標を受け取る様子が『墓前生活』に描かれ、

 

果ては彼の隣に自分の墓まで作ってしまうという一種の

 

狂気が伺えます。

 

そこには歿後弟子を自認し、彼の全集を個人編集で出版

 

しようという強烈なまでの『思い』から来るのでしょうか?

 

しかし、表題作の中には彼のもうひとつの側面。

 

同居している女性に暴力をふるい、罵声を浴びせ、

 

さらには彼女を通して全集のためだからと300万円もの

 

金を引っ張るという、まさに

 

『藤澤清造のためなら何でもまかり通る』

 

かのような暴君振りが延々と描かれます。

 

女(=後の秋恵と思われる)はそれでもけなげに

 

文章の校正を手伝ったり、家計を支えるために

 

レジうちのパートに出かけ、かいがいしく彼のために

 

世話を焼く姿がどうもいじましくて…。

 

しかし、『私』はカツカレーを食べる様子を「ブタみたい」と

 

軽口を言われるようなそれこそ些細な理由で烈火の

 

ごとく怒り、彼女を罵倒し、打ち据え、挙句の果ては骨まで

 

折るような暴行を彼女に加えてしまいます。

 

彼女が愛想をつかして出て行くと一転、戻ってきて

 

ほしいと哀願する姿は典型的な『ダメ男』のそれで、

 

僕はその姿に大笑いしつつも、自分の中にもそういう

 

部分が少なからず存在するからこそ、彼の小説に

 

共鳴するのではないかと、そんなことを思ってしまいました。

 

巻末にはこの小説について久世光彦氏の書評が収録

 

されているのですが、それも非常に面白く、本編を読んだ

 

後に読むと『そうだよなぁ』と納得がいくのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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