米百俵は小泉純一郎元首相の所信表明でも取り上げられたことでご存知の方もおられるかもしれません。
贈られたお米百俵は峰山藩から贈られたものでおむすびマンの住む旧巻町になります。
1俵60kgで100俵で6000kg
1俵は大体大人一人が年間食べる量です。
そうすると100人分賄えることになります..
これを食べずに学校の設立にあて将来への礎にしたという話
目先のことよりも長い目で見た将来のことを考える
学校建設に関してもめている今
改めて考えなおしたいことです。
そもそも、何のために建てるのか?
が抜けているような気がしますが…
以下長岡市のホームページより
「米百俵の群像」は、山本有三の戯曲「米百俵」を歌舞伎座で上演した時の一場面を、ブロンズの像で再現したものです。
原型を制作したのは長岡市美術協会(米百俵群像制作委員)の6名で、群像は全部で12体あり、立像は高さ2メートル余り、重さは平均1トンもあります。背景には刀をイメージした石柱が立てられています。
-米百俵と小林虎三郎-
慶応4年(1868)5月に新政府軍との戦いは長岡の敗北で終結しました。
まちは焦土と化し、禄高は三分の二に減らされ、人々は極貧の生活を強いられていました。
こうした貧困と混乱の中、敗戦の翌年、明治2年(1869)5月に、小林虎三郎らによって、焼け残った四郎丸の昌福寺本堂を借りて国漢学校が開校されました。
翌3年春、長岡の窮状を見かねた分家の三根山藩から米百俵が届きました。ところが小林虎三郎は、「早く米を分けろ!」といきり立つ藩士たちに向かって「この米を、一日か二日で食いつぶして何が残る。国がおこるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て人物を養成するのだ」と論じました。
こうして米百俵は国漢学校の建設の資金に充てられ、明治3年6月15日坂之上町(現大手通2丁目)に開校し、長岡の近代教育の土台が築かれました。
---長岡市ウエブサイトより------
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