「私なんて、誰も必要としない」
「居ても居なくてもいい存在」
「迷惑もかからないけど、愛されもしない私」
次から次へと浮かぶ、心の叫び。
どれくらい長い間、叫び続けてきたんだろう。
親にとって、手間のかからない“良い子”であり続けた。
親にとって、都合のいい“自慢の子”で生きてきた。
それは、愛されたかったから。
私の存在価値を認めてほしかったから。
生きていていいんだよ、
ここにいていいんだよ、と言ってほしかった。
でも、“良い子”は自分ひとりで何でもできると勘違いされる。
本当は、初めての事だらけで、助けてほしかった。
「だいじょうぶだよ、うまくいくよ」って励ましてほしかった。
親に甘えられない私。
どうやって甘えていいかわからない私。
本当に生まれてきて良かったのか、確信がもてない私。
心ではずっと、求め続けているのに、
幸せをよそおい、充実に見せかけ、
なにもかもうまくいっているように振舞っていた。
でも、心はごまかせない。
「幸せだと思われる」ことを求めているのではなく、
本当は、「幸せ」そのものを求めているのだから。
「存在価値があるように思われる」ことがほしかったんじゃなく、
「存在価値がある」という自己肯定感がほしかったんだから。
心は、すなおに悲鳴をあげた。
「もっと自分を愛してよ」
「もっと自分を大切にしてよ」って。
やっとわかった。
自分で自分を押さえつけて、
自分で自分にムチを打って、
自分で自分を傷つけ苦しめていたこと。
私のことは、私にしか守れない。
私の生きる意味は、私にしか見つけられない。
自分の存在価値は、自分で得るしかないんだ。
私は今、自分と向き合おうとしている。
自分を、全身で受け入れようとしている。
いま、すばらしい種をまいている。
だから必ず、きれいな花が咲くよね。