「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」というキャッチコピーが先行し、マーケティングは成功したものの、その後の日本映画の衰退を象徴する、分水嶺ともいえる記念碑的作品。
有名ファッションデザイナーの八代恭子(岡田茉莉子)がファッションショーを開催しているホテルで、黒人とのハーフであるジョニー・ヘイワード(ジョー・山中)が、エレベーターの中で血を流して死亡する。
同じ夜、恭子の息子・郡恭平(岩城滉一)が、新見隆(夏八木勲)との浮気の帰りだったなおみ(范文雀)を車ではね、事故現場から逃げてしまう。
なおみの夫・小山田武夫(長門裕之)と新見は、協力してひき逃げ犯を追う。
麹町警察署の刑事・棟居(松田優作)は、同僚の横渡(ハナ肇)と捜査を始めるが、これといった手がかりはない。
そんな時、新見が横渡のもとを訪れ、オルゴール付きの時計は日本に4つしかなく、その一つを恭平が持っていると伝える。
棟居は、恭子が逃がした恭平を追ってニューヨークへ飛ぶ。
この映画を観ると、日本の映画産業が行き詰まっていった理由が見えてくる気がする。
確か「読んでから観るか、観てから読むか」みたいな、大々的なキャンペーンで無理やり盛り上げてたのを覚えてる。
この手法は今も健在で、素人をいきなり主演に据えて、ありもしない逸話を作り上げてメディアは勿論、今じゃSNSが盛り上げる。
「SNS牧場」という話も出てきて、Yahooニュースの作品に関するコメント欄は同じコメントの百花繚乱。
だから脚本に穴があろうが、撮影技術がなかろうが、素人の役者であろうが売れて金にはなる。
だから映画産業が斜陽化する中、角川映画が華々しく登場したものの、その勢いは長続きせず、やがてテレビ局が主導する製作委員会方式へと移っていく。
私には、本作がその転換期を象徴する作品に見える。
何より、脚本が穴だらけどころか支離滅裂にも関わらず、それを埋める演技力がないので、とても観てられない。
当時はメディアがこれでもかと取り上げ、大きな話題になったが、実際に観た人たちからは厳しい感想が多かったし、私も「え?」やった。
戦後の闇市で、米兵に襲われそうになった恭子を、棟居の父親が助けようとして殺されるという因縁があり、しかもアメリカでコンビを組んだのが父親を殺したそのヤンキー。
さらに同じ日に、恭子の息子の一人は死に、もう一人は人をはねて逃げる。
これだけの因縁と事件を詰め込んでいるのに、物語がうまくつながっていかず、挙句の果てに刑事の目の前で犯人が自殺するという、あってはならないお粗末な結末。
なんと言っても、出だしは悪くないのに始まって早々、ワイドショーでは殺人事件の被害者が、なぜか呼び捨てにされる。
しかもアナウンサーの露木茂が遺留品まで持っているという、不思議な展開。
これはもはや伝説で、「あの場面が頭に残って、その先の物語に集中できなかった」という話は語り草になっていた。
新見は新見で、警察顔負けの情報を自ら警察に持ち込むという、これまたあり得ない展開。
御大の大滝秀治。
三船敏郎、鶴田浩二、岡田茉莉子や夏八木勲、峰岸徹、地井武男の名優ずらりなのにもったいない。
松田優作と岩城滉一の在日コンビはオーバーワークやし。
テレビの普及によってジリ貧に陥った日本の映画産業が、「脚本とドラマ性」「役者は演技」を軽視し、タイアップや見た目の派手さ、マーケティングばかりを優先するようになった。
その問題点が凝縮された、映画史の生々しい敗戦記録のような作品かな。
その後、テレビ局が主導する製作委員会方式が広がり、まだ演技をしたこともない若手をいきなり「名優」ともてはやして主演に抜擢する。
所属事務所は、その知名度を利用してCMで稼ぐ。
そんな売り出し方が定着し、今に通じる日本映画界のルーチンワークを形つくった作品だと思う。
