民衆が資本家に立ち向かい、自分たちの理想国家を目指して立ち上がる寓話のような民衆歌劇。
これは本当に面白い、ラストは微笑ましい。
トト(フランチェスコ・ゴリザーノ)は、キャベツ畑でロロッタ(エマ・グラマティカ)に拾われ可愛がられるが、ロロッタの死により養護施設に入る。
青年となったトトは、養護施設を出て仕事を探すが見つからない。
夜になりトトは、広場でラピツィ(パオロ・ストッパ)に鞄を盗まれてしまうが、トトは彼を責めるどころか、そのまま鞄を持たせてやる。
代わりに彼が住むスラムへ案内され、一晩泊めてもらうことになる。
そこはモッビ(グリエルモ・バルナーボ)の所有地で、バラック小屋で人々が暮らしていたが、嵐による強風で”家”が壊れたことから、仲間と共にバラックを建て直し、長屋のような住まいにして、貧しい人々と共同生活をはじめる。
ある日、スラムの敷地から石油が湧き出たことから、土地を買い取ったモッビは全員に立ち退きを迫り、警察を動員してスラムの強制撤去を始める。
そんな時、天国から逃亡してきたロロッタがトトに一羽の鳩を渡し、天使に追われながら天国へ戻っていく。
「天使の鳩」を手に入れたトトは、まるで魔法使いのように、住民たちの願いを叶え、再び押し寄せた警察も不思議な力で退けていく。
戦後のイタリアには、共産主義や社会主義への期待や、憧れのようなものがあったのだと思う。
だからこの映画の主人公は貧しい人民になっていて、映画の作りからもバックで民衆歌のような音楽が流れる。
流れる音楽が思想色の強い物語を寓話のように見せていて、これが観る側の心のガードを下げてるように思う。
その音楽がいかにも共産国家という感じで、スラブ系の民謡をソ連のエッセンスで編曲したような感じがする。この哀愁が漂う素朴なメロディーが、あの時代の人々が思い描いた理想社会のイメージだったのかもしれない。
物語の中心は資本家に立ち向かい、人民の理想国家を作ろうというプロパガンダ的な側面もあるが、そこをファンタジーにしてぼかしてると思う。
だから思想的なことを気せずに観ることができた。
「天使の鳩」も、結局はロロッタを追ってきた天使に持ち去られて、トトの魔法も消えるが、最後は団結してほうきに乗って空の彼方に飛んでいく。
この描写がとても滑稽で、背後に流れる民衆歌と相まって希望に満ちて見えるから不思議。
劇中でも出てきた民衆歌の歌詞を書いておく。
暮らして眠るには
小屋がひとつあればいい
暮らして死ぬには
少しの土地があればいい
一足の靴と靴下
わずかなパンがあれば
明日を信じて生きていく
明日を信じて生きていく
この歌を背に、民衆はほうきに乗って「一路、幸せの国を目指して!」で終わる。
魔女といえば、やはりほうき。
このシーンは後のスティーブン・スピルバーグにも影響を与えたと言われている。
この時代は、資本主義よりも共産主義に理想を求める人が少なくなかった。
だから、このラストは単なるファンタジーではなく、当時の人々が夢見た「理想郷」そのものだったのだと思う。
