1966年製作。
「これぞハリウッド!」という超大作で、現代のCGでは決して再現できない、本物の人間と動物の圧倒的エネルギーで描いた“動く巨大な聖書画集”。
物語は「ノアの方舟」「バベルの塔」、そして最後の超大作エピソードである「アブラハムの物語」へと進んでいく。
主なキャスト
- アダム(マイケル・パークス)
- イブ(ウラ・ベルグリッド)
- カイン(リチャード・ハリス)
- アブラハム(ジョージ・C・スコット)
- ノア(ジョン・ヒューストン)
- 使者(三人の天使)(ピーター・オトゥール)
- ニムロデ(スティーヴン・ボイド)
- サラ(エヴァ・ガードナー)
- アベル(フランコ・ネロ)
これも幼い頃にテレビで観た映画。
覚えているのは、アダムとイブ、それとノアの方舟くらい。
当然、宗教的なことなんてまったく分からなかった。
映画は二部形式・全四話構成になっていて、冒頭から記録映画のような映像と男性ナレーションで始まる。
映画館で観るというより、公民館や小学校の運動場で上映される学習映画みたいな雰囲気で、それでも面白いので、改めて整理してみた。
「地のちり」から「ちり(地)」ではじまる創造
神さんが土のちりで人を作り、命を与えたことで人間は生き物になり、アダムと名付けた。
これが人の始まりで、動物たちもあてがった。
しかし一人でいるのは寂しかろうと、神さんは女を作りイブとなずけ、遣わす。
これが人類の始まり。
人の姿は神さんの姿を模して作られ、人間にエデンの園に住まわせ、自分で選ぶ力、自由な意志を与えた。
しかし、園にいた悪魔(ヘビ)にそそのかされて、「禁断の果実を食べてはいけない」という唯一の言いつけを破って実を食べてしまう。
これによって二人は自我に目覚めるが、神さんの怒りを買い、楽園を追い出される。
その後、二人の間にカイン(所有)とアベル(命)の兄弟が生まれ、成長したカインは農耕者に、弟のアベルは羊飼いになった。
二人は喧嘩をして、嫉妬からカインがアベルを殺害してしまい、アベルは“ちり”へと帰ることになる。
これが神さんの怒りを買い、カインには「七倍の罰」として額に印が刻まれる。
その後、カインは妻をめとり子を授かるが、その子孫たちは人間の本能のままに生きるようになり、神さんは人間に命を与えたことを後悔する。
神さんがアベルに代わりに授けた子はセツといい、その子孫として生まれたノアは神さんの寵愛を受ける。
神さんはノアに、「世界をリセットするので方舟を作れ。そうすれば家族を助ける」と告げる。
こうしてノアの家族は、周囲から罵倒されながらも、巨大な方舟を作ることになる。
ノアの方舟で人類2.0へ
神さんは40日間雨を降らし、これまで作った創造物を消し去ると告げる。
つまり世界をリセットし、創造物を“リブート”する。
そのためノアに、
「妻と3人の子ども家族を乗せろ」
「すべての生き物から1ペア(つがい)ずつ乗せろ」
と命じる。
神さんはノアの家族の正しい血筋だけを救うと決めたので、他の悪に染まった人々には「乗る」という選択肢を与えず、置いていってしまう。
そして、この動物っちが乗り込むシーンはから覚えてる。
CGなし、本物で世界中から本物の動物を何百頭も集めて撮影された。
そして、いよいよ40日連続の雨が降りはじめ、世界がリセットされる。
外から、かつて船作りをバカにしていた人たちの叫びが聞こえる。
ノアの家族は洪水で沈むまちなみ(と言っていいのか?)を見ながら何を思ったんやろう。
このあたりの特撮は見事で、今でも十分通用すると思う。
それと、動物たちの“天敵同士の共同生活”。
肉食獣が草食獣を襲ったらエライことなるんで、スタッフは大変。
そう考えると感心するし、同時にちょっと笑えてくる。
なんせ、木枠で囲われた虎やライオン、飛び交う鳥、キリン、そして何故かシロクマまでいる。
今で言うとリアル「ダーウィンが来た!」で、常識的に考えて、子ども心でも「こんなん無理やん」と思ってたのは覚えてる。
しかも、それだけの大型動物が乗る船を、人間が手作りしてるんやからなおさら。
やがて長かった方舟生活も終わりを迎え、ノアたちはカラスや鳩を放って外の様子を探る。
すると、一羽の鳩がオリーブの葉をくわえて戻ってきた。
その後、方舟はアララテの山に”座礁”し、いよいよリセットされた新しい世界へ降り立つ。
新しい世界になったのに「バベルの塔」を作る愚かさ
洪水の後、ノアの息子たちにも子どもが生まれたことでその子孫、ゴメル、エムラ、カナン、クシらは新たな記憶で歴史を刻んでいく。
王となったクシの子ニムロデは、自らの権力を誇示するため、天にも届く巨大な塔を建てはじめる。
いわゆる「バベルの塔」で、私ら世代で言う『バビル二世』の元ネタになった話。
実はこの塔、実際にイタリアの広大な敷地に、本物の建材を使って本当に巨大なオープンセットを建設し、さらに、数千人のエキストラを実際に登らせて撮影してる。
当時のハリウッドのお金の掛け方と、力技の執念が詰まったシーンとして語り草になってる。
“自分こそ唯一無二の支配者”だと言わんばかりのニムロデの傲慢さを見た神さんは、”民は平等で人類みな兄妹やろ!”と怒りをあらわにする。
その神さんに対してニムロデは弓を放なった事で怒りをかい、塔は崩壊する。
恐れおののき逃げ惑う民にニムロデは塔の再建を命じるが、神さんは言葉を乱した地として、ここをバベルと呼び、人々は散り散りばらばらになる。
ニムロデは民衆が何を言ってるのか理解できない、神さんは人々の言葉をバラバラにしてしまう。
これまで人類は「1つの同じ言葉」を話していたが、怒った神さんが言葉をバラバラにしたことで、ニムロデがいくら「再建しろ!」と叫んでも、民衆は「何語」を話してるのか分からず、通じなくなってしまった。
これが世界にたくさんの言語が生まれたキッカケという、聖書の有名なエピソード。
ニムロデのあのメイクと表情、モノマネ芸人コロッケがやった淡谷のり子みたいで、真面目に観ることができなかった。
そして神さんは、アブラム(後のアブラハム)の誕生までさらに10代待つことになる。
ここから物語はガラリと変わり、いよいよ最後の「アブラハムの物語」へと進んでいく。
ここから先は、神話というより濃密な人間ドラマになっていく。
アブラハム、その家系の物語
神さんはアブラハムに、「父の国を離れ、自分の国を作れ」と命じる。
アブラハムは言葉に従い、弟の息子ロトと、妻サライと共に放浪の旅へ出る。
そしてたどり着いたのが「カナンの地」。
この“カナン”こそ、現在のパレスチナ・イスラエル周辺であり、後の中東問題の根源へと繋がっていく。
そう言えば、加山雄三と谷村新司による『サライ』という曲があったな。
妻サライの名前はヘブライ語で「私の王女」という意味で、後に神からサラ(諸国民の母・女主人)という名を与えられる。
ちなみに作詞した谷村新司さんによると「サライ」は、ペルシャ語で「家」や「砂漠のオアシス」を意味しているらしい。
番組テーマが「ふるさと」だったことから、“心の帰る場所”という意味を込めて『サライ』と名付けたらしい。
無理やりこじつけるなら、サライを連れたアブラハムたちの放浪の旅の末に、心のふるさと(サライ)を求めるた、という構図になるかも。
平穏に暮らしていたアブラハムたちだったが、ロトの牧者との間に争いが起こる。
そこで共に暮らしていた土地を分け、ロトはヨルダンの平原へ移ることになる。
「ソドムとゴモラの壁は白いが、中は人の悪で黒い」と言われ、アブラハムはさらに別の土地を求めて放浪を続ける。
しかし、これが後の大きな伏線になる。
アブラハムは新たな地で根を下ろすが、妻サライには子どもができない。
すると神さんは、「お前にイサクを授ける」と告げるが、後に神さんに試される理由になる。
これは神さんがアブラハムへ与えた”試練”なのかも。
結局、イサクは授かるが、これはサライの侍女ハガルとの子ども。
サライが手引きをしたが、夫婦の実子ではない。
臨月が迫るとハガルは主人であったサライを見下すようになる。
言ってみればサライは王女のような立ち位置、それをハガルは脅かす存在になった。
ここで神さんは、「血筋」や「貞操観念」、そして“契約”を問うているようにも見える。
そして、この“イサクの出自問題”こそが、後の悲劇や対立の根源になっていく。
しかし実際には、ハガルの子イシマエルは後継者になれない。
その後、ヨルダンの地に四人の王が現れ、戦いと略奪が始まる。
ロトが捕虜になったことで、アブラハムも戦いへ参戦し、夜襲を仕掛ける。
戦いに勝利したアブラハムは、神さんからソドムとゴモラの事で判断を迫られ、様子を見に行くが、二つの街は滅ぼされる。
そして約束通り、記録的な高齢出産でサラ(サライ)がイサクを生む。
イサク誕生の祝宴の席で、ハガルの子イシマエルが騒ぎを起こしたことで、サラは二人を追放するようアブラハムへ願い出る。
家庭内に嫉妬と分断が生まれたことで、ハガルはイシマエルと共に荒野をさまようことになる。
しかし二人は、神さんによって救われる。
アブラハムはイサクを次の跡取りができたと考えていたが、神さんの「私に捧げなさい」という指示により、直系としての血筋は絶たつことを覚悟する。
すべては神さんとの契約の上で成り立ってる、だから約束は守らないといけない。
しかし、神さんとも契約を守ってきたノアの直系が、何故この様な運命を辿るのかがよう分からん。
イサクが「神さんは絶対なん?」と聞くとアブラハムは「そうだと」と答える。
結局、神さんはアブラハムに「自分の執着」と「神様との約束」を天秤にかけて、それでも『自由な意志』を貫けるたを試したと思う。
神とアブラハムの4000年前の契約
全編を通して、しきりに「地」という言葉が出てくる。
これは単なる“土地”ではなく、「民」や「命の循環」そのものを意味してるんやろうね。
神さんは人間(アダム)を「地のちり」から造り、命を吹き込んだ。
そしてカインがアベルを殺した時、アベルは再び「ちり(地)」へ帰っていく。
人間にはじまり、人間によって終わっていくドラマと言ったところかな。
クラシック音楽やオペラには、この旧約聖書をベースにした作品も多いので、断片的に思い浮かぶ場面も結構あった。
それと、トランプ大統領の支持層として知られるアメリカの福音派や、現在のイスラエル問題を考える上でも、その背景にある宗教観くらいは知っておいた方が、多少なりとも理解の助けになるのかもと観始めた。
いわゆる「アブラハム契約」は、現在のイスラエル建国思想の根幹のひとつになっている。
ざっくり言えば、「4000年前に神がアブラハム(自分たちの祖先)へ、“この地を与える”と約束した。だから、この土地は神との契約によって与えられた正当な土地である」という考え方。
つまり聖書そのものを、“土地の権利書”のように捉える発想になる。
さらに、「イスラエルを祝福する者は祝福される」という創世記の記述を根拠に、イスラエル国家を絶対的に支持する宗教観も存在する。
だから、トランプ政権がエルサレムをイスラエルの首都として承認した時、多くの福音派が熱狂的に支持した。
ユダヤ人(イスラエル)は、「神がアブラハムに“この地(カナン)を与える”と約束した」という聖書の記述を、国家や民族の根拠として重視してる。
そしてアメリカの福音派の一部は、「ユダヤ人がエルサレムに神殿を再建した時、キリストが再臨する」と本気で信じてる。
つまり、現代政治の裏側に、4000年前の“神との契約”が今なお亡霊のように生きてるということ。
そう考えると、なかなか凄い話になるんだが、これを難しい言葉で「屁理屈」というんやけどね。


