旧約聖書の「出エジプト記」をもとにした、『十戒』三度目の映画化作品。
「奴隷に男が生まれたら殺す」といい、生まれたばかりの赤ちゃんをナイル川に投げるがかごに入れて逃がす。
この子を川で拾った王ファラオ(クリストファー・リー)の娘、プティラ(アンナ・ガリエナ)の養子となり、モーゼ(ベン・キングズレー)はエジプト人として育てられるが、これが後にエジプト人と誤解をまねく。
王家の一員だと思っていたモーゼは、自分がヘブル人だと知り、目の前でエジプト兵がヘブル人の奴隷を痛めつけているのを見て、たまらずエジプト兵を殺したことから、エジプトを離れる決心をして出ていく。
流浪の末、たまたま水をもらいに立ち寄った集落の世話になり、モーゼは牛飼いに出た先で、神エブラハムから「エジプトへ戻り、イスラエル(ヘブル人)の民を救い出せ」という啓示を受ける。
しかし、戻れば命の保証はない。
ここからモーゼは、“エジプト人としての地位”や“誤解された自分”を捨て、奴隷として虐げられるヘブル人たちの指導者へと覚醒していく。
神と対話したモーゼは、神の力が宿った杖を手に、兄アロン(デヴィッド・スーシェ)と共に民を導くことになる。
エジプトに戻ったモーゼを迎えるシーンで、姉ミリヤムが「弟」というが、捨てられた時の姉で、ストーリー的には分かるが、このつながりがよう分からん。
また、神の使いだと証明するシーンでも「魔術だ!」と言われたが、演出が手品そのもので、イマイチ説得力に欠ける描写がもったいない。
繰り返されるモーゼによる天変地異にファラオが「エジプトの神はなにしとんねん!」には笑ってしまったが、ストーリーが完結でいい。
逆に言えば、そこが深みに欠ける部分にもなってる。
結局、蜂にボロボロにされたファラオは出ていくことを許すが、出ていくのは人間だけにしろと言い、これが伝説の見せ場の伏線となる。
けど、しょぼい。
初見かと思ってたけど、このシーンは覚えてたので観てたのね。
全体的に豪華絢爛というより、聖書の記述(事実)を淡々と積み上げ、モーゼの人間ドラマのような仕上がりになってる。
しかし、ユル・ブリンナーの眼力は強烈で、1956年版と比べると俳優の存在感が違う。
1956年版は、俳優陣の「圧倒的なスター性」と「神話的な存在感」で観客をねじ伏せる力強さと迫力があった。
あっちの「画面から飛び出してきそうな強烈なオーラや怪物感」に対して、本作は「悩み、迷う等身大の人間」をメインに据えている。
そして、再度ではあるが「汝、殺すなかれ」「汝、姦淫するなかれ」「汝、盗むなかれ」などの10の戒め。
十戒どこいったん?ってのが今の現実で、今のイスラエルにそのまま当てはまるので、誰か言い聞かせることはできないのか、と思ってしまう。

