敵か味方かという二極化が理性を超えていく集団の中で、個人が信念を貫けるのかを描いた実話ベースの物語。
第二次世界大戦末期。
ドイツの占領下にあったデンマークには、ソ連軍がドイツ本国へ侵攻したため、戦火を逃れたドイツ人の難民が押し寄せていて、ヤコブ(ピルウ・アスベック)が学長を務める市⺠⼤学も無理やり受け入れることになる。
200人の予定が実際に来たのが523人だが、条約を盾に強制的に受け入れることになる。
ヤコブの妻リス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は難民の中に子どもがいたことからビルク(モルテン・ヒー・アンデルセン)らを招き食べ物を分け与えるが、ヤコブと息子のセアン(ラッセ・ピーター・ラーセン)は反対する。
そんなある日、難民を収容していた体育館で感染病が蔓延したことから、ヤコブは大学を休学して教室を病室として使うことを決断する。
しかし、この決定が地域住民の激しい反感を招くことになる。
さらにセアンも、仲間からいじめを受け、木に縛りつけられていたところをビルクに助けられる。
やがてドイツが降伏すると、それまで抑え込まれていた怒りや不満が一気に爆発する。
レジスタンスを中心に、ドイツ人やその協力者への摘発が始まり、ヤコブ一家も巻き込まれていく。
ドイツ人=ナチスの時代、条約で決まってるとは言え、ドイツの難民を押し付けられるが、デンマーク側には拒否権はない。
当然、国民感情的には難民を助けることは「敵を助けること(売国奴)」とみなされる。
一方で、目の前で飢えや病に苦しむ人々、特に子供を見捨てるのかという、人道的な選択を迫られることになる。
「人道的な信念」を頭では分かっていても、理性で行動できるかということ。
しかしヤコブは、何故ドイツ人を助けるのかの問に対して、「ドイツ人を助けることが自分たちが助かる道だ」と助けることを決断する。
息子のセアンもビルクに助けられたことで行動する。
しかし結果は、自分たちがすべてを失うことになる。
正義や人道という言葉が、現実の憎しみや犠牲と衝突したときにどうなるかということなんだが、言葉では簡単で、行動を起こす難しさを描いてる。
難民の受け入れ協議をする時にドイツ人将校が「ドイツ語で話せ!」と怒鳴るシーンがあるが、この作品を見ていてドイツと日本という単語を入れ替えると、歴史の解像度が一気に上がる。
ドイツとは三国同盟のお友だちやったしね。
これって、中国の人が逃げていった日本人の孤児を育ててくれたという話と真逆の話になるよね。
中国の養父母は侵略してきた日本軍(敵)の子供を、個人の慈愛で育て上げたことで、「国家の憎しみ」を「個人の愛」が超え、人道が勝利した。
ヤコブは敵であるドイツ人の子供を救おうとしたが、その結果、彼は同胞から「裏切り者」として全てを奪われ、人道の代償を払った。
どちらも「敵の子供をどう扱うか」という究極の問いに対する答えが真逆になってるが、これを今の日本がその立場になったら間違いなくデンマークになると思う。
それは日本も中国残留孤児を育てた人々に救われた一方で、関東大震災時の虐殺のような加害の歴史も持ってるので。
そう考えると、とても他人事ではない話になってくる。
観た後に調べたけど、デンマーク語の原題を直訳すると「解放が来るとき」になるらしいが、国民にとって解放は”喜びの始まり”だったが、ヤコブ一家にとっては”地獄の始まり”でもあったという、凄いタイトルに驚いた。
だからこそ余計に、ヤコブの選択が正しかったのか、愚かだったのかが分からん。
