市井の人々の怒りと戦いの物語。
1987年にブラジル・ゴイアニアで実際に起きた、セシウム137による放射線被ばく事故をモチーフにした作品。
Netflixオリジナルミニシリーズで、全5話と短いのでサクッと観れた。
カルロスとルシオは、3年前に閉鎖され廃墟となった放射線治療研究所に放置されていた装置の一部を持ち出し、解体する。
その中から見つけた筒状の容器を、廃品回収業者を営むエべニルド(ブッカサ・カベンジェレ)のもとへ持ち込む。
エべニルドはこの容器を買い取り、分解して青白く光る粉末を取り出してしまう。
その日以降、体調不良を訴えたエべニルドの妻アントニア(アナ・コスタ)は、この容器を保健衛生局に持ち込み、「人を病気にしている」と訴える。
その後、街の診療所ではカルロスやルシオ、アントニアの症状から、医師のリカルドが放射線被ばくを疑う。
そこで、知人である原子核物理学者マルシオ(ジョニー・マッサーロ)に調査を依頼する。
保健衛生局の局長ジャニオとマルシオはエべニルドの廃品置き場を調査し、放射線被ばくの事実が明らかになる。
報告を受けた保健長官エメルソン・ソウザは事態の深刻さを理解できないまま、ブラジル原子力委員会のオレンシュタイン博士(パウロ・ゴルグーリョ)に連絡する。
オレンシュタイン博士はマルシオとのやり取りから、記録に存在しない放射線照射装置が放置されていたこと、そして粉の正体がチェルノブイリと同じセシウム137であることが判明する。
マルシオは知事(トゥカ・アンドラーダ)に対し、高感度のシンチロメーターが振り切れるほどの異常な数値を示していること、しかし正確な線量は把握できないことを説明する。
こうして被ばく者への対応が決まり、マルシオとソウザはエべニルドの隔離へと向かう。
オレンシュタイン博士ら専門家と、派遣された医師エドアルド(アントニオ・サボイア)とヴィトール(ルイス・ベルタッゾ)らの医療チームと政治家、そして市井の人々らが、それぞれの立場で放射線被ばくに立ち向かう。
放射線治療に使われていた機材が廃墟に放置され、それを発見した人々がスクラップとして持ち去り、解体したことで被ばくする。
その後、放射性物質の行方は分からなくなり、死者も出る事態へと発展する。
やがて多くの市民が検査対象となる大規模な災害へと拡大していく。
一義的な責任は、当然ながら装置を放置した側にある。
そして、これを現地立会などで撤去の目視確認をしていなかった、ブラジル原子力委員会の管理体制にも問題があった。
何も知らない人がいきなり被爆するわけで、最初にマルシオと対面した時のエべニルドが愚かで、小学生でもあるまいし、いくら無知でも流石におかしいと思った。
さらに上をいく息子の嫁カタリナの振る舞い、ハイムンドなんか「人間のクズ」のように描いてて、単純にパニックモノには欠かせないキャラクターに見え、どのように伏線をとして回収するのかと見続けた。
マルシオが知事に放射線被ばくを説明する場面が秀逸で、「セシウムの粉末は細かく、多くの放射線を放つ。
皮膚や服に付着したり吸い込んだりすると、その人は汚染され歩き回ることで線源となる。」という説明は、事態の深刻さを一瞬で理解させる。
しかし、のちの知事の振る舞いが理不尽で、ここに24時間体制で看護と治療に当たるエドアルドとヴィトールをよそ目にデモを主張する医療陣、貯蔵施設への持ち込みに反対する地域住民という現実が浮き彫りになる。
防護服もなく調べ歩くマルシオの姿など、本来は動くべき政治インフラが機能していない理不尽さ。
めずらしくメディアだけはまともに描かれてて、このテの作品にしては珍しい。
単純にエべニルド一家は災害に巻き込まれたという存在で、患者の治療に奔走する医師たち医療関係者は別軸の物語として描かれる。
彼らは無知で愚か者として描かれてるが、この存在が未知の恐怖に直面した人間の“いき場がない怒りのメタファー”のように思う。
はじめにマルシオと対面したエべニルドが愚かやな、と思ってたけど再現で納得できたから。
そもそもの発端は、「管理されるべき装置が放置されていたこと」であり、彼らに直接的な責任はないので。
過激なエべニルドやハイムンドの態度に共感はないが、怒りの源泉を理解すると納得してしまう。
辿ると、最終的には政府や管理体制の責任に行き着くから。
最後に「戦う」と言っていた家族の言葉も、エンドロールを観ると納得させられる。
