飯島さんついに立ち上がりましたね。
そもそもの問題の本質は、日本人の「テレビ=真実」と思い込んでるメディア信仰にあると思う。
テレビは嘘をつかない、映画も嘘をつかないという一種の病気みたいなもので、実際はどうだったかを自分では調べない国民性。
思うところがあるので、史実好きとして映画「Winny」から、NHKスペシャル「シミュレーション 昭和16年夏の敗戦」へのBPO申し立てを考えてみる。
映画「Winny」とWinny事件の背景
Winny(ウィニー)事件とは、元東京大学情報理工学系研究科助手・金子勇氏が開発したファイル共有ソフト「Winny」に絡む著作権法違反幇助の容疑で逮捕・起訴され、最終的に無罪となった刑事事件。
利用者だけでなく、アプリケーションソフトウェアの開発者自身が逮捕された異例の事態は、インターネットの自由や技術者の権利を巡る議論を呼び、社会的な注目を集めた。
映画「Winny」では、開発者・金子勇氏が著作権法違反幇助で逮捕され、警察の強引な捜査手法や当時の社会の反応を通じて、権力による不当な圧力とインターネット文化の衝突を描く。日本の天才がなぜ警察に追い詰められたのか、その背景に何があったのかを問う作品となっている。
2000年問題と当時のネット文化
私がインターネットをはじめとする、情報システムに関わったきっかけが、例の2000年問題。
そして一段落した頃に騒ぎになったので、この事件のことは今もはっきり覚えてる。
ことの真意は横に置いて言わせてもらうが、当時のネット民の感覚でこの映画の感想を言うと、ほぼ捏造。
映画「Winny」の美化とナイフのメタファー
映画のメタファーは「“ナイフを作った人”を罪に問えるか?」になっている。
Winnyについて、ナイフをつくっただけなのに、ナイフを使って人を殺した人の共犯になるのはおかしいという論法。
しかし、現実には金子さんは、P2P(ピア・ツー・ピア)ソフトが著作権違反のファイル共有に使われていることは知っていた。
その上で、これまでよりも身元が完全にばれないWinnyを開発したわけだから、殺人につかう刀を作って、ナイフだと言い張ってるように聞こえる。
そういう意味で、有罪だけど軽微な罰金刑にとどめた一審判決がむしろ温情的であり、バランスの取れた判決だった。
しかしこの判決が、勘違いした一部のエンジニアやネット民がつくった世論のムードに押された二審の無罪判決は、世論に影響された可能性がある。
WinnyとWinMX:足がつかないナイフの真実
これを時系列でいうと、
ナイフはもともとあった(WinMX)。
↓
それで殺人が頻発したため、アメリカでは違法と判断され逮捕者も出た。
↓
それに証拠が残らない機能を金子氏が付与した。
↓
それによって殺人が頻発したが、証拠がないから犯人を特定できない。
というのが現実に近い。
そもそもWinnyはWinMXをさらに一歩進める目的で作られたことすら知らない人たちが、金子氏を擁護していたというのが当時の事実。
WinnyとWinMXの違いで見ていくと、WinMXでは、誰が、いつ、どのようなファイルをやり取りしたのか記録が残るため、違法な行為をした人間を特定することができた。
これに対し、Winnyは中央サーバを介さず、Winnyによって形成されたネットワーク内のコンピュータ同士でやりとりができる、だから証拠が残らない。
前提として当時は違法コピーが当たり前、買うのではなくコピーして手に入れるのが自慢みたいな時代で、違法コピー攻略本も多数出ていた。
事件の争点、ナイフによる刺殺事件で、なぜナイフを作ったものが裁かれるのだと言っているが、違う。
Winny自体もオリジナルソフトではなく、WinMXの改良版なので。
ここを伏せて日本の天才と言ってるが、オリジナルを開発したのではない。
ナイフで殺人が起きたといってナイフを作った人を裁けるか。
いや、そのナイフで人を殺すのが分かっててナイフを作ったらどうなのか、ってのが Winnyの問題で、しかも足がつくナイフは元々あった、だから足がつかないナイフを作った。
この事件はそこを問われたわけで、金子さんはナイフが人殺しに使われることを知っていたという事件になる。
法の抜け穴と金子氏の人物像
法整備が間に合っていないことが原因とも言われていた。開発前から犯罪とわかっていれば開発しなかっただろうし。
だから一審は温情判決だということ。
言ってみればオタクが好奇心から開発した、悪気はなかったということ。
金子氏は技術的挑戦をしたかっただけかもしれないが、違法利用を予見できたはずで、映画の美化は行き過ぎ。
映画では”47氏(金子)は悪意がない技術的好奇心だけのオタク”という改変をしてるのが、仮に最大限擁護した人物像を作るにしても”47氏は独自の著作権感覚を実力行使で広めようとしたアナーキスト技術者”という事実からすると無理がある。
この論争の中で見落とされるのが、私も含め当時P2Pによるファイル共有は著作権どころか、単なる「交換文化」程度にしか思ってなかった。
だから社会問題化するとは微塵も思ってなくて、お金が浮くという喜びだけの単なるアングラ互助会の空気だけで使っていたということ。
だから悪意があったとかアナーキー精神だったというのは、割と後付け評価で何も考えてなかったが正解ではないかな。
弁護士が裁判戦略で悪意が無い人物像を作り上げることは仕事のやり方としては当然だろうけど。
WinnyというネーミングもWinMXに代わるものとして、アルファベット順に1つずらして「ny」としたのは上手いもんだと感心した記憶がある。
NHK「シミュレーション」と史実の描き方
さて(懐かしい響き)、何の記事かわからないくらいに横道にそれたので本題に戻す。
多くの人が「虎に翼」を見るまで、「総力戦研究所」の存在を知らなかったと思う。
その「総力戦研究所」にフォーカスしたのが、今回のNHKドラマ「シミュレーション」だ。史実を描く場合、表現においてフィクションと史実のバランスは、とても重要で難しい。
この点、史実を描いたら天下一品の韓国映画やドラマでも度々問題になり、裁判にもなっていると聞く。
この場合、世間一般に知らしめる公共の福祉が問題になり、作者が社会的使命を意識してるかも問題になるのではないかな。
共感が多かったら受け入れられるし、そうでなければ、その逆になるという話に。
軍事独裁政権の始まりと、その終焉を描いた「第五共和国」も登場人物の描写を巡り遺族や関係者から何度も訴訟が起きたが、歴史を広く知らせる意義が重視された。
だから韓国の制作者は社会を変える作品を作りたいと言う。
そもそも史実を描くと言って、事実をダラダラと描き綴っても面白くなければ誰も見ない。
そうなれば知られることもない。
だから「真実は?」と史実モノは見る方にも覚悟と責任が伴うのではないかな。
実際はどうだったかを調べるのも楽しみの一つだと思うので。
BPO申し立てと創作の余白
お孫さんがBPO申し立て、NHKドラマに遺族が抗議の件。
Winnyが金子氏を美化したように、シミュレーションは飯村氏を悪役化したことが発端だと思う。
放送を受け、飯村穣中将の直孫、飯村豊・元仏大使は次のように述べている。
「これはひどいなというのが私の印象。部下を圧迫する卑劣な軍人で祖父の人格を毀損するような描き方。祖父はアメリカとの戦争は避けるべきだという考えで、自由な議論を奨励していたと書物にも記されている」
ドラマは映画化の話があるというが「映画化は現状のままでは、やめていただきたい」としている。
BPOがどう判断するかだが、今回はテロップもオープニングテロップも入れているし、現実的にリリース直前での撮り直しは無理。
公共の知る権利に資するなら、BPO申し立ては和解すべきと考える。
そもそもこの筋立てにした石井裕也監督はなぜ黙ってるのか、疑問。
NHKは脚本に口出しできないし、しないだろうし。
保守を自認してるそうだが、飯村氏に違う目的がないことを祈りたい。個人的に思うのは、今回はお孫さんが騒いでるが、あっち系の人という噂も出回ってる。赤旗では自信を右翼ともいう記述も見られるし。これで騒いでたら映画『Winny』なんか完全に歴史改ざんの青年の主張になってると思う。


