『小さな池』から見える音楽と映画を結びつけるもの | 三匹の忠臣蔵

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映画「小さな池 1950年・ノグンリ虐殺事件」とは、朝鮮戦争当時発生した米軍による一般市民に対する無差別爆撃事件「老斤里(ノグンリ)事件」を題材にし、2000年にピューリッツァー賞探査報道部門を受賞した作品です。
ストーリーはとくになく、避難しろという命令に従った人々が、意味もわからず、ひたすら殺されていくだけの映画です。

 

 

同名のフォークソング『小さな池』

この映画のタイトル「小さな池」と同じフォークソングがあります。
キム・ミンギ作詞・作曲し、ヤン・ヒウンが1972年に発表した「작은 연못(小さな池)」で、歌詞は次のようになっています。

 

 

 

 

- 1番

深い山の小道のそばの小さな池には
今は汚れた水だけが溜まり、何も生きていないけれど
遠い昔、この池には美しい鯉が二匹いて
仲良く暮らしていたと伝えられている
深い山の小さな池に
ある晴れた夏の日、池の中で鯉が二匹が
互いに争い、一匹が水面に浮かび上がり
柔らかい身が腐っていき、水も一緒に腐り
池の中では何も生きられなくなってしまった
深い山の小道のそばの小さな池には
今は汚れた水だけが溜まり、何も生きていない

 

 

- 1番
深い山の小道のそばの小さな池には
今は汚れた水だけが溜まり、何も生きていないけれど
遠い昔、この池には美しい鯉が二匹いて
仲良く暮らしていたと伝えられている
深い山の小さな池に
ある晴れた夏の日、池の中で鯉が二匹が
互いに争い、一匹が水面に浮かび上がり
柔らかい身が腐っていき、水も一緒に腐り
池の中では何も生きられなくなってしまった
深い山の小道のそばの小さな池には
今は汚れた水だけが溜まり、何も生きていない

 

- 2番

青かった葉っぱが一枚、二枚と落ちて
池の上に小さな舟を浮かべては、深い底へ沈む
家を失った鹿が山の中をさまよい歩き
この池を見つけて水を飲み、そっと眠りにつく
太陽は西の山に沈み、夕暮れの山は静かで
山の中腹をてんとう虫がひらりと通り過ぎた後
黒い水だけが溜まったまま、無言のまま時を過ごし
黙って身をよじりながら幾多の季節を迎える
深い山の小道のそばの小さな池には
今は汚れた水だけが溜まり、何も生きていない
 

童謡のような明るさと、長調から短調へのメロディの変化が特徴的な曲でこの歌詞は一見、自然の美しさを歌っているようですが、実は悲劇的な物語を描いています。

 

禁止曲から抵抗歌謡のシンボルへ

この曲は1970年朴政権軍事政権下で「禁止曲」に指定されました。
しかし「禁止曲」に指定されたことで、若者の間で広まり、知名度が急激に上昇します。結果として、「常緑樹」「朝露」などとともに、民主化運動と結びついた「抵抗歌謡」の代表作として認知されることになりました。

この歌が注目された理由は、1番の途中にある、池の中で平和に暮らしていた鯉たちが、理由もわからず激しく争い、最後には共倒れしてしまうという、夢も希望もない悲惨な歌詞にあります。
政府がどの部分を問題視したのかについては諸説ありますが、作者のキム・ミンギも生前に明確に説明したことはなく、真相は不明のままらしいです。

代表的な解釈としては、「小さな池」が朝鮮民族を象徴し、2匹の鯉が南北朝鮮を表し、南が北を殺し水が腐って結局共倒れになるという、当時の極端な反共主義を批判したものとされていたり、また別の解釈では、鯉が朴正熙と金大中、あるいは朴正熙政権内の権力闘争を象徴しているとも言われています。

この曲の歌詞「理由もわからず殺されていく」は映画にも共通する、いや映画ではメインとなる訴えとして描かれていて、恐れにうち震える村民の表情はそのものです。

 

映画の描写と制作背景

戦争中とは思えないほど穏やかな光景の中、アメリカ軍が「直ちに避難せよ」と指示しにやってきます。しかし、その指示は何故か日本語なので村人はわかりません。
ただ指示に従い、村人たちは村の守り神である「大門岩」に一礼し、次々と村を出て行きます。

ごく平凡で日常的な農村風景と、凄まじい殺戮のコントラスト。
残っている交信記録にある米軍の指令「米軍の防御線を超える者は敵として射殺せよ。女性と子供は裁量に任せる」というフレーズがそのまま使われています。

音を立てると殺される、だから赤ちゃんを殺めるシーンは、何が起こったのかをスローモーションのように理解できてしまう衝撃的な描写になっています。
しかし死体を積み上げてバリケードにして、機銃掃射から身を隠したというエピソードだけは、映像化できなかったそうです。

制作は2002年から始まりましたが、典型的な「儲からない映画」という理由で投資家や映画会社から敬遠され、資金不足のためスタッフ全員が少しずつ集めた予算で撮影を強行しました。
それでも撮影は難航し、公開は何度も延期されましたが、パク・グァンジョン氏への献呈の意味を込めて2009年の釜山国際映画祭で公開され、2010年4月にようやく一般公開されました。

 

映画に登場する音楽と出演者

映画には「小さな池」だけでなく、キム・ミンギが作った「蝶」や「千里の道」などの歌も演奏されます。これらの歌は朝鮮戦争当時には存在しなかったものですが、当時の雰囲気や状況を象徴的に表現する「映画的許容」として用いられています。

ソン・ガンホ、ムン・ソングン、カン・シニル、イ・デヨン、パク・グァンジョン、チョン・ソギョン、イ・ソンミン、キム・レハなどの俳優が家族を伴い無報酬で出演し、村人たちの暮らしをリアルに再現しています。
この作品はパク・グァンジョンの遺作であり、彼が亡くなった後に劇場公開された唯一の作品でもあります。

また、忠清北道ヨンドン郡にあるイ・ス小学校で出演者のオーディションが行われ、同校に通う小学生が重要な脇役として選ばれたことで、生徒たちは撮影のために学校を休むこともあったそうです。

 

ノグンリ事件の概要

この事件は1950年7月26日から29日にかけて、朝鮮戦争初期の忠清北道永東郡黄間面ノグンリで、米軍第7騎兵連隊が韓国の民間人を虐殺した事件が発生したが、長らく隠されていました。
しかし、1999年にAP通信の報道をきっかけで韓米両国で公表されました。

1950年7月23日、忠清北道永東郡永東邑主谷里の村に「直ちに避難せよ」と避難命令が下され、住民たちは近隣の山村・臨界里へ避難します。7月25日の夜、主谷里・臨界里の住民や他地域の人々約500~600人は、村人たちは村の守り神である「大門岩」に一礼し、米軍の誘導に従い南へ避難を続けました。

 

米軍の避難民対応と攻撃

朝鮮戦争初期の混乱の中、南側へ避難する民間人の中に北朝鮮軍兵士が紛れているとの噂が広まった。これを受け、米軍第8軍は1950年7月25日夜、在韓米国大使館や韓国政府と避難民の管理対策会議を開催し、避難民を「救援対象ではなく軍事的視点で扱うべき」と結論づけました。

7月26日、避難民は国道4号線を通り黄間面西松院里付近に到着したが、米軍の誘導により国道から鉄道の線路へルートを変更。避難中に米空軍の爆撃と機関銃掃射を受け、多数の死傷者が出た。避難民はノグンリの開根鉄橋(双トンネル)の下に避難したが、米軍は7月26日午後から29日午前まで機関銃と迫撃砲で避難民を攻撃し続けた。

この様な出来事が映画では克明に描かれていて、残っている交信記録にある米軍の指令「米軍の防御線を超える者は敵として射殺せよ。女性と子供は裁量に任せる」というフレーズもそのまま使われています。

 

法的対応と現在の状況

2004年2月9日、国会本会議で「ノゴンリ事件犠牲者審査及び名誉回復に関する特別法」が可決され、同年3月5日に正式に公布されました。
韓国政府は、300名近い双窟橋の避難民のうち、最後まで生き残ったのは25名。傷害、死亡、失踪などの犠牲者218名、遺族2170名を確定したと発表しました。
これでノグンリ事件の被害者の名誉回復と真相究明のための法的基盤が整い、それ以降、被害者遺族たちは現在まで、名誉回復と真実解明の活動を継続しています。

一方、アメリカ側の公式調査結果では「攻撃命令は下達されていなかった」とされたものの、一部の米軍退役軍人が良心的な証言を通じて「上からの命令があった」と主張し続けました。
これに対し、米国防総省は、「命令はなかったことが確認されているにもかかわらず、命令があったと主張する者は個人的に責任を問う」と発表しました。

その結果、AP通信に対して証言していた米軍退役軍人の中には、証言内容を撤回した者も現れることになります。
さらに、証人の死亡・行方不明・証言拒否などが続き、ノゴンリ事件に関する米軍側の新たな証言はその後ほとんど出てこなくなりました。