タイトルのパパイヤが10歳の少女ムイの成長と成熟を表現しているが、シーンではなく音で語る彼女の思春期の初恋を、繊細な映像と音楽で静かに描いた作品といった感じかな。
でも、こんなタイトルよくつけたと思う。
フルートや弦楽器が東洋的なムードを醸し出すのとは裏腹に、幹音と半音の間をなぞるような弦の音は錯綜した葛藤というより、心の移ろいのようなものを表現してるように思う。
不協和音ギリギリをいってるフランス音楽は官能的な表現にぴったりマッチする。
サイレンの音が鳴り、外出禁止令が出されていた第一次インドシナ戦争の時代のベトナム・サイゴン、奉公先を探すムイの姿から物語は始まる。
でも戦争の匂いは全くせず、むしろベトナムの風情が漂ってくるが思い出したように鳴る爆音が思い起こさせる。
物語は前半と後半に分かれていて、冒頭の1951年から10年後の1961年のムイは、次男ラムの嫁にと思っていたがそうともいかず、クェンの家にもらわれていく。
使用人には変わりないが、暮らし向きは大きく変わり読み書きもできるようになったムイは、クェンの子を身ごもることになる。
フランスの植民地から解放され、これからアメリカと戦うわけだが、ムイの成長がベトナムの成長ということなのかな。
ラストのムイが語るように歌う歌詞とあの笑いは不気味でもある。
弟のティンがムイのことが気になって仕方ないのは、こちらは反抗期かな。オナラと共に去っていくのが笑える。
とにかく目で見て音で感じる綺麗な映画。
