6/18、17:00放送予定 | 仙台魔法の泉放送劇団のブログ

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仙台のコミュニティーFM(fmいずみ)で
【fmいずみシアター】という番組を制作しております。

6月18日17:00放送分

詩集『旅立ちの合図、知らない人、いいとこどり、

夜空ににじませる、虹を見た時、ただ』

局へ送信完了

宮城県仙台市泉区を中心にfmいずみ79,7Mhzで放送
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団員沖野です。

久しぶりに詩集を放送したいと思います。

正確に書きますと、私の中ではということですが、

旅立ちの合図 はショートストーリーで、それ以外が

詩、という感じでしょうか。

先日、オーディブルで、谷川俊太郎さんとブレイディー

みかこさんの往復書簡の書籍があり、それを聴きました。

やっぱりどちらもすごい人ですから、感心しきりでしたが、

特に谷川さんの詩というものは、改めて(乾いてるなあ)

と個人的には思いました。

(驚きの一つにそれがありました。)

湿り気があまりない、とでもいいましょうかね。

恰も湿気を帯びている様な詩の文体であってもなぜかそこに

潤いがないような。今回聞いた詩は特にそう感じました。

(個人の感想です)

比べて私の詩は、レベルの差は置いておいて、

湿ってるなあ、と思いました(苦笑)。汗まみれと言いますか

這いつくばり過ぎ、と言いますか土着化し過ぎみたいな

感じがします。

しかしそんな作品でも、団員各位一生懸命読んでくれ

まして、なんとか形になりました。

ただ、という作品以外は、皆んな新作です。

一例といいますか、そんな感じで、虹を見た時 を下記に

載せておきます。(去年の10月に書いたんですね。)

 

 

『 虹を見た時 』       浮蜘蛛   R5.10.06
========
今朝、虹を見た。

虹を見た時、心は何を想う、かと、
自分の反応を待った。

今朝は、正面の広い景色の中に
虹があって。

右側の、虹の根っこのところに
建物の屋根があって、そこだけが見えなかった。

だから
今朝は
虹は、殆ど、見えた。

あまり行きたくはない場所に向かって、
歩いている時。

その虹は、僕に。

その大きな姿の、殆んどを、
見せてくれた。

虹が見えた時、どんな気持ちになるか。

子供の頃、
七色を目を凝らして数えた。

虹の半輪の下をくぐりたくて、近づこうと走って
すぐに、近づけないと、気づいた。

子供ではなくなって。
結果的に、大人になって。

どうなったのかと言えば、
虹がなぜ見えるのかとか、
プリズムの仕組みとか、

そういうことを、知らなくても、いいや、
という帰結。

なぜ虹が見えるのかなんて、
どうだっていい、という結論。

知らない事だらけ、と思いながら、
知らなくてもいい、と思うことも

たくさんあって。

虹なんて、・・・知らなくていいこと。

    カテゴリー:知らなくていいこと。

子供の時には綺麗だと興奮して、走り出して。

大人になって、それが、
知らなくていい事になる。

それは、
本当は、どこか
物悲しいことなんだろう。

虹を見て、
大人になるってわからないことだと、つくづく思った。

大人になって、
ちゃんとしていこう、しっかりしていこう、
と 公に誓っても。
公が、
どんどんどんどん変わっていく。

公が肥大したり、薄まったり、
都合よく転がったり。
次から次へと変わってく。

公に対しての自分を、
考え直す。

そして、わからなくなる。
対応できなくなる。

今朝、虹を見た。

行きたいとは思えない場所に向かい、
歩いているときに、

虹を、見た。

虹はずっと、変わってない。
変わったのは、自分だ。
そして、人間が作り出す、公だ。

今朝、虹を見た。
変わらない、変わりようのない、虹をみた。
そして、
悲しい位に変わっている、
人間を感じた。

今朝、
虹を見た。

 

‐FIN‐