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鎌田洋次(漫画家)のブログ

作品紹介、草野球など諸々。

   1970年代後半から80年代前半の銭湯の話です。

 

 私は幸運にも関西と関東二つの銭湯を経験しました。

子供の頃、東北の片田舎の銭湯も経験しましたが、中がどんなふうになっていたかは全く覚えてなく、銭湯の後に映画『モスラ』を見たことや、やがてそこが火事になって、恐ろしく炎が舞い上がり、夜空を真っ赤に染めていたのを川の対岸から見ていたことなどだけが記憶に残っています。

 

  前回のブログで、京都の学生寮の一軒隣に銭湯があったことを書きましたが、当時の京都の銭湯にはいくつか特徴がありました。

1)浴槽は浴室の中央に配置され、周りの壁側が洗い場になっている。

2)浴室の外に、長い洗面台が設置されている。

3)番台が高くない。

4)入口の男湯と女湯の位置が銭湯によって違う。

 

1)は東京の場合、浴室の奥に浴槽が配置され、洗い場が手前に配置され、鏡のついた洗い場でいくつかに仕切らてある。

2)は東京の銭湯には無く、湯船から出てシャワーを浴びた綺麗な体で出たいのに、他の人の掛け湯や石鹸の泡を避けながら体を拭かなければならないのが面倒だった。

3 ) は東京の場合は、見上げるほど高かった。

4 ) は東京の場合は、どちらかに決まっていたと思う。

 

 以前にもブログに書きましたが、 京都の銭湯代は私がいた頃は、120円〜150円と上がっていき、セブンスターやマイルドセブンと同じ値段だったと思います。東京へ来て、洗髪代は別料金だと知ってびっくりしました。合わせて300円近い値段だったと思います。

 また東京でびっくりしたのは、組合の協定とか旅行とかで同じ日に近所全部の銭湯が休みになってしまったことです。桜上水の銭湯が休みで、下高井戸まで自転車で走って行ったけど、これも休みで...困りました。下宿で、洗面器に水を溜めて体を拭いたことを覚えています。

 

  京都は常に深夜1時まで営業していました。大晦日はオールナイト。元旦くらいが休みだったのかな? 町屋が多かったので、構造的に風呂のない家が多かったのでしょう。バイト終わりに、タオル一本だけ持って飛び込んでいったことがよくありました。

 

 

 

 

 

 

  筋力の低下は意思力の低下を招く。人間は頭だでは生きられないんだ....と分かっていても、寒くなると外に出たくなくなります。

それじゃあ、家の中でと思って、深く、ゆっくりとしたスクワットを20回ほどやったら、2日後に腰に違和感が...

この痛みはぎっくり腰に似ている...  寝てから起きる時が一番辛く、角度をいろいろ変えて起きないと背骨付近がビクンとします。

 ああ、たった20回なのに...失敗しました。

 

 コロナ禍前まではスキーに行くために、なんとかトレーニングを続けていられましたが三年も行ってないとその意欲も無くなります。

老は筋力低下からやってくる、頭も同様。なんとかしなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 誰が正確にイメージできるんだろう? ジャイアンツ関係の人だけ?

マスコミも、こう言っておいたら、安心だろうと思って使っているんじゃなの?

さすがに物の大きさを比べるのにタバコの箱を置いた写真は見なくなったけど....

 

 ああ、あと「バールのようなもので... 」だ。

今、一般人が何人バールの映像を思い浮かべられるだろうか?

そう言えば、立川志の輔が「バールのようなもの」という落語をやってましたね。